まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 平山城
- 築城・成立
- 1597年天守完成とされる。現在の天守は1966年再建
- 築城に関わった人物・勢力
- 宇喜多秀家、のちに池田氏らが改修
- 別名・呼び名
- 烏城・金烏城
- いま残るもの
- 月見櫓などの建築、石垣。天守は再建
THE STORY
歴史をひもとく
宇喜多直家の石山城を受け継いだ秀家は、隣の岡山を中心に城を拡張しました。1597年に天守が完成したとされ、城と城下町の整備が進められます。旭川を北と東の防御に利用する構成も、城の立地を特徴付けました。江戸時代には池田氏らが改修し、石垣や建物が追加されました。歴史的な天守は1945年の空襲で焼失し、1966年に再建されましたが、月見櫓などの現存建築はそれ以前の城の姿を伝えています。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
岡山の丘を本丸とし、北と東を旭川で守る城です。地形に応じた不整形の天守台や、時代の異なる石垣が重なり、整った四角形だけではない城づくりが見られます。月見櫓は見る側の地盤の高さにより階の見え方が変わり、城外と城内で異なる役割を持つ外観にも注目できます。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
黒い天守と再建の歴史
現在の天守は、戦災で失われた建物をもとに1966年に再建されたものです。古写真や図面に支えられた外観と、現代の展示施設としての内部を区別して見られます。
現存する月見櫓
月見櫓には、外側を守る石落としなどと、内側に向けた居住性のあるつくりが同居します。防備の建物が、月を眺める場としても使われたことを伝えます。
異なる時代の石垣
城内には宇喜多氏や池田氏の時代に関わる石垣が残ります。大きな鏡石や地下から見つかった古い石垣は、城が一度に完成したものではないことを示します。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 1597
宇喜多秀家の天守が完成したとされる。
- 1945
空襲で歴史的な天守が焼失。
- 1966
古写真や図面をもとに天守を再建。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
天守の展示見学と、石垣や櫓を巡る屋外散策を組み合わせられます。月見櫓などの内部公開は天守と同じ条件とは限らないため、建物内も見たい場合はそれぞれの公開案内を参照してください。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



