No. 052近畿滋賀県

観音寺城

Kannonji Castle

城跡・遺構

繖山の斜面に石垣の区画が広がる、六角氏の山城です。安土城より前の石の城を考えるうえで、建築と暮らしの両面が面白い史跡です。

観音寺城跡に残る大きな石を使った石垣
観音寺城跡に残る大きな石を使った石垣写真:ブレイズマン ( talk ) 03:55, 13 June 2008 (UTC) · Public domain · 縮小・WebP変換。一覧では枠に合わせて表示。写真は撮影当時の姿です。現在の工事・公開状況は本文と公式案内でご確認ください。

まずは、城の素顔から

この城の基本情報

城のかたち
山城
築城・成立
創建年不明、1530〜1550年代に大きく整備
築城に関わった人物・勢力
佐々木六角氏
別名・呼び名
佐々木城
いま残るもの
石垣・曲輪・石段・排水施設など

THE STORY

歴史をひもとく

観音寺城の地には南北朝時代の記録があり、正確な創建年は明らかではありません。六角氏が当主の居城として石垣を多用した姿に整えたのは、1530〜1550年代と考えられています。1568年、織田信長の侵攻を前に六角氏は退きました。火災の痕跡もありますが時期には不明点があり、1579年の安土城完成によって役割を終えたとみられています。

LAYOUT & ARCHITECTURE

地形と建物を、見てみよう。

山頂から南斜面へ、多数の曲輪が段状に広がります。主要な曲輪は方形を意識した平面と大石の石塁を持ち、居住性にも目が向けられています。防御だけでは説明しきれない構造があることも、この城の研究上の特徴です。

A CLOSER LOOK

この城では、ここに注目。

01

石垣で囲む曲輪

伝本丸や伝平井丸などには、大きな石を使った囲いが残ります。戦国期の城として、石垣を広く用いた点に注目できます。

02

山上の暮らし

発掘では茶器や陶磁器が見つかっています。戦う砦であると同時に、客を迎えて文化を楽しむ場でもありました。

03

寺院と城の重なり

城の名前は山中の観音正寺に由来します。山の平場すべてが城の遺構と確定しているわけではなく、寺院との関係も研究されています。

THROUGH THE YEARS

歴史年表

  1. 1530–1550年代

    石垣を多用する居城へ整備されたと考えられる。

  2. 1568

    信長の侵攻を前に六角氏が退去。

  3. 1579

    安土城の完成により役割を終えたとみられる。

BEFORE YOU GO

訪ねる前の、ひとメモ。

観音正寺への参道と城跡の山道は区別して計画しましょう。城跡は広く足場も変わるため、案内図を用い、石垣に登らず歩ける経路から見学してください。

情報確認:2026年9月27日

出典・参考にした公式情報

営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。