WORLD PHILOSOPHY / REFERENCE ROOM

基本用語・人物索引

概念を文脈へ戻すための索引です。短い定義だけで理解を終えず、対応する章の議論も読んでください。

『エチカ』
定義・公理・命題などの形式で、存在や感情、自由を論じます。 第14章へ →
『ニコマコス倫理学』
幸福・徳・友愛などを、人間の活動や共同体との関係から論じます。 第5章へ →
『パルメニデス』
イデアと個々のものの関係をめぐる困難が、対話の中で検討されます。 第4章へ →
『人間知性論』
観念、言語、知識の成立と限界を検討する著作です。 第15章へ →
『判断力批判』
判断力の検討は、知と道徳を考える二つの領域とも関係します。 第17章へ →
『哲学探究』
言葉が実際の生活の中でどう使われるかを問い直します。 第21章へ →
『国家』
洞窟の比喩は教育と知識、共同体への責任に関する文脈で描かれます。 第4章へ →
『存在と無』
意識や他者の存在、状況の中の自由と責任を論じる代表的な哲学書です。 第20章へ →
『実践理性批判』
理論的な知識の限界と、道徳的な実践の問題を区別します。 第17章へ →
『方法序説』
知識を得る方法を論じ、懐疑や推論の進め方を示す代表的な著作です。 第14章へ →
『正法眼蔵』
道元の言語と実践、自己への問いを知るための主要な著作です。 第13章へ →
『矛盾の矛盾』
著作間の応答を通じて、中世哲学の対立の具体的な内容を追うことができます。 第12章へ →
『純粋理性批判』
知識がどこまで成立するかを、経験の条件から検討します。 第17章へ →
『論理哲学論考』
初期と後期の著作では、言語への問いの重点が異なります。 第21章へ →
どう生きるべきかの探究
知識と徳、生の選び方を切り離さず問い続ける態度が重要です。 第3章へ →
もののあはれ
感受のあり方と文学の理解を考える重要な語です。 第13章へ →
アウグスティヌス
『告白』は生の振り返りと、記憶・時間・神への問いを含みます。 第11章へ →
アカデメイア
アカデメイアは、数学や哲学の探究とも結びつく学園でした。 第4章へ →
アタラクシア
異なる学派で用いられますが、達する道筋や理論は一様ではありません。 第6章へ →
アテナイ
ソクラテスの活動は古典期アテナイの市民社会と結びついています。 第3章へ →
アナクサゴラス
ヌースは知性と訳されます。多様な成分に秩序を与える原理として論じられました。 第2章へ →
アナクシマンドロス
アペイロンは水など一つの具体的な物質に限られない根源として考えられました。 第2章へ →
アナクシメネス
空気の状態の違いによって自然の多様な姿を説明しようとしました。 第2章へ →
アニバル・キハーノ
独立の後にも残る、権力や分類の関係を考える概念です。 第23章へ →
アヒンサー
生命を傷つけないことが、実践と倫理に重要な位置を占めます。 第7章へ →
アプリオリ
アプリオリを、単に子どもの頃に覚えたことと同一視してはいけません。 第17章へ →
アポステリオリ
実際の観察や経験を必要とする判断と関係します。 第17章へ →
アポニア
アポニアは身体の苦痛の不在を表し、心の平静と区別されます。 第6章へ →
アポリア
アポリアは困難や行き詰まりです。理解の不足が見えることは再検討につながります。 第3章へ →
アリストテレス
アリストテレスの形而上学や倫理学などが重要な参照点となりました。 第11章へ →
アリストテレスへの注解
注解は保存だけでなく、内容の理解や論争の発展にも関わります。 第12章へ →
アリストパネス
喜劇は哲学の授業の記録ではなく、風刺という目的を持つ作品です。 第3章へ →
アンセルムス
アンセルムスは、信仰と理解の関係を論じた代表的な思想家です。 第11章へ →
アートマン
アートマンの理解は学派によって異なり、すべてのインド思想が肯定する概念ではありません。 第7章へ →
アーレント
人々が同じでありながら異なることと、公共的な世界への参加が重要です。 第22章へ →
イデア
イデアは単なる個人の思いつきと同じ意味ではありません。 第4章へ →
イブン・シーナー
同じ人物が言語圏によって異なる名で呼ばれるため、対応を確認します。 第12章へ →
イブン・ルシュド
イブン・ルシュドはアリストテレスの注解でも重要な人物です。 第12章へ →
インターセクショナリティ
一つの軸だけでは捉えられない経験や差別の関係を分析します。 第22章へ →
ウィリアム・ジェームズ
パースと共通点を持ちつつ、同じ一つの理論ではありません。 第19章へ →
ウルストンクラフト
女性の教育と権利を、理性と人格の形成との関係で論じました。 第16章へ →
エウダイモニア
幸福と訳されますが、一時的な気分や快感だけを指すのではありません。 第5章へ →
エピクテトス
彼の教えは、外的な結果を無条件に支配しようとする態度を問い直します。 第6章へ →
エピクロス
エピクロスの学園は「園」と呼ばれ、友愛を重視する共同生活とも結びつきます。 第6章へ →
エポケー
判断保留は、対立する議論を吟味した上で断定を差し控える態度です。 第6章へ →
エレアのゼノン
エレアのゼノンと、ストア派を創始したキティオンのゼノンは別人です。 第2章へ →
エレンコス
エレンコスは反駁・吟味と訳され、信念どうしの整合性を確かめます。 第3章へ →
エンゲルス
共同の著作と、各人の別の著作とを区別して読みます。 第18章へ →
エンペドクレス
四つの根の結合と分離によって、生成や変化を説明しました。 第2章へ →
エンリケ・ドゥッセル
排除された人々の位置から、倫理や歴史の語り方を問い直しました。 第23章へ →
カテゴリー
カテゴリーを、経験から切り離して無制限に適用してよいかが問題になります。 第17章へ →
カラーム
カラームとファルサファは区別されますが、具体的な論争で互いに関わります。 第12章へ →
ガザーリー
批判の対象は具体的な主張です。理性や論理をすべて否定したという説明は不正確です。 第12章へ →
キティオンのゼノン
「ゼノン」という名が同じでも、エレア派の人物とは別人です。 第6章へ →
キルケゴール
個人の生と抽象的な体系との関係を問い直しました。 第20章へ →
クセノポン
クセノポンの記述はプラトンと異なる面を持ち、重要な比較資料です。 第3章へ →
クワシ・ワイヤドゥ
自分たちの言語や概念から問いを検討することの重要性を論じました。 第23章へ →
ケアの倫理
抽象的な規則では見えにくい関係を考える重要な方向です。 第22章へ →
コギト
疑うという思考の働きの中で、思考する自己の存在を確かめます。 第14章へ →
サルトル
固定した本質に従うだけでなく、状況の中の選択と責任を考えます。 第20章へ →
サーンキヤ
サーンキヤの二元的な枠組みは、自己と自然の関係を説明します。 第7章へ →
シャンカラ
シャンカラはアドヴァイタと呼ばれる伝統の代表的な思想家です。 第7章へ →
ジョン・デューイ
経験、学び、公共的な問題解決を結びつけて論じました。 第19章へ →
スコラ学
問い・反対意見・応答を組み合わせた議論の方法が発展しました。 第11章へ →
タブラ・ラサ
生得観念への批判と関係しますが、生まれつきの能力まで一切否定する意味ではありません。 第15章へ →
タレス
タレスの水説は後世の報告を通じて知られます。本人の完全な著作が残るわけではありません。 第2章へ →
チャールヴァーカ
その思想は主に他者の報告や批判から知られ、復元には資料上の制約があります。 第7章へ →
デモクリトス
デモクリトスは原子の形・配置・運動による自然の説明で知られます。 第2章へ →
トマス・アクィナス
トマスは古代哲学を受け継ぎつつ、哲学と神学の関係を論じました。 第11章へ →
ニヒリズム
価値の危機をどう引き受けるかが、ニーチェの探究の一つです。 第20章へ →
ニヤーヤ
ニヤーヤは認識の根拠と推論の仕組みを精密に論じました。 第7章へ →
ハイデガー
存在の問いを、人間の具体的なあり方から検討する著作です。 第20章へ →
ハーバーマス
理由を交わす過程が、社会や制度を考える重要な位置を占めます。 第22章へ →
バークリ
バークリは、感覚される対象を知覚や精神との関係で論じます。 第15章へ →
パノプティコン
パノプティコンはベンサムの構想で、フーコーは規律の分析に用いました。 第22章へ →
パルメニデス
彼の詩は真理の道と人々の意見の説明を区別して論じます。 第2章へ →
ピュタゴラス派
ピュタゴラス派では数・比・調和が重要です。集団の伝統と創始者本人の主張は区別が必要です。 第2章へ →
ピュロン
後世のピュロン主義と、歴史上の本人の思想を区別して研究します。 第6章へ →
ファルサファ
ファルサファはギリシア由来の哲学の受容と展開に関係します。 第12章へ →
ファーラービー
ファーラービーは古代哲学を受け継ぎ、政治共同体の理想を考えました。 第12章へ →
フッサール
フッサールは意識と経験のあり方を、独自の方法で検討しました。 第21章へ →
フランシス・ベーコン
イドラは先入観や偏りを検討するための分類です。 第14章へ →
フランツ・ファノン
植民地支配と自己理解、身体や社会の経験を問い直した著作です。 第23章へ →
フレーゲ
論理的な構造を、日常の文章の見かけだけに頼らず表現しました。 第21章へ →
フロネーシス
フロネーシスは実践的な知恵です。単なる知識の暗記とは異なります。 第5章へ →
フーコー
権力を一人の命令だけでなく、実践や分類の関係から分析しました。 第22章へ →
ブラフマン
ブラフマンと自己との関係は、後のヴェーダーンタで異なる仕方で論じられます。 第7章へ →
プライバシー
情報の利用、同意、権力の関係を具体的に検討します。 第24章へ →
プラクリティ
精神的な原理と、変化する自然の原理が区別されます。 第7章へ →
プラトン
対話篇のソクラテスと歴史上の本人がいつも一致するとは限りません。 第3章へ →
プラマーナ
知覚、推論、証言などのうち何を認めるかが学派間で論じられます。 第7章へ →
プルシャ
プルシャは自然的原理プラクリティと区別されます。 第7章へ →
ヘラクレイトス
ヘラクレイトスの変化は、単なる混乱ではなく秩序を持つ関係として論じられます。 第2章へ →
ヘンリー・オデラ・オルカ
賢人哲学の探究では、個人が理由を示す思考のあり方が重要です。 第23章へ →
ヘーゲル
自己意識や他者との関係などを通じて、精神の展開を論じます。 第18章へ →
ベンサム
行為や制度の帰結を評価する考え方を体系的に論じました。 第19章へ →
ホッブズ
ホッブズは、安全と共通の権力の必要性を中心的に論じました。 第16章へ →
ホルクハイマーとアドルノ
理性や啓蒙が支配とどう関わりうるかを批判的に検討しました。 第22章へ →
ボーヴォワール
女性の社会的な条件と、主体としての可能性を問い直しました。 第20章へ →
ポーラン・フントンジ
個々の著者の批判や論証を、集団的な世界観だけへ還元しないことを重視しました。 第23章へ →
マイモニデス
マイモニデスはユダヤ教の文献と哲学の関係を論じました。 第12章へ →
マルクス
資本主義社会の生産と交換の関係を分析する著作です。 第18章へ →
マルクス・アウレリウス
『自省録』は自分に向けた思索の記録として読まれます。 第6章へ →
ミーマーンサー
言葉や儀礼の意味と権威について、精密な議論を発展させました。 第7章へ →
メルロ=ポンティ
身体は世界と関わる生きられたあり方として重要です。 第21章へ →
モナド
モナドは物理的な小球の名称ではなく、存在と認識の理論の概念です。 第14章へ →
モークシャ
解脱と訳されます。解放の内容や到達の方法は伝統により違います。 第7章へ →
ヨーロッパ中心的な見方
思想の射程と、その中の歴史的な偏りを分けて検討します。 第18章へ →
ラッセル
特定の対象を記述する表現を、論理的にどう理解するかを検討しました。 第21章へ →
ラーマーヌジャ
ラーマーヌジャの立場は、シャンカラの不二一元論と同じではありません。 第7章へ →
リュケイオン
プラトンのアカデメイアで学んだ後、自らの学園で研究を展開しました。 第5章へ →
ルサンチマン
単なる一瞬の怒りと同じではなく、価値や評価の形成との関係を考えます。 第20章へ →
ルソー
自由と共同の法、政治的な正当性を論じます。 第16章へ →
ロゴス
ロゴスには言葉・説明・理などの幅があります。後世の用法と無条件に同一視できません。 第2章へ →
ロック
政府、同意、権利などを論じる政治哲学の重要な著作です。 第16章へ →
ロールズ
社会の基本制度の公正を考える代表的な著作です。 第22章へ →
ヴァイシェーシカ
ヴァイシェーシカは、実体や性質などの分類を通じて世界を説明します。 第7章へ →
ヴェーダーンタ
自己と根本原理との関係について、複数の学派的な説明があります。 第7章へ →
一次性質と二次性質
対象の性質と、感覚に生じる観念との関係を考えるための区別です。 第15章へ →
一般意志
一般意志は共同の利益を志向する意志として論じられます。 第16章へ →
世代間倫理
現在の行為と、将来の人々の利益や条件との関係を考えます。 第24章へ →
世界の事実を写す像
命題と現実の構造の関係を考える像の理論が重要です。 第21章へ →
世親
世親の著作は仏教内部の議論と、認識の検討の両方で重要です。 第8章へ →
主張を正確に理解する
相手が実際には言っていない主張を攻撃しても、議論の検討になりません。 第1章へ →
主権
主権の位置や制限について、政治哲学には異なる立場があります。 第16章へ →
予定調和
別々のあり方の対応を、単純な物理的接触だけによらず説明します。 第14章へ →
事実の問題
事実の問題は経験と関わり、その反対が論理的に不可能とは限りません。 第15章へ →
二諦
日常の言語や区別を使うことと、固定的な本性への吟味を関係づけます。 第8章へ →
五つの道
運動や原因などの経験的な事柄から神の存在を論じる複数の道筋です。 第11章へ →
五蘊
五蘊は自己についての執着を検討する際に重要です。 第8章へ →
人倫
自由を具体的な制度や実践との関係で考える枠組みです。 第18章へ →
人身攻撃
人柄を批判しても、その主張の真偽や論証の妥当性は決まりません。 第1章へ →
人間の関係と共同性
ウブントゥには複数の解釈があり、全アフリカを一つの教義で代表させないことが必要です。 第23章へ →
人間中心主義
環境倫理では、この基準だけで十分かが論争されます。 第24章へ →
仁
仁は人との関係の中で育つ徳として論じられます。 第9章へ →
他力
他力を単なる他人任せと同一視せず、信と救いの文脈で理解します。 第13章へ →
仮言命法
目的を持つ場合に、そのための手段を指示する構造があります。 第17章へ →
伊藤仁斎
仁斎は古い言葉の意味を考え、朱子学への批判を展開しました。 第13章へ →
伝承と編集の過程を考える
時代や伝承による多層性があり、文脈を見て解釈します。 第9章へ →
作用因
像を制作する彫刻家の働きなどが、作用因の説明に当たります。 第5章へ →
個別の意志の合計
全体意志と一般意志は、単純に同義ではありません。 第16章へ →
倫理学
倫理学は、何をすべきかや、どんな生き方がよいかを理由とともに検討します。 第1章へ →
健全な論証
妥当性だけでなく前提の真も備えた演繹的論証を健全と呼びます。 第1章へ →
八正道
正しい見方・思考・言葉・行為など、生活と修練を含む枠組みです。 第8章へ →
公孫竜
名称や分類の関係を考える議論であり、白い馬が生物として馬でないという素朴な説明ではありません。 第10章へ →
兼愛
兼愛は、身近な集団だけに偏った配慮を批判する文脈で論じられます。 第10章へ →
内在的価値
環境や存在者がそれ自体で価値を持つかについて複数の立場があります。 第24章へ →
分割線の比喩
分割線は、対象とそれに対応する認識のあり方を段階として区別します。 第4章へ →
前提
前提は出発点となる主張です。その真偽と、結論を支える力を別々に確認します。 第1章へ →
剰余価値
剰余価値はマルクスの理論の中で理解する概念であり、すべての経済理論の共通定義ではありません。 第18章へ →
労働とその産物・人間関係
自己の活動が自分に対して外的な力となるあり方が問題となります。 第18章へ →
区別が必要
本書は理解のための紹介と、真偽や是非の判断を分けています。 第24章へ →
印象と観念
印象は生き生きした知覚、観念はそれを考える際の弱い表象として区別されます。 第15章へ →
危害原理
他者への害と、単に不快なことを区別して考える必要があります。 第19章へ →
即身成仏
身体・言葉・心の実践と覚りの関係を考える重要な概念です。 第13章へ →
原初状態
無知のヴェールなどの条件を備え、正義の原則を選ぶ構想です。 第22章へ →
原子論
自然を原子と空虚から説明する伝統を受け継ぎ、恐れの理解にも関係づけました。 第6章へ →
友愛
友人との関係は、不安を減らし充実した生を支えるものとして論じられます。 第6章へ →
反例
反例は、一般化した主張が成り立たない具体的な場合です。 第1章へ →
只管打坐
坐禅を外にある結果だけのための手段とせず、その実践の意味を問い直します。 第13章へ →
可能態
可能態は、変化を説明する際に現実態と区別されます。 第5章へ →
可謬主義
誤りの可能性を認めることは、理由や証拠の検討を放棄する意味ではありません。 第19章へ →
史的唯物論
歴史を具体的な社会的な生産や制度の関係から説明しようとします。 第18章へ →
同じ分類だと決めつけない
当時の自然観や説明の目的を理解した上で、共通点と差を比較します。 第5章へ →
同じ制度とはいえない
知識の役割、参加、自由、権力の集中などを具体的に比較できます。 第4章へ →
同一とは限らない
説得の成功だけでは、内容の真偽や道徳的な正しさは決まりません。 第3章へ →
同一の科学理論ではない
説明の考え方に関連はあっても、実験的な根拠や物質の理解は異なります。 第2章へ →
君子
君子は学びと修養を通じて目指される理想としても理解されます。 第9章へ →
否定神学
人間的な性質を神へそのまま当てはめる説明の限界を考えます。 第12章へ →
哲人統治
プラトンは知識と統治の責任を結びつけました。構想への批判も重要です。 第4章へ →
唯名論
中世の唯名論には複数の形があり、名前だけの一様な立場ではありません。 第11章へ →
唯識
唯識は、認識の構造を論じる伝統です。願望で世界を自由に作るという説明ではありません。 第8章へ →
商品フェティシズム
人々の関係が、商品の価値の関係として現れるあり方が検討されます。 第18章へ →
善のイデア
善は、認識と存在を考える重要な位置に置かれます。 第4章へ →
善の欠如
悪の欠如説は、苦しみの現実性を無視するという意味ではありません。 第11章へ →
四諦
苦のあり方、原因、止滅、実践の道を関係づけて考えます。 第8章へ →
場所
日常的な住所の意味ではなく、存在や判断の成立を考える哲学的な概念です。 第13章へ →
壁に映る影
影への依存は、狭い経験を現実の全体と取り違える状態を示します。 第4章へ →
孔子
『論語』は弟子たちの伝承を含む言行の記録です。 第9章へ →
存在論
存在論は存在者やそのあり方を検討します。自然科学の個別の測定だけに限られません。 第1章へ →
孝
孝の意味は、歴史的な家族の文脈と現代の理解とを区別して考える必要があります。 第9章へ →
定言命法
普遍的な道徳法則としての義務を考える概念です。 第17章へ →
実体
実体をめぐる議論は、性質や変化の主体が何かを問い直します。 第5章へ →
家族的類似
すべての例が一つの特徴を共有しない場合にも、関係を理解できます。 第21章へ →
対話と問答
人々の答えと理由を対話によって検討することが中心でした。 第3章へ →
対話篇
複数の話者による問いと応答を通じて哲学が展開されます。 第4章へ →
少数者の権利をどう扱うか
幸福の集計と権利、平等、分配の関係は大きな論争点です。 第19章へ →
帰納
帰納の結論は、新たな事例で修正される可能性があります。 第1章へ →
帰納の問題
経験の一般化を、同じ経験の一般化だけで証明すると循環が問題になります。 第15章へ →
幸福や苦痛への帰結
何がよい帰結かや、どの範囲の人を考えるかも論点になります。 第19章へ →
延長
空間的に広がるあり方が、物体を説明する重要な位置を占めます。 第14章へ →
形相因
形相因は、それをそのものとして成り立たせる構造やあり方を説明します。 第5章へ →
循環論法
結論が独立の理由で支えられていないため、相手への説得力を欠きます。 第1章へ →
徳
外的なものの価値を一切区別しないのではなく、徳を善の中心として考えます。 第6章へ →
徳治
為政者の徳が人々や社会の秩序に影響すると考えます。 第9章へ →
心身二元論
両者を区別すると、どう相互に関わるかという問題が生じます。 第14章へ →
必然存在
必然存在と可能存在の区別は、存在の原因を考える議論に用いられます。 第12章へ →
必然性の理解との関係
自然の秩序の中で人間の自由を考える点が重要です。 第14章へ →
志向性
志向性は個人の将来の目標という日常的な意味だけではありません。 第21章へ →
快楽計算
数値化の可能性や限界を含め、行為の帰結を比較する考え方です。 第19章へ →
思考
思考には感覚的な経験なども含まれ、推理だけの意味に限定されません。 第14章へ →
性善説
善への端緒があるという説明であり、全員の全行為がすでに善だという断定ではありません。 第9章へ →
性悪説
欲望がそのままでは争いを生みうるため、礼や教育による形成を重視します。 第9章へ →
恩寵
恩寵と人の意志・責任との関係は、神学と哲学の大きな論点です。 第11章へ →
惻隠の心
惻隠は他者の苦しみへの反応で、仁へ育つ端緒として論じられます。 第9章へ →
意義と指示対象
同じ対象を指す表現でも、その提示の仕方や理解は異なりえます。 第21章へ →
愛と争い
愛と争いは、四つの根が混じり合い離れる仕組みを説明する役割を持ちます。 第2章へ →
愛についての議論
愛の理解を通じて、美や知への向かい方が問われます。 第4章へ →
感覚される観念の存在
彼の理論では観念と精神は区別されるため、標語だけで全体を説明できません。 第15章へ →
感覚と反省
外の対象についての経験と、心の働きへの反省が区別されます。 第15章へ →
態度と実践が関わり合う
振る舞いが心や関係を育てるという観点から読むことができます。 第9章へ →
批判理論
支配や自由の条件を、社会と文化の分析から問い直します。 第22章へ →
批判的な探究
修正可能性を認めることは、理由を持たないという意味ではありません。 第24章へ →
承認
自己の理解と、他者から認められる関係が結びつけて論じられます。 第18章へ →
抵抗の正当化
政府の権力は目的と条件を持つものとして論じられます。 第16章へ →
探究と証拠の役割を考える
実践的な帰結は、私的な利益だけで決めることと同じではありません。 第19章へ →
斉物
斉物を単純な無差別とせず、区別を絶対化する態度への問いとして読むことが大切です。 第10章へ →
断片と後世の証言
引用と報告の伝わり方を調べ、後世の解釈が加わっていないか検討します。 第2章へ →
方法的懐疑
疑いは探究の方法として用いられ、無目的に何も信じない態度とは異なります。 第14章へ →
是非の心
四端は、それぞれ徳へ育つ可能性を説明する枠組みです。 第9章へ →
時間
時間を自己の経験と結びつけて考える問いが重要です。 第11章へ →
普遍論争
例えば「人間」という普遍と、個々の人との関係が問われました。 第11章へ →
本居宣長
宣長は古典の文献と日本語の意味を詳しく検討しました。 第13章へ →
本質と存在
何であるかという本質と、あるという存在の関係を論じます。 第12章へ →
朱熹
朱熹は理と気、修養と探究を結びつけ、後の東アジアに影響しました。 第10章へ →
格物
格物の意味と方法は儒学内部で論争され、王陽明は異なる解釈を示しました。 第10章へ →
格率
格率を普遍的な法として意志できるかが、道徳的な検討の一つとなります。 第17章へ →
植民地支配と解放
政治的な支配だけでなく、人の経験や関係への影響が検討されます。 第23章へ →
概念分析
例えば自由を干渉の不在と自己統治に分けると、議論の違いを把握できます。 第1章へ →
権威だけに頼っている
専門知は重要ですが、適切な専門性や証拠を確かめず権威だけで断定するのは不十分です。 第1章へ →
止揚
止揚は単なる削除ではなく、前の立場を別の関係の中に位置づけ直します。 第18章へ →
気
理と気の区別を、西洋の心身二元論へそのまま置き換えることはできません。 第10章へ →
法華経
日本仏教内部の違いを考える際、経典の位置づけは重要な手がかりです。 第13章へ →
滅諦
苦をそのまま不可避とするだけでなく、止滅が可能かを問います。 第8章へ →
演繹
演繹の妥当性は、前提が真で結論が偽になる場合を排除できるかで判断します。 第1章へ →
無常
条件に依存するものが変化することは、執着や苦の理解とも関わります。 第8章へ →
無我
無我は行為や経験の全面否定ではなく、固定した自己を実体化する見方の検討です。 第8章へ →
無知のヴェール
有利な位置に合わせて原則を選ぶ偏りを避けるための条件設定です。 第22章へ →
物自体
物自体を、現象と同じ仕方で理論的に知れるとはされません。 第17章へ →
状況に応じた適切なあり方
勇気は、無謀さと臆病さの間を状況に応じて判断する例として理解できます。 第5章へ →
王陽明
王陽明は、心の道徳的な知と具体的な実践との関係を論じました。 第10章へ →
現存在
現存在は、存在の意味を問いうるあり方として重要です。 第20章へ →
現実態
種子が育つなどの説明では、何が可能で何が実現したかが区別されます。 第5章へ →
現象
現象は単なる偽物ではなく、私たちが経験的に知る対象のあり方です。 第17章へ →
理
理は事物や道徳の秩序と関わり、気との関係で論じられます。 第10章へ →
理性
理性的な判断が、魂の他の働きとの適切な関係を保つことが論じられます。 第4章へ →
理性による善の理解
自然法は、人の理性的な理解と道徳の秩序を結びつけて考えます。 第11章へ →
生をどう肯定するか
宇宙論的な読みや実存的な読みなど、解釈上の論点を含みます。 第20章へ →
生命・自由・財産
政治権力の目的や制限を考える際、権利が重要な基準となります。 第16章へ →
生得観念
経験の前から普遍的に備わる観念があるかを問い直しました。 第15章へ →
生産関係
誰が所有し、誰が働くかなどの社会的な関係が問われます。 第18章へ →
目的因
目的因は目的や到達点を問います。直前の出来事の説明とは異なる角度です。 第5章へ →
知ることと実践の結びつき
本当に知ることが行為に関わるという意味で、暗記と実践の分断を問い直します。 第10章へ →
知識
見えるものや人々の評判だけでなく、何が確かな理解かを問い直します。 第4章へ →
知識と共同体への責任
教育を受けた者が、他者や共同体とどう関わるかという問題があります。 第4章へ →
知識と存在の確実性
自己・神・外的な世界などを、懐疑を通じて検討します。 第14章へ →
礼
礼は外形的な手順だけでなく、人の態度や関係を形成する実践です。 第9章へ →
礼と教育
性悪説は人の改善不可能性を意味せず、学びの必要性を説明します。 第9章へ →
神あるいは自然
一つの実体という枠組みから、世界と人間のあり方を論じます。 第14章へ →
神による知覚
人が見ていないときの対象をどう説明するかには、神の役割が関わります。 第15章へ →
神の国と地の国
この区別を現代の一つの国家制度へそのまま置き換えるのは不適切です。 第11章へ →
福沢諭吉
学びと自立、社会のあり方を問いかけた近代日本の著者です。 第13章へ →
移り変わる知覚のまとまり
不変の自己が経験の中に見いだせるかを吟味します。 第15章へ →
種差別
種の所属と道徳的な配慮の根拠がどう関係するかを問い直します。 第24章へ →
空虚
原子が運動し、組み合わさることを説明するため空虚が重要になります。 第2章へ →
空間と時間
対象が経験される形式として、空間と時間が重要になります。 第17章へ →
系譜学
価値がどこから来て何をするのかを問い直す方法です。 第20章へ →
紀元前399年
紀元前399年の裁判と死は、彼の生と哲学を考える大きな出来事です。 第3章へ →
純粋経験
純粋経験は、経験を初めから主体と客体の二つへ分けてよいかを問う概念です。 第13章へ →
経験を通じた学びと検討
行為と結果の振り返りが、学びを変える働きを持ちます。 第19章へ →
経験論
経験の役割を重視しつつ、経験からの推論の範囲も検討します。 第15章へ →
結論
論証は前提を理由として結論を支持する構造を持ちます。 第1章へ →
統治される人々の同意
同意をどう理解するかには論点があり、現代制度とそのまま同じではありません。 第16章へ →
縁起
縁起は、現象の成立を関係と条件の中で考える枠組みです。 第8章へ →
美学
美学は美しさや芸術の意味を扱います。好みの一覧を作るだけではありません。 第1章へ →
習慣
繰り返された経験に基づく期待と、論理的な必然性とは区別されます。 第15章へ →
自己との関係
絶望を一時的な気分だけに限定せず、自己のあり方として検討します。 第20章へ →
自己への意識
感覚経験の条件を極端に変えた場合に、自己への意識をどう考えるかが問われます。 第12章へ →
自己欺瞞(悪しき信仰)
自由と状況の関係を、自分に都合のよい固定的な役割へ隠してしまう問題です。 第20章へ →
自性
自性の批判は、ものを固定した実体として捉える態度を吟味します。 第8章へ →
自然状態
自然状態は思想家ごとに違い、実際の歴史の記録と同じではありません。 第16章へ →
自然研究の方法
新しい自然研究の方法を探る著作として重要です。 第14章へ →
苦痛や快を経験する能力
配慮の根拠は論争されますが、感受性は重要な議論の軸です。 第24章へ →
荘子
荘子の寓話は、自己や変化、物事を見る視点を問い直す働きを持ちます。 第10章へ →
荻生徂徠
古典の言語を読み、制度や政治のあり方を考える立場です。 第13章へ →
菩薩
菩薩の理想は、智慧と他者への関わりを結びつけます。 第8章へ →
著作を残していない
本人の思想は、他者の記録や文学的な描写を通じて研究されます。 第3章へ →
行為の習慣と適切な判断
行為を繰り返すだけでなく、正しい目的と判断に結びつけることが必要です。 第5章へ →
裁判での自己弁護
弁明は、裁判の場を通じて哲学的な生き方の意味を問いかけます。 第3章へ →
西周
西洋の学問の紹介と日本語の学術語の形成が、近代思想の背景です。 第13章へ →
西田幾多郎
西田は経験と自己の成立を探究し、独自の哲学を展開しました。 第13章へ →
規範への移行の根拠が必要
ヒュームは議論の移行に注意を促しました。規範的な前提を点検します。 第15章へ →
規範を支える前提
事実と規範は同じ種類の主張ではなく、何をよいとするかの理由が必要です。 第1章へ →
言語ゲーム
ゲームは単なる娯楽の意味でなく、多様な言語使用と実践の関係を表します。 第21章へ →
訳語で消える差も検討する
翻訳は対話を開く一方、背景や概念の違いを見えなくする場合があります。 第23章へ →
認識論
認識論は、知るとはどういうことか、信念を何が正当化するかを扱います。 第1章へ →
説明可能性
説明の仕方と、実際の責任の所在は関係しますが同一の問題ではありません。 第24章へ →
説明責任
結果を示すだけでなく、人や組織が理由と責任を引き受ける関係が問われます。 第24章へ →
論理主義
フレーゲやラッセルの探究と関係しますが、数学の基礎には複数の立場があります。 第21章へ →
論理学
前提から結論がどのように導かれるかを、形式として検討します。 第5章へ →
賞罰と制度
個人の善意だけに頼らず、制度的な働きを考える特徴があります。 第10章へ →
質料因
像なら、その材料である青銅などが質料因に当たります。 第5章へ →
身体と社会的な状況の関係
生の可能性がどの関係によって形づくられ、制限されるかを考えます。 第20章へ →
辞譲の心
辞譲は礼との関係で論じられます。四端の区別を意識しましょう。 第9章へ →
過剰な作為を避けるあり方
無為は、作為や支配が生む歪みを問い直す概念です。 第10章へ →
道
道は一つの具体的な物や、単なる道路の意味に限定されません。 第10章へ →
道具的価値
価値が何に依存するかを分けて考えるための区別です。 第24章へ →
間柄
個人と人間の共同性を、対立だけでなく関係の中で捉えます。 第13章へ →
集諦
集諦は苦しみの生起に関わる原因を扱い、渇愛などが論じられます。 第8章へ →
非攻
非攻は侵略への批判であり、すべての防衛を同じように否定することではありません。 第10章へ →
韓非
韓非の思想では、統治の制度・技術・権力の位置が重要です。 第10章へ →
龍樹
龍樹は縁起と空、自性の問題を厳密な議論で検討しました。 第8章へ →