No. 040北陸・東海静岡県

山中城

Yamanaka Castle

城跡・遺構

箱根の山道を守った北条氏の城で、土の堀の形が主役です。芝に覆われた起伏を眺めると、石垣や天守を持たない城にも緻密な設計があったことが分かります。

草に覆われた山中城の障子堀
草に覆われた山中城の障子堀写真:Mocchy at Japanese Wikipedia · Public domain · 縮小・WebP変換。一覧では枠に合わせて表示。写真は撮影当時の姿です。現在の工事・公開状況は本文と公式案内でご確認ください。

まずは、城の素顔から

この城の基本情報

城のかたち
山城・土の城
築城・成立
16世紀後半
築城に関わった人物・勢力
後北条氏
別名・呼び名
山中城跡
いま残るもの
曲輪・土塁・障子堀・畝堀

THE STORY

歴史をひもとく

山中城は16世紀後半、後北条氏の支城として整備されたと考えられています。箱根を越える道を押さえ、小田原方面の防衛を担いました。1590年、豊臣軍の攻撃を受けて落城しました。後の発掘調査と整備によって、特徴的な堀の構造が見学できるようになっています。

LAYOUT & ARCHITECTURE

地形と建物を、見てみよう。

土塁と空堀を使い、山の尾根に曲輪を配置した城です。堀の中に掘り残した畝が、渡る方向や足場を制限します。現在の整備された芝の姿と、発掘時に分かった堀の深さ・形状は区別して考えると理解が深まります。

A CLOSER LOOK

この城では、ここに注目。

01

障子堀

堀の底に土の畝を残し、区画を細かく分けた堀です。上から見える格子状の形と、実際に人が越える難しさを考えてみましょう。

02

畝堀

堀の中の畝は、侵入者の動きを妨げるための工夫です。見栄えのよい模様としてだけでなく、守りの仕組みとして観察できます。

03

箱根路の守り

山中城は小田原城の西側を守る位置に築かれました。街道と山の地形を合わせて見ると、城がここに必要とされた理由が伝わります。

THROUGH THE YEARS

歴史年表

  1. 16世紀後半

    後北条氏が箱根方面の防衛拠点を整備。

  2. 1590

    豊臣軍の攻撃によって落城。

  3. 近現代

    発掘と史跡整備により堀の構造を公開。

BEFORE YOU GO

訪ねる前の、ひとメモ。

堀や土塁は上から眺め、保護された遺構の中へ降りないでください。雨の後は土の道や芝が滑りやすいため、足元に注意して散策しましょう。

情報確認:2026年9月27日

出典・参考にした公式情報

営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。