まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 山城・山麓居館・城下町
- 築城・成立
- 15世紀後半に朝倉氏の本拠として発展
- 築城に関わった人物・勢力
- 朝倉孝景と歴代朝倉氏
- 別名・呼び名
- 一乗谷朝倉氏遺跡
- いま残るもの
- 曲輪・館跡・庭園・町割の遺構、復原町並
THE STORY
歴史をひもとく
朝倉氏は応仁の乱のころから越前の支配を固め、一乗谷を拠点に五代にわたり治めました。重臣を谷に集め、城下町と文化の場を育てました。1573年、織田信長との戦いで朝倉氏は滅び、町も焼かれました。現在は発掘遺構と復原施設を通して、失われた中世都市の姿を読み取れます。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
細長い谷に居館や町が広がり、その背後の山地に城郭が築かれました。生活の場と戦いに備える場を、地形の高低によって分けた構成です。復原町並は天守の再建ではなく、発掘調査に基づく住まいと通りの復原です。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
朝倉氏の館と庭園
谷の居館跡では、建物の礎石や庭園の石組が暮らしの輪郭を伝えます。山上の防御施設とは異なる、政治と接客の場に注目できます。
復原町並
発掘された石垣や礎石を生かし、武家屋敷と町屋を復原しています。約200メートルの通りを歩き、屋敷と仕事場の違いを見比べられます。
谷と山の役割
一乗谷城は山上の城郭と山麓の居館・城下町が結び付いた城です。町並の散策と山城歩きは、別の行程として考えると全体像をつかめます。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 15世紀後半
朝倉氏の支配拠点として発展。
- 1573
朝倉氏が滅亡し、城下町が焼かれる。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
復原町並・博物館と山城の登山は距離も足場も異なります。山上まで行く場合は、谷の散策とは別に登山時間を確保してください。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



