ガンディー
1930年
塩の行進など、非暴力・不服従によるインド独立運動を進めた
イギリスの植民地支配に対し、暴力によらない抵抗を重視しました。宗教間の対立にも心を痛めます。インド独立は多くの運動や政治交渉を経て実現しました。非暴力という方法と、経済や生活に関わる具体的な抵抗を結び付けて理解しましょう。
第5部 · 第29章
20世紀中頃〜後半 / アジア・アフリカ・アメリカ
位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。
考える視点:独立や法的な平等の後にも経済・教育・生活の格差が残る
第二次世界大戦後、アジアとアフリカの多くの地域で独立が進みました。戦前からの運動、戦争による支配国の変化、国際的な理念などが関わります。独立宣言、戦争の終結、国際的な承認は同じ年とは限りません。地域ごとの過程を確認しましょう。
ガンディー、ネルー、スカルノ、ホー・チ・ミンらの役割は異なります。非暴力の運動、交渉、武装闘争、の運営をすべて同じ活動としないようにします。独立運動の内部にも、宗教、階級、地域、望む制度の違いがありました。
政治的に独立しても、期の経済構造や国境、教育の格差は残ります。輸出する一次産品の価格、外国の資金、国内の産業などがの運営を左右しました。独立をすべての問題が解決した出来事として扱わず、その後の生活や政治を追います。
1955年のアジア・アフリカ会議は、主義への反対や協力の方向を示しました。は単に国際政治に関わらない立場ではありません。各国は条件に応じて外交を行い、二大国のどちらかだけに依存しない道を求めました。
世界宣言などは人々の権利を共通の問題として示しました。ただし、宣言があることと各地で権利が実現することは同じではありません。政府、裁判、学校、職場、家庭などで制度や慣行を変える必要があります。権利を認める言葉と実行の仕組みを分けて読みます。
アメリカの公民権運動ではキングやローザ・パークスらが人種差別に抵抗しました。運動は一人の英雄だけでなく、地域の組織と参加者に支えられます。の廃止後にも隔離が続いたことから、法的なと生活の平等の違いが分かります。
南アフリカのアパルトヘイトは人種による隔離と不平等を制度化しました。マンデラらの運動、国際的な圧力、交渉がその撤廃へ関わります。1994年の選挙は重要な目印ですが、経済や教育の格差が一度に消えたわけではありません。
女性の権利や障害のある人の参加なども、長い運動と制度の変化に関わります。の歴史を一方向の進歩として終えず、残った課題や後退も考えましょう。制度、社会の慣行、人々の行動を関連付けることが理解の基本です。
独立と分離は社会に大きな移動と被害をもたらした。
植民地主義への反対と国際的な協力が示された。
多数の国が独立し、国際秩序に参加した。
制度の転換後も、生活の格差などの課題が残った。
本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。
1930年
塩の行進など、非暴力・不服従によるインド独立運動を進めた
イギリスの植民地支配に対し、暴力によらない抵抗を重視しました。宗教間の対立にも心を痛めます。インド独立は多くの運動や政治交渉を経て実現しました。非暴力という方法と、経済や生活に関わる具体的な抵抗を結び付けて理解しましょう。
1947年
独立したインドの初代首相となった
独立運動に参加し、国家の制度や産業の整備を進めました。冷戦では非同盟の立場を重視します。ガンディーが独立運動の象徴であるのに対し、ネルーは独立後の政府の運営を担いました。運動と国家建設という役割の違いを整理しましょう。
1945年
インドネシアの独立を宣言し、初代大統領となった
オランダの植民地支配からの独立運動で活動しました。独立宣言後もオランダとの交渉や戦闘が続きます。1955年のアジア・アフリカ会議の開催にも関わりました。独立を宣言した年と、国際的な承認が進んだ時期を区別しましょう。
1945年
ベトナム民主共和国の独立を宣言した
フランスの植民地支配に対する運動に関わりました。第二次世界大戦後も独立と統一をめぐる戦争が続きます。ベトナム戦争は冷戦の対立とも結び付きました。独立運動、国家の成立、南北の統一という異なる段階を整理しましょう。
1963年
公民権運動で人種差別に非暴力で抵抗し、「私には夢がある」と演説した
アメリカの牧師・運動指導者です。法や慣行による黒人差別に抗議し、多くの人々とともに権利の拡大を求めました。公民権法などの成立につながります。運動は一人の指導者だけでなく、地域の組織や参加者の活動によって支えられました。
1955年
バスの人種隔離に抗議し、モンゴメリーのボイコット運動の契機となった
アメリカの公民権運動に関わった女性です。白人に席を譲る要求を拒み、逮捕されました。その前から差別に反対する活動を行っています。偶然の行動だけで運動が始まったと考えず、長年の組織的な活動と多くの人々の参加を押さえましょう。
1994年
アパルトヘイトに反対し、南アフリカ初の黒人大統領となった
人種隔離政策に対する運動で長く投獄されました。釈放後は交渉と和解を進め、すべての人種が参加する選挙で大統領となります。制度の廃止後も経済的な格差などは残りました。政治的な権利の回復と、社会の課題を分けて理解しましょう。
1945年
51カ国で設立。
マンデラ
1994年就任。
1948年
パレスチナの地に。
公民権運動
「I Have a Dream」。
南アフリカ
1991年撤廃。
第四次中東戦争
原油価格が約4倍に。
反植民地主義・平和共存・民族自決
1955年のバンドン会議で確立。第三世界の連帯の理念。
1979年
キャンプ・デービッド合意に基づく。アラブ諸国で初めてイスラエルを承認。
アジア・アフリカの新興独立国
29カ国。反植民地主義・平和共存を宣言。
ネルー・ナセル・ティトー
1961年のベオグラード会議で正式発足。冷戦の東西どちらにも属さない。
バンツースタン(ホームランド)
黒人を「外国人」扱いにする政策。
パレスチナゲリラによるイスラエル選手団の人質事件
「黒い九月」事件。選手11人が死亡。
ローザンヌ(スイス)
1915年に本部をパリからローザンヌに移転。
1990年
27年間の獄中生活。デクラーク大統領が釈放。
クムラン(パレスチナ)
1947年に羊飼いの少年が洞窟で発見。
真理の力(非暴力的抵抗)
暴力を使わずに不正に抵抗する思想。
アパルトヘイト時代の人権侵害の真相究明と和解
ツツ大主教が議長。報復ではなく赦しを重視。
1944年
主要国の中ではかなり遅い。
1945年
戦後改革の一環。1946年の選挙で初めて行使。
平和十原則(反植民地主義・平和共存)
アジア・アフリカの29カ国が参加。非同盟運動の基礎。
エジプトとイスラエル
1978年。カーター大統領が仲介。サダトとベギン。
イスラエルとPLO
ラビンとアラファト。パレスチナ暫定自治。
ナセル
1956年。第二次中東戦争(スエズ危機)のきっかけ。
第19修正条項
1920年に批准。
1948年
12月10日。国連総会で採択。
バスの座席を白人に譲ること
1955年。モンゴメリー・バス・ボイコット運動の契機。
ロベン島
27年間の獄中生活。
1968年
メンフィスで銃撃された。
デクラーク
マンデラと共にノーベル平和賞(1993年)。
スカルノ
1945年。オランダからの独立。
ホー・チ・ミン
1945年にフランスからの独立を宣言。
同一の土地に対するユダヤ人とアラブ人の帰属意識の対立
1948年のイスラエル建国が直接的な引き金。
国際連合
国際連盟の反省を踏まえ、より実効性を持たせる形で設立された。
バンドン会議(アジア・アフリカ会議)
第三世界の連帯を示す象徴的な会議となった。
イスラエル
ユダヤ人国家建設を目指すシオニズム運動の結実とされる。
ネルソン・マンデラ
1994年、全人種参加の選挙を経て大統領に就任した。
1960年
ナイジェリアやコンゴなどが一斉に独立した。
キャンプ・デービッド合意
翌年、アラブ諸国で初めてイスラエルと平和条約を結んだ。
本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。
1945年
51カ国で設立。
マンデラ
1994年就任。
1948年
パレスチナの地に。
公民権運動
「I Have a Dream」。