まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 錦川を外堀とした山城
- 築城・成立
- 1608年完成/現在の天守は1962年再建
- 築城に関わった人物・勢力
- 吉川広家
- 別名・呼び名
- —
- いま残るもの
- 旧天守台・石垣など。現在の天守は旧位置と異なる
THE STORY
歴史をひもとく
吉川広家が山上に城を築き、1608年に完成しました。しかし一国一城令を受け、1615年に取り壊されました。現地には天守台などの遺構が残されました。1962年には、旧天守台から約50メートル離れた場所に天守が再建されました。現在は展示と展望の場として、城と城下の歴史を伝えています。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
標高約200メートルの山上で尾根を使い、麓の錦川を天然の外堀としました。天守は上階が下階より張り出す、南蛮造と呼ばれる特徴的な姿で知られます。現在の天守と旧天守台は位置が異なるため、両者を結びつけて見ると復元と遺構を区別できます。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
山上の天守
1962年に再建された天守から、市街地や瀬戸内海を望めます。上階が張り出す外観にも注目すると、この城の個性が分かります。
旧天守台
もとの天守台は、現在の天守とは別の位置に残っています。同じ山上でも建物の場所が移ったことを、現地で確かめられます。
錦川の守り
山の下を流れる錦川が、天然の外堀として働いていました。城から麓を見下ろすと、山と川を組み合わせた立地が理解できます。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 1608年
吉川広家の岩国城が完成。
- 1615年
一国一城令を受けて取り壊し。
- 1962年
旧位置と異なる場所に天守を再建。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
山上の城なので、登城手段と天候を事前に確認しましょう。館内の公開案内は公式サイトへ。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



