まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 堀と石垣をめぐらせた平城
- 築城・成立
- 1597年着工、江戸初期に整備
- 築城に関わった人物・勢力
- 福原直高、竹中重利
- 別名・呼び名
- 府内城・荷揚城
- いま残るもの
- 宗門櫓・人質櫓、石垣・堀・天守台。廊下橋は復元
THE STORY
歴史をひもとく
福原直高が1597年に築城を始めました。その後、竹中重利が工事を引き継いで城郭を整えました。天守は1743年の火災で焼失し、以後再建されませんでした。現在残る宗門櫓は1859年、人質櫓は1861年の建物です。1995年には廊下橋が復元され、遺構と再建施設を組み合わせて城を伝えています。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
平地の城域を石垣と堀で区切り、曲輪を橋や門でつないでいました。建物の失われた天守台と、幕末から残る二つの櫓を見比べられます。復元された廊下橋は、外から眺めるだけでは分かりにくい曲輪同士のつながりを伝えます。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
江戸時代の櫓
宗門櫓と人質櫓は、幕末に建てられた現存建物です。城の創建時より後の建物ですが、近代の模擬櫓とは異なる歴史的建築です。
廊下橋
古図などをもとに1995年に復元されました。現存櫓と同じ年代の建物ではない点を意識して見比べられます。
堀と天守台
堀越しの石垣と天守台から、失われた城を想像できます。天守がないことも、1743年以降の城の歴史を示しています。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 1597年
福原直高が築城を開始。
- 1743年
天守が焼失し、その後再建されず。
- 1859・1861年
現存する宗門櫓・人質櫓が建つ。
- 1995年
廊下橋を復元。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
城跡の散策と櫓内部の公開は別に確認してください。工事や行事に伴う利用情報は大分市の案内が確実です。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



