まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 中世山城を発展させた城跡
- 築城・成立
- 中世に起源/1643年以降に丹羽氏が整備
- 築城に関わった人物・勢力
- 畠山氏、丹羽光重ら
- 別名・呼び名
- 霞ヶ城
- いま残るもの
- 石垣・曲輪・洗心亭。箕輪門は再建
THE STORY
歴史をひもとく
中世には畠山氏の拠点として山上を中心に城が営まれました。その後、支配者の交代を経て、1643年に丹羽光重が入りました。丹羽氏は山麓の施設も整え、藩政の拠点としました。1868年の戊辰戦争で落城した後、遺構の保存が進み、1982年には箕輪門が再建されました。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
山頂付近の曲輪と石垣、山麓の居住・政庁空間を組み合わせた構成です。高低差そのものが守りになり、時代が下ると麓の利用が充実しました。天守台、門、庭園を別々の機能として見ると、城全体の変化を理解できます。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
山上の天守台
石垣を組んだ天守台が、山上の中心を示しています。ただし、ここに天守が実際に建てられたわけではない点に注意して見ましょう。
箕輪門
城下から山麓の城内へ向かう入口で、現在の門は再建です。山上の遺構と合わせると、江戸時代の城が麓にも広がったことが分かります。
洗心亭
庭園には江戸時代の茶亭である洗心亭が伝わります。軍事施設としての城だけでなく、藩主の文化や庭の空間にも目を向けられます。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 1643
丹羽光重が二本松に入る。
- 1868
戊辰戦争で落城。
- 1982
箕輪門を再建。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
山上と山麓では歩く条件が異なります。工事や催しによる公開変更は二本松市公式サイトで確認し、斜面の道に合う靴で訪れてください。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



