まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 山城
- 築城・成立
- 1240年築城と伝承。現在につながる大修築は1681〜1683年
- 築城に関わった人物・勢力
- 秋庭氏を起源とし、水谷勝宗らが改修
- 別名・呼び名
- 松山城。伊予の松山城とは別の城
- いま残るもの
- 天守・二重櫓・三の平櫓東土塀、石垣など
THE STORY
歴史をひもとく
城の始まりは、1240年に秋庭重信が大松山に築いた砦と伝えられます。その後、城の中心は小松山へ移り、時代ごとに改修が重ねられました。水谷勝宗は1681年から1683年に大修築を行い、現在につながる近世の城を整えます。山上に残った建物は、1939年から1940年の修理などを経て保存されました。天守、二重櫓、三の平櫓東土塀が現存し、山城の建築をまとめて伝える貴重な例です。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
近世の中心部は標高約430メートルの小松山にあり、中世以来の曲輪を生かして整えられました。山の岩盤と石垣をつなぎ、その上に漆喰塗りの建物や土塀を配しています。現在の建物には近代の修理で構成が変わった部分もあり、創建時の姿をそのまま固定したものではありません。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
岩盤と石垣の重なり
自然の岩の上に石垣や塀を重ね、山そのものを城の構造に取り込んでいます。積まれた石と地山の境目に目を向けると、平地の城とは違う工夫を読み取れます。
小さな天守の内部
天守は内部二階建てで、一階には囲炉裏や一段高い装束の間があります。外から眺めるだけでは分からない、山上の建物を使うための設備が残ります。
現存する櫓と土塀
天守のほか二重櫓と三の平櫓東土塀が重要文化財です。土塀には古い部分と復元部分の境が分かる箇所があり、保存と復元の違いを現地で見比べられます。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 1240
秋庭重信が大松山に城を築いたと伝えられる。
- 1683
水谷勝宗による大修築が完成。
- 1939–1940
天守などの保存修理が行われる。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
天守へは山道や石段を歩きます。城の見学と雲海の展望地点は同じ場所ではないため、目的に合わせて行き先を分け、季節の交通案内と天候を見て計画してください。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



