No. 034北陸・東海石川県

七尾城

Nanao Castle

城跡・遺構

能登畠山氏が山上と山麓を一体として築いた、大きな山城です。段状の石垣と尾根の曲輪をたどると、戦う場だけでなく、家臣の屋敷や政治の場も山にあったことが分かります。

七尾城跡の石積みと木立
七尾城跡の石積みと木立写真:tom-spring · Public domain · 縮小・WebP変換。一覧では枠に合わせて表示。写真は撮影当時の姿です。現在の工事・公開状況は本文と公式案内でご確認ください。

まずは、城の素顔から

この城の基本情報

城のかたち
城下と屋敷群を含む大規模山城跡
築城・成立
16世紀前半頃と考えられる
築城に関わった人物・勢力
能登畠山氏と有力家臣
別名・呼び名
—
いま残るもの
曲輪・石垣・堀・屋敷跡・城下遺構

THE STORY

歴史をひもとく

正確な築城年は不明ですが、能登畠山氏が16世紀前半頃に拠点として築いたと考えられています。政治だけでなく、都から招いた人々との文化交流の場にもなりました。1577年に上杉謙信の攻撃で落城し、その後は上杉方、前田利家へと支配が移ります。16世紀末に港近くの小丸山へ新たな拠点が移る中で、城としての機能を失いました。

LAYOUT & ARCHITECTURE

地形と建物を、見てみよう。

七つの尾根を中心に、多数の曲輪が山上から麓まで連なります。各曲輪群には一定の独立性があり、城主の本丸だけを頂点とする単純な構成ではありません。石垣、堀、土塁、城下の道を合わせて見ると、大規模な城館のまとまりが分かります。

A CLOSER LOOK

この城では、ここに注目。

01

段状の石垣

本丸や桜馬場付近には、自然石を積んだ石垣が段を重ねます。一枚の高い壁とは異なる、斜面を区切る構築を観察できます。

02

屋敷を持つ曲輪群

畠山氏だけでなく、有力家臣も城内に屋敷を構えていました。曲輪のまとまりを見比べると、山全体が複数の生活・政治空間から成っていたことが分かります。

03

山麓まで続く城

麓には城下町が広がり、総構で内外を区切る整備も行われました。本丸の眺望だけで終わらず、山上と町の関係を地図で確かめると理解が深まります。

THROUGH THE YEARS

歴史年表

  1. 16世紀前半頃

    畠山氏が山城の拠点を形成。

  2. 1577

    上杉謙信の攻撃で落城。

  3. 1581

    前田利家が七尾城へ入る。

  4. 2024

    能登半島地震で石垣や地盤が被災。

BEFORE YOU GO

訪ねる前の、ひとメモ。

2026年8月に旧大手道の一部が再開しましたが、地震後の閉鎖箇所が残ります。七尾市の最新規制図を必ず確認し、立入り禁止区域へ進まないでください。

情報確認:2026年9月27日

出典・参考にした公式情報

営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。