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第5部 · 第28章

冷戦の構造と国際秩序

1945〜1980年代 / 欧米・アジア・世界

用語集
この章の目次
  1. 協力から対立へ
  2. 核兵器と危機
  3. アジアと周辺の戦争
  4. 生活と競争
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

冷戦の構造と国際秩序の主な地域12345
  1. ワシントンD.C.
  2. モスクワ
  3. 朝鮮半島
  4. ベトナム
  5. キューバ

位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景戦後の制度と安全保障の対立
  2. 展開 →軍事同盟、核軍拡、地域の戦争
  3. 結果 →危機と交渉、技術と生活の競争

考える視点:二色の陣営図だけでは地域の目的と住民の経験を説明できない

1. 協力から対立へ

アメリカとソ連は戦時に協力しましたが、戦後は政治と経済、安全保障をめぐって対立を深めました。は両国が直接全面戦争をするのを避けながら、軍事、外交、宣伝、経済などで競う状態です。対立の原因を一つの演説や一つの政策だけで説明することはできません。

ヨーロッパでは復興援助、同盟、占領地域の制度などが東西の分断に関わりました。NATOやワルシャワ条約機構は軍事的な枠組みですが、加盟する国の利害は一様ではありません。地図の二色だけで住民の生活や国内の対立を説明しないようにしましょう。

2. 核兵器と危機

核兵器は破壊の規模を変え、軍拡との議論を生みました。とは、相手が反撃の危険を考えて攻撃を控えると期待する考えです。ただし誤認や事故、政治的な判断によって危機が深まる可能性がありました。兵器の数だけで安全を説明できません。

キューバ危機などでは、軍事的な準備と外交的な交渉が並行しました。緊張緩和や軍備管理もの一部です。常に同じ強さで対立した時代とせず、競争、協力、危機の変化を段階ごとに追いましょう。

3. アジアと周辺の戦争

朝鮮戦争やベトナム戦争では、国際的な対立と地域の歴史が重なりました。地域の人々を二大国が動かす駒としてだけ見るのは不十分です。支配、独立、国内の勢力、土地や社会の問題も関わります。外部の支援と現地の目的を分けて考えます。

の対立はアフリカ、ラテンアメリカ、中東などにも影響しました。政変や内戦には地域の条件があり、一つの図で全てを説明できません。住民の生活、難民、開発の課題などを、軍事的な出来事と一緒に読みます。

4. 生活と競争

では科学技術、宇宙開発、スポーツ、文化も競争の場でした。の制度の優位を示すため、生活水準や教育の成果が宣伝されます。比較する際は、数字の意味や対象を確かめる必要があります。技術の発展は軍事と日常生活の両方へ影響しました。

東西の社会の内部にも格差、差別、政治的な抑圧や運動がありました。の公式の理念を住民全員の経験と同じにしないことが重要です。の国々も独自の立場を求めました。次の章で、独立した国々が国際秩序をどう変えたかを考えます。

年表で流れを確かめる

  1. 1949年
    NATOの成立

    西側の軍事的な協力の枠組みが作られた。

  2. 1950年
    朝鮮戦争の始まり

    冷戦と朝鮮半島の分断、地域の政治が重なった。

  3. 1962年
    キューバ危機

    核戦争の危険と外交的な調整が問題となった。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

キューバ危機の米大統領は?

ケネディ

1962年。核戦争回避。

マーシャル・プランの目的は?

西欧の経済復興

1947年。アメリカの経済援助。

NATO設立の年は?

1949年

ソ連に対抗。

朝鮮戦争開始の年は?

1950年

1953年休戦。

ベトナム戦争の米軍撤退年は?

1973年

パリ和平協定。

冷戦時のソ連の軍事同盟は?

ワルシャワ条約機構

1955〜1991年。

鉄のカーテン演説をした人物は?

チャーチル

1946年。冷戦の始まりを象徴。

1970年代の「デタント(緊張緩和)」が終わった原因は?

ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)

カーターがモスクワ五輪ボイコットを決定。レーガンが強硬路線に。

「鉄のカーテン」演説の場所は?

アメリカのフルトン(ミズーリ州)

1946年3月。チャーチルがウェストミンスター大学で演説。

マーシャル・プランに対抗してソ連が設立した機関は?

コミンフォルム

1947年。共産党情報局。西側の影響に対抗。

ベトナム戦争の「トンキン湾事件」(1964年)の結果は?

アメリカの本格的軍事介入の根拠に

トンキン湾決議。のちに事件の信憑性が疑問視された。

コメコン(経済相互援助会議)とは?

ソ連を中心とする東側の経済協力機構

1949年設立。マーシャル・プランに対抗。

ベトナム戦争後に海を渡って逃れた難民を何という?

ボートピープル

1975年以降。多くが東南アジアやアメリカに渡った。

トルーマン・ドクトリンの内容は?

共産主義の封じ込め政策

1947年。ギリシアとトルコへの援助を表明。

ベルリン封鎖(1948〜49年)に対する西側の対応は?

大規模な空輸作戦(ベルリン空輸)

約11ヶ月間、航空機で食料・燃料を輸送。

スプートニク・ショックとは?

ソ連の人工衛星打ち上げ成功への衝撃

1957年。アメリカの宇宙・教育政策に大きな影響。

ベトナム戦争でアメリカが使用した枯葉剤は?

エージェント・オレンジ

ジャングルの除去と食料破壊が目的。深刻な健康被害。

デタント(緊張緩和)の時期は?

1970年代

ニクソン訪中・訪ソ、SALT条約など。

チェコスロバキアの「プラハの春」を鎮圧したのは?

ワルシャワ条約機構軍(ソ連中心)

1968年8月。ドゥプチェクの改革を武力で阻止。

ワルシャワ条約機構が設立された年は?

1955年

NATOに対抗する東側の軍事同盟。

SALT I(第一次戦略兵器制限交渉)の年は?

1972年

ニクソンとブレジネフ。ABM制限条約も同時締結。

マーシャル・プランで復興した地域は?

西ヨーロッパ

1948〜52年に約130億ドルを援助。

「鉄のカーテン」とは何を指す?

東西ヨーロッパの分断線

チャーチルが1946年の演説で使用した比喩。

ベトナム戦争のテト攻勢の年は?

1968年

北ベトナムの大規模攻勢。アメリカの世論転換に。

コソボ紛争でNATOが空爆した年は?

1999年

セルビアに対する空爆。コソボは2008年に独立宣言。

1955年、ソ連を中心にNATOへの対抗として結成された東側の軍事同盟は?

ワルシャワ条約機構

冷戦終結後の1991年に解体した。

1950〜53年に戦われ、休戦協定は結ばれたが講和条約が結ばれていない戦争は?

朝鮮戦争

南北分断が固定化される契機となった。

1962年、ソ連のミサイル配備をめぐり米ソの核戦争危機を招いた出来事は?

キューバ危機

ケネディ大統領とフルシチョフ首相の交渉で危機は回避された。

1975年のサイゴン陥落で終結した、南北ベトナムとアメリカが関わった戦争は?

ベトナム戦争

アメリカが本格介入したが、最終的に撤退した。

1949年、マーシャル・プランに対抗してソ連と東欧諸国が作った経済協力機構は?

コメコン(経済相互援助会議)

冷戦終結にともない1991年に解散した。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

キューバ危機の米大統領は?

ケネディ

1962年。核戦争回避。

マーシャル・プランの目的は?

西欧の経済復興

1947年。アメリカの経済援助。

NATO設立の年は?

1949年

ソ連に対抗。

朝鮮戦争開始の年は?

1950年

1953年休戦。

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