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第5部 · 第30章

戦後の東アジアと経済成長

1945〜20世紀末 / 日本・中国・朝鮮半島・東南アジア

用語集
この章の目次
  1. 日本の制度と復興
  2. 成長と社会の負担
  3. 中国と朝鮮半島
  4. 地域の経済と協力
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

戦後の東アジアと経済成長の主な地域12345
  1. 東京
  2. 北京
  3. ソウル
  4. 台湾
  5. シンガポール

位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景戦争と占領、内戦、独立の経験
  2. 展開 →制度の改革と工業化、外交の転換
  3. 結果 →都市、生活、地域の経済が変わる

考える視点:成長の利益と環境・労働・地域の負担を同時に考える

1. 日本の制度と復興

日本では占領下で憲法、選挙、土地、教育などの制度が変わりました。改革には日本の政府や議会、占領当局、社会の運動が関わります。新しい法律が公布されることと、それが生活の中で働くことは別です。復興の過程を制度と人々の仕事の両方から読みます。

吉田茂の時代の講和と安全保障は、日本の国際的な位置を定めました。サンフランシスコ平和条約の署名は1951年、発効は1952年です。の回復と、基地や地域の課題を分けて理解します。戦争の終わりから講和までの時間も重要でした。

2. 成長と社会の負担

高度経済成長では産業、、交通、家電などが生活を変えました。池田勇人の所得倍増計画はその方向を示します。成長は農村からの人口移動、労働、教育、国際市場などに支えられます。政策だけで経済がすべて動いたと考えないようにしましょう。

公害や地域の格差、住居、労働の課題も広がりました。企業の生産量と人々の健康や生活を別々にしないことが大切です。佐藤栄作の時代の沖縄復帰や田中角栄の日中国交正常化も、外交と国内の社会の関係を示します。

3. 中国と朝鮮半島

中国では内戦を経て1949年に中華人民共和国が成立しました。大躍進や文化大革命は深刻な被害を生み、後に改革開放が進みます。の成立、政策の実行、政策の変更を異なる段階として読む必要があります。公式の目標と住民の経験を照らし合わせます。

朝鮮半島では分断と戦争が社会に大きな影響を与えました。戦争の休止と政治的な対立の解決は同じではありません。韓国の工業化と民主化、北朝鮮の制度、国際的な関係を、地域の人々の生活と結び付けて学びます。現在の状況を過去全体へ当てはめないようにします。

4. 地域の経済と協力

東南アジアなどでも工業化、化、貿易が広がりました。外国の投資や輸出は仕事を生む一方、国際市場の変動を受ける条件にもなります。経済成長の速度だけでなく、利益がどう分配され、環境や労働に何が起きたかを確認します。

地域の協力は経済と安全保障、のの調整を必要とします。東アジアを一つの同じ発展の道とみなさず、戦争、独立、制度、資源の違いを比較しましょう。日本史の出来事も世界史の同時代の動きの中へ置くことで、その意味がより明確になります。

年表で流れを確かめる

  1. 1949年
    中華人民共和国の成立

    内戦後の国家の成立と、その後の政策の段階を区別する。

  2. 1952年
    日本の講和条約発効

    主権の回復と安全保障の制度が戦後の立場を定めた。

  3. 1972年
    沖縄復帰・日中国交正常化

    日本の地域と外交の条件が変わった。

  4. 1978年
    中国の改革開放の転換

    経済や社会の制度の変更が進められた。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

毛沢東

1949年

中国共産党を率い、中華人民共和国の成立を宣言した

国共内戦を経て新しい国家の中心となりました。大躍進政策や文化大革命は社会に深刻な混乱や被害をもたらします。国家の成立だけでなく、その後の政策と人々の生活への影響を学びましょう。孫文や蔣介石とは所属する政治勢力が異なります。

中華人民共和国の建国者は?

毛沢東

1949年。

文化大革命を始めたのは?

毛沢東

1966〜76年。

天安門事件の年は?

1989年

6月4日。民主化運動を鎮圧。

中国の改革開放政策を始めた指導者は?

鄧小平

1978年から市場経済導入。

天安門事件で学生が作った象徴的な像は?

民主の女神像

自由の女神を模した像。軍により撤去された。

「大躍進」政策の失敗後に毛沢東に代わって実権を握ったのは?

劉少奇と鄧小平

しかし文化大革命で毛沢東が巻き返し、両者は失脚。

中国の「四つの近代化」を推進した指導者は?

鄧小平

農業・工業・国防・科学技術の近代化。改革開放路線。

天安門事件で「タンクマン」が止めたのは?

戦車の列

1989年6月5日の象徴的な映像。

サンフランシスコ平和条約の年は?

1951年

日本と連合国48カ国との講和条約。

中国の「改革開放」政策で設置されたのは?

経済特区

深圳などに外国資本を導入。

中国の天安門広場で民主化を求めた象徴的な光景は?

戦車の前に立つ男性(タンクマン)

1989年6月5日。身元不明の男性が戦車を止めた。

1949年、国共内戦を経て成立した中華人民共和国の初代国家主席は?

毛沢東

内戦に敗れた蔣介石は台湾へ逃れた。

農業・工業・国防・科学技術の近代化を掲げた中国の政策目標は?

四つの現代化

周恩来が提唱し、鄧小平の改革開放で本格化した。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

中華人民共和国の建国者は?

毛沢東

1949年。

文化大革命を始めたのは?

毛沢東

1966〜76年。

天安門事件の年は?

1989年

6月4日。民主化運動を鎮圧。

中国の改革開放政策を始めた指導者は?

鄧小平

1978年から市場経済導入。

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