No. 016関東・甲信越群馬県

箕輪城

Minowa Castle

城跡・遺構

榛名山から延びる尾根の端を利用した、堀の大きさが印象的な城です。長野氏から井伊直政まで受け継がれた改修の跡を、深い堀切と復元門から探れます。

木立の中にある箕輪城跡の石碑
木立の中にある箕輪城跡の石碑写真:デジタルカメラ · Public domain · 縮小・WebP変換。一覧では枠に合わせて表示。写真は撮影当時の姿です。現在の工事・公開状況は本文と公式案内でご確認ください。

まずは、城の素顔から

この城の基本情報

城のかたち
丘陵の尾根を利用した城跡
築城・成立
16世紀初め頃/16世紀末まで改修
築城に関わった人物・勢力
長野氏、武田氏、井伊直政ら
別名・呼び名
—
いま残るもの
堀切・土塁・石垣・曲輪。門と橋は復元

THE STORY

歴史をひもとく

箕輪城は16世紀初め頃の長野氏の城を起源とします。武田氏、その後の勢力交代を経て、最後の城主は井伊直政でした。現在見られる主要な構えには、井伊氏時代の改修が強く反映されています。1598年に直政が高崎へ移ったことで廃城となり、現代の発掘と復元がその姿を明らかにしています。

LAYOUT & ARCHITECTURE

地形と建物を、見てみよう。

低い尾根に曲輪を連ね、深い堀で区切っています。西側の断崖などの自然地形に、人工の堀と土橋を組み合わせた設計です。入口の石垣や排水施設も確認され、土の城だけでは捉えきれない最終段階の工夫を示します。

A CLOSER LOOK

この城では、ここに注目。

01

大堀切

二の丸南側の大堀切は、城を南北に分ける重要な防御線です。土橋でつながる区画の関係を見ると、進路を限る仕組みが分かります。

02

郭馬出西虎口門

発掘で見つかった礎石をもとに、井伊氏時代の門が復元されました。門の規模と周囲の堀を合わせて見ると、入口の重要性が伝わります。

03

本丸西虎口

木橋と門が本丸への動線を示しています。本丸西虎口門は2026年に公開され、建物が失われていた場所の構えを理解しやすくなりました。

THROUGH THE YEARS

歴史年表

  1. 16世紀初め頃

    長野氏が城を築いたとされる。

  2. 1598

    井伊直政が高崎へ移り廃城。

  3. 2026

    本丸西虎口門を公開。

BEFORE YOU GO

訪ねる前の、ひとメモ。

見学路と復元施設の最新状況は高崎市の保存整備案内で確認してください。2026年4月に木橋の通行規制が解除されていますが、以後の変更にもご注意ください。

情報確認:2026年9月27日

出典・参考にした公式情報

営業時間・入城料・工事や公開範囲は、訪問前に各施設の公式案内をご確認ください。