まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 古代山城
- 築城・成立
- 7世紀後半と推定。正確な年は不詳
- 築城に関わった人物・勢力
- 築城を命じた人物は確定していない
- 別名・呼び名
- 鬼城山にある城跡
- いま残るもの
- 城壁・門跡・水門・建物跡。西門などは推定復元
THE STORY
歴史をひもとく
鬼ノ城は古代の正史に名が見えず、築城の事情には分からない点が残ります。考古学的な成果から、7世紀後半の築城と考えられています。663年の白村江の戦いの後に進められた防衛体制との関係が想定されますが、特定の築城年や命令者が確定しているわけではありません。1970年に城壁の石列が注目され、その後の調査で門、水門、建物跡などが明らかになりました。2004年には西門が推定復元され、古代山城を理解するための整備が進められています。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
急な斜面の上部を約2.8キロメートルの城壁で囲う、古代の朝鮮半島系山城の構造を持ちます。門は四か所、水門は六か所が知られ、内部には倉庫などの建物跡があります。版築の土壁、石垣、水を通す施設を組み合わせた全体計画が、戦国・江戸時代の城と大きく異なります。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
推定復元された西門
西門は発掘成果などに基づいて姿を推定し、復元された建物です。現存する古代建築ではなく、柱の跡や周辺の遺構から往時の構造を考えるための手がかりです。
山を巡る城壁
城壁は約2.8キロメートルにわたり、土を突き固めた版築と石垣を用いています。建物一棟よりも、広い山の縁を囲う仕組みに注目したい城です。
水門が示す実用性
城壁には谷の水を外へ流す水門が設けられています。門や壁で外敵を防ぐ一方、内部の排水も必要だったことを遺構が伝えます。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 7世紀後半
考古学的に想定される築城時期。
- 1970
城壁の石列が注目される。
- 2004
西門が推定復元される。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
西門付近を見る散策と、城壁に沿う長い周回では必要な時間が違います。山道を歩く範囲を先に決め、鬼や温羅の伝説は伝承として、発掘で分かった歴史と分けて楽しめます。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



