まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 川と丘陵を組み合わせた平山城
- 築城・成立
- 中世に成立、近世に石垣などを拡充
- 築城に関わった人物・勢力
- 相良氏
- 別名・呼び名
- 繊月城
- いま残るもの
- 曲輪・石垣・門跡など
THE STORY
歴史をひもとく
相良氏は中世から人吉を拠点とし、江戸時代までこの地を治めました。城は中世の山城を基礎に、近世に石垣や城域を広げて整えられたと考えられます。1862年の大火では城にも大きな被害が及びました。現在は建物を失った城跡ですが、曲輪と石垣にその構成が残ります。2020年の豪雨後は保存修理が続き、2026年も川沿いの石垣工事が行われています。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
球磨川の南岸に位置し、西を胸川、東と南を山に守られた配置です。本丸を高所に置き、二の丸・三の丸を麓へ階段状に連ねました。石垣の上部には張り出した部分を持つ「武者返し」もあり、石積みの形そのものが見どころになります。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
二つの川
北の球磨川と西の胸川が、城の自然の防御線でした。川岸と山側を見比べると、自然地形が城の境界になっていたことが分かります。
石垣の遺構
川に面する城域には、石垣がまとまって残っています。上部の張り出しを持つ「武者返し」など、積み方にも特徴があります。
相良氏の城
長くこの地を治めた相良氏の歴史を伝える場所です。中世の山城から近世の石垣の城へ、重なる時代を考えられます。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 中世
相良氏の拠点として城が発展。
- 1862年
大火により城が被災。
- 2020年
豪雨で城跡と周辺が被災。
- 2026年
川沿い石垣の復旧工事が続く。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
水害の復旧や石垣工事に伴い、経路が変わる場合があります。人吉市の最新の開園・通行案内を確認してください。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



