まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 山城・詰めの城
- 築城・成立
- 1332年とされる
- 築城に関わった人物・勢力
- 楠木正成
- 別名・呼び名
- 千早城跡
- いま残るもの
- 曲輪などの地形、本丸跡に千早神社
THE STORY
歴史をひもとく
千早城は鎌倉時代末期、楠木正成の拠点として築かれました。1332年の築城とされ、幕府軍との籠城戦で知られています。正成の城の中では、山に退いて守る詰めの城としての役割を持ちました。現在は国の史跡で、山の地形や本丸跡を通して中世の戦い方を考える場所になっています。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
金剛山の中腹の尾根を使い、谷と急斜面によって進入方向を絞った山城です。平地の城のような整った大堀より、自然地形の険しさが守りの基本になります。現在の神社と城の曲輪の位置関係を見ながら歩くと、地形の利用が分かります。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
三方の深い谷
城は三方を谷に囲まれ、残る一方が金剛山へ続く尾根でした。登り道から、攻める側にとっての近づきにくさを考えられます。
千早神社
現在は本丸跡に千早神社があります。城の遺構を探す散策と、楠木氏を伝える信仰の場が重なっています。
山の城の連携
正成は赤阪の城や周辺の要塞とともに千早城を用いました。一つの城だけでなく、山全体を使う防御の拠点として考えられます。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 1332
楠木正成が築いたとされる。
- 鎌倉時代末期
幕府軍との籠城戦の拠点となる。
- 現在
城跡を史跡として保存し、本丸跡に神社がある。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
登山口からも登りが続く城跡です。観光協会は徒歩約20〜30分を案内していますが、山歩きの装備と天候に合った計画を用意してください。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



