まずは、城の素顔から
この城の基本情報
- 城のかたち
- 石垣を備える近世城郭跡
- 築城・成立
- 16世紀末、豊臣系大名の時代と考えられる
- 築城に関わった人物・勢力
- 加藤光泰・浅野長政、幸長ら
- 別名・呼び名
- 甲斐府中城・一条小山城
- いま残るもの
- 石垣・曲輪。稲荷櫓・鉄門などは復元
THE STORY
歴史をひもとく
武田氏が滅んだ後、甲斐の支配者は織田・徳川から豊臣系の大名へと移りました。甲府城は16世紀末の加藤氏や浅野氏の時代に築かれたと考えられ、出土瓦もその背景を伝えます。江戸時代には徳川家や柳沢家の拠点となり、幕府直轄の時期もありました。近代に城域の一部が線路や市街地となりましたが、調査と整備を経て史跡公園として保存されています。
LAYOUT & ARCHITECTURE
地形と建物を、見てみよう。
丘上の本丸や天守曲輪などを石垣で分ける構成です。門と櫓が区画の境や縁に置かれました。現在の公園は旧城域の一部なので、復元建物だけでなく地図上の失われた範囲も合わせて見ると、城下との関係が理解できます。
A CLOSER LOOK
この城では、ここに注目。
築城期の石垣
市街地化の中でも城の石垣がよく残っています。曲輪ごとの高低差と石の面を見比べると、丘を区切って城を築いた様子が分かります。
稲荷櫓
稲荷櫓は、史跡整備の中で復元された建物です。石垣だけでは想像しにくい櫓の位置や、城の外観を考える手掛かりになります。
鉄門と区画
鉄門は本丸と天守曲輪の境にあった櫓門を復元したものです。門を目印にすると、広場に見える場所の役割を区別できます。
THROUGH THE YEARS
歴史年表
- 16世紀末
豊臣系大名のもとで築城が進む。
- 1704
柳沢家が甲府藩主となる。
- 1724
再び幕府直轄領となる。
- 2019
国史跡に指定。
BEFORE YOU GO
訪ねる前の、ひとメモ。
復元建物の内部公開と公園の利用条件は異なります。山梨県の最新案内で開館日、工事、見学できる範囲を確認してください。
情報確認:2026年9月27日
出典・参考にした公式情報
営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。



