まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 侵攻拠点の城郭と周囲の陣城群
- 築城・成立
- 1592年の開戦に向けて築造
- 築城に関わった人物・勢力
- 豊臣秀吉の命による築城
- 別名・呼び名
- 肥前名護屋城
- いま残るもの
- 天守台・石垣・曲輪、周囲の大名陣跡
THE STORY
歴史をひもとく
豊臣秀吉が朝鮮侵攻の拠点として築かせた城です。1592年の開戦に向け、全国の大名がこの地へ集結しました。城の周囲には130を超える陣屋が設けられたとされています。1598年に秀吉が没して日本軍が撤退すると、城の軍事的な役割は終わりました。現在は本城と陣跡の一部が特別史跡として保護され、調査と保存が続いています。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
丘陵上に大きな本城を置き、その周囲に多数の大名陣屋を配置しました。本城の石垣や天守台だけでなく、周辺の陣跡を合わせて見ることで軍事拠点全体の広がりが分かります。現在の建物の少ない地形に、かつての曲輪や出入口を読み取る遺跡です。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
大きな城域
本城だけで約17ヘクタールの規模がありました。曲輪を歩き比べると、一棟の建物では捉えられない規模を感じられます。
周囲の陣跡
城を取り巻く陣跡から、遠征のための集結地だったことが分かります。本城と陣屋を分けて考えると、各大名の配置が理解しやすくなります。
名護屋城博物館
隣接する県立博物館と合わせて、城と陣跡の背景を学べます。遺構だけでは見えにくい建物の姿や、戦争の歴史を補えます。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 1592年
朝鮮侵攻が始まり、名護屋が軍事拠点となる。
- 1598年
秀吉の死と撤退により拠点としての役割を終える。
- 1993年
県立名護屋城博物館が開館。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
城跡と大名陣跡は広い範囲に分かれています。博物館の案内や公式地図で訪問先を絞ると歩きやすくなります。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



