No. 068中国岡山県

備中松山城

Bitchu Matsuyama Castle

現存天守

高梁の町の北、山道の先に江戸時代の天守が残ります。現存十二天守のうち山城の天守として知られ、岩盤、石垣、土塀を合わせた守りを身近に見られます。

備中松山城の天守と白い塀
備中松山城の天守と白い塀写真:by Reggaeman · CC BY-SA 3.0 · 縮小・WebP変換。一覧では枠に合わせて表示。写真は撮影当時の姿です。現在の工事・公開状況は本文と公式案内でご確認ください。

まずは、城の素顔から

この城の基本情報

城のかたち
山城
築城・成立
1240年築城と伝承。現在につながる大修築は1681〜1683年
築城に関わった人物・勢力
秋庭氏を起源とし、水谷勝宗らが改修
別名・呼び名
松山城。伊予の松山城とは別の城
いま残るもの
天守・二重櫓・三の平櫓東土塀、石垣など

THE STORY

歴史をひもとく

城の始まりは、1240年に秋庭重信が大松山に築いた砦と伝えられます。その後、城の中心は小松山へ移り、時代ごとに改修が重ねられました。水谷勝宗は1681年から1683年に大修築を行い、現在につながる近世の城を整えます。山上に残った建物は、1939年から1940年の修理などを経て保存されました。天守、二重櫓、三の平櫓東土塀が現存し、山城の建築をまとめて伝える貴重な例です。

LAYOUT & ARCHITECTURE

地形と建物を、見てみよう。

近世の中心部は標高約430メートルの小松山にあり、中世以来の曲輪を生かして整えられました。山の岩盤と石垣をつなぎ、その上に漆喰塗りの建物や土塀を配しています。現在の建物には近代の修理で構成が変わった部分もあり、創建時の姿をそのまま固定したものではありません。

A CLOSER LOOK

この城では、ここに注目。

01

岩盤と石垣の重なり

自然の岩の上に石垣や塀を重ね、山そのものを城の構造に取り込んでいます。積まれた石と地山の境目に目を向けると、平地の城とは違う工夫を読み取れます。

02

小さな天守の内部

天守は内部二階建てで、一階には囲炉裏や一段高い装束の間があります。外から眺めるだけでは分からない、山上の建物を使うための設備が残ります。

03

現存する櫓と土塀

天守のほか二重櫓と三の平櫓東土塀が重要文化財です。土塀には古い部分と復元部分の境が分かる箇所があり、保存と復元の違いを現地で見比べられます。

THROUGH THE YEARS

歴史年表

  1. 1240

    秋庭重信が大松山に城を築いたと伝えられる。

  2. 1683

    水谷勝宗による大修築が完成。

  3. 1939–1940

    天守などの保存修理が行われる。

BEFORE YOU GO

訪ねる前の、ひとメモ。

天守へは山道や石段を歩きます。城の見学と雲海の展望地点は同じ場所ではないため、目的に合わせて行き先を分け、季節の交通案内と天候を見て計画してください。

情報確認:2026年9月27日

出典・参考にした公式情報

営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。