まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 山城・土の城
- 築城・成立
- 16世紀後半
- 築城に関わった人物・勢力
- 後北条氏
- 別名・呼び名
- 山中城跡
- いま残るもの
- 曲輪・土塁・障子堀・畝堀
THE STORY
歴史をひもとく
山中城は16世紀後半、後北条氏の支城として整備されたと考えられています。箱根を越える道を押さえ、小田原方面の防衛を担いました。1590年、豊臣軍の攻撃を受けて落城しました。後の発掘調査と整備によって、特徴的な堀の構造が見学できるようになっています。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
土塁と空堀を使い、山の尾根に曲輪を配置した城です。堀の中に掘り残した畝が、渡る方向や足場を制限します。現在の整備された芝の姿と、発掘時に分かった堀の深さ・形状は区別して考えると理解が深まります。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
障子堀
堀の底に土の畝を残し、区画を細かく分けた堀です。上から見える格子状の形と、実際に人が越える難しさを考えてみましょう。
畝堀
堀の中の畝は、侵入者の動きを妨げるための工夫です。見栄えのよい模様としてだけでなく、守りの仕組みとして観察できます。
箱根路の守り
山中城は小田原城の西側を守る位置に築かれました。街道と山の地形を合わせて見ると、城がここに必要とされた理由が伝わります。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 16世紀後半
後北条氏が箱根方面の防衛拠点を整備。
- 1590
豊臣軍の攻撃によって落城。
- 近現代
発掘と史跡整備により堀の構造を公開。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
堀や土塁は上から眺め、保護された遺構の中へ降りないでください。雨の後は土の道や芝が滑りやすいため、足元に注意して散策しましょう。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



