No. 065中国島根県

月山富田城

Gassan Toda Castle

城跡・遺構

出雲を治めた尼子氏の本拠は、山麓の生活空間から山頂の曲輪まで広がる大きな山城でした。登るにつれて石垣や道の折れ方が変わり、戦国から近世への改修の跡をたどれます。

月山富田城跡の草道と石垣
月山富田城跡の草道と石垣写真:by Reggaeman · CC BY-SA 3.0 · 縮小・WebP変換。一覧では枠に合わせて表示。写真は撮影当時の姿です。現在の工事・公開状況は本文と公式案内でご確認ください。

まずは、城の素顔から

この城の基本情報

城のかたち
山城
築城・成立
中世に成立。正確な創建年は不詳
築城に関わった人物・勢力
尼子氏、毛利氏・吉川氏、堀尾氏が整備
別名・呼び名
富田城・月山城
いま残るもの
曲輪、石垣、土塁、堀切。花ノ壇には復元建物

THE STORY

歴史をひもとく

月山富田城の築城年代は明確ではありませんが、中世には出雲の重要な拠点となりました。戦国時代には尼子氏がここを本拠に勢力を広げ、のちに毛利氏・吉川氏が城を改修しました。関ヶ原の戦いの後は堀尾氏が入り、1608年には支配の中心が松江へ移っていきます。1615年の一国一城令により富田城の役割は終わりましたが、異なる支配者による曲輪や石垣が山に残りました。

LAYOUT & ARCHITECTURE

地形と建物を、見てみよう。

三方の登城路が山中御殿平に集まり、その上に七曲りと山頂の曲輪を重ねる構成です。居住と防衛の中心を分け、尾根の堀切、曲輪の段差、石垣や土塁を地形に合わせています。現地の遺構は尼子氏の時代だけでなく、毛利・吉川・堀尾氏の改修も含みます。

A CLOSER LOOK

この城では、ここに注目。

01

山中御殿平

中腹の広い平場は、石垣に囲まれた城主の居住空間と考えられています。山頂だけが城ではなく、政治や日常の場が山の中に組み込まれていたことが分かります。

02

七曲りの登城路

山中御殿平から上の曲輪へは、急な斜面を折れ曲がる道が続きます。左右の曲輪から道を守る配置を意識すると、登城路そのものが防御施設だったと理解できます。

03

山頂の石垣と堀切

三ノ丸から本丸へ続く尾根には、石垣で整えられた曲輪が並びます。本丸と二ノ丸の間の堀切は、尾根上の移動を遮る山城らしい構造です。

THROUGH THE YEARS

歴史年表

  1. 戦国時代

    尼子氏が出雲支配の本拠とする。

  2. 1608

    堀尾氏の支配の中心が松江へ移る。

  3. 1615

    一国一城令により城の役割が終わる。

BEFORE YOU GO

訪ねる前の、ひとメモ。

上部の曲輪までは急な山道を登ります。山中御殿平までの散策と山頂までの登山を分けて考え、靴、天候、下山までの時間に合わせて歩く範囲を選びましょう。

情報確認:2026年9月27日

出典・参考にした公式情報

営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。