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第1部 · 第6章

ローマの共和政と帝国

前1千年紀〜5世紀 / 地中海・ヨーロッパ

用語集
この章の目次
  1. 共和政と支配の拡大
  2. 内戦から帝政へ
  3. 帝国の暮らしと文化
  4. キリスト教と帝国の変化
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

ローマの共和政と帝国の主な地域1234
  1. ローマ
  2. カルタゴ
  3. アレクサンドリア
  4. コンスタンティノープル

位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景地中海への拡大と社会の格差
  2. 展開 →内戦と権力の集中
  3. 結果 →帝政、都市、法、宗教の変化

考える視点:広い支配を支える税・軍事・地方との関係が課題になる

1. 共和政と支配の拡大

ローマでは王政の後にの制度が形成されました。元老院や公職、民会などが関わりますが、すべての人が同じ権利を持ったわけではありません。貴族と平民の争いは政治参加の変化につながりました。制度名を覚えるだけでなく、誰が意思決定し、誰が軍事や税を負担したかを考えます。

イタリアから地中海への拡大では、戦争と同盟が用いられました。カルタゴとのポエニ戦争の後、支配地や奴隷、富が増えます。土地を失う農民や軍隊への依存など、拡大は内部の社会も変えました。外国との戦争と国内の・財産の変化を関連付けることが重要です。

2. 内戦から帝政へ

政治の対立と内戦の中で、軍隊を率いる人物が力を強めました。カエサルは独裁官として権力を集中させ、暗殺されます。その後の争いを経て、オクタウィアヌスがアウグストゥスの称号を受けました。カエサルを初代皇帝としないように、から帝政への段階を区別しましょう。

元首政はの制度を残しながら皇帝に実権を集めました。の安定は軍隊、道路、港、税、地方の有力者などに支えられます。平和と呼ばれる時代にも、辺境の戦争や反乱はありました。中心のからだけでなく、支配される地方の人々の立場も考えます。

3. 帝国の暮らしと文化

には水道、浴場、広場などが整備され、が各地をつなぎました。法は家族、所有、契約などの問題を扱います。ローマの文化にはギリシアなどから受け継いだものも多くあります。の共通性と、各地域に残る言語や信仰、生活の違いの両方に目を向けましょう。

奴隷の労働やの差は社会の重要な部分でした。の壮大な建築だけで豊かさを判断すると、その生活を支えた人々が見えなくなります。女性、奴隷、地方の住民など、政治史に現れにくい人々についても資料の限界を意識しながら考えます。

4. キリスト教と帝国の変化

キリスト教は内で広がり、公的な祭祀との関係から迫害を受けることもありました。ただし、迫害が常に同じ強さで行われたわけではありません。コンスタンティヌス1世の時代の公認と、後の正統な信仰としての位置付けは別の段階です。信仰の違いと政治的な忠誠が重なる点が重要でした。

の分割、軍事費、政治的な対立、周辺の集団との関係などが変化します。西ローマの終わりを、外から一つの民族が来たという一つの原因で説明できません。東のは続き、法や宗教、の伝統も引き継がれました。古代と中世の境界は、すべてが一度に消える境目ではありません。

年表で流れを確かめる

  1. 前27年
    アウグストゥスの称号

    共和政の制度を残しながら皇帝へ実権を集める元首政が形成された。

  2. 313年
    キリスト教公認の政策

    信仰を認めることと、国の正統な信仰とすることは別の段階。

  3. 380年
    ニカイア派を正統な信仰とする政策

    テオドシウス1世の宗教政策。392年の異教祭祀の禁止と区別する。

  4. 476年
    西ローマ皇帝の廃位

    西側の支配が変化した目印で、東ローマ帝国は続いた。

文化・社会を深く読む

この地域の前後の時代も含め、信仰・思想と暮らしの関係をたどる読み物です。

イエスと復活の信仰

1世紀、ローマの支配下にあったユダヤ社会で、ナザレのイエスが活動しました。イエスは神の国などを説き、ローマ総督ポンティウス・ピラトゥスのもとで十字架刑に処されました。弟子たちの間に、イエスが復活したという信仰が生まれ、イエスをキリスト(メシア)と理解する共同体が形成されます。処刑という歴史的出来事と、復活が持つ信仰上の意味は区別して記述します。

初期の信徒たちは、イエスの出来事をユダヤ教の聖書との関係で理解しました。のちに福音書や書簡などが権威ある文書として集められ、新約聖書を構成します。文書は成立した時期や目的が異なるため、すべてを同じ時点の直接の記録として扱うのではなく、比較しながら読む必要があります。

パウロと地中海のネットワーク

パウロらは非ユダヤ人にも教えを伝え、各地の都市に共同体ができました。共通語としてのギリシア語、交通路、都市の人間関係、離散したユダヤ人の共同体などが伝道の背景にあります。非ユダヤ人にユダヤ教の規定をどこまで求めるかは重要な論点でした。キリスト教とユダヤ教の分化は、地域差のある長い過程であり、ある一日に二つへ分かれたわけではありません。

同じ共同体に背景の異なる人が集まると、食事や慣習をどう共有するかも問題になります。伝道の広がりは、単に信徒の人数が増えることではなく、共同体の境界と参加の条件を問い直す過程でもありました。教義の議論と、実際にともに生きる仕組みは結びついています。

迫害から公認へ ― 313年

キリスト教徒への迫害は、帝国全土で常に同じ強さで続いたわけではありません。時期や地域によって、公的祭祀への不参加などが問題とされました。4世紀初めに大きな転換が起こり、313年、コンスタンティヌスとリキニウスによる、いわゆるミラノ勅令で信仰の自由と没収財産の返還が認められました。教会は保護を受けて建築や組織を拡充します。この年を「国教化」と覚えるのは誤りです。

国家の保護は教会に財産や活動の機会をもたらしましたが、同時に皇帝が教会の争いの調整に関わる道も開きました。迫害される少数の集団から、帝国の秩序を担う制度へと位置づけが変わると、信仰と政治の関係も新しい問題を抱えることになります。

教義の論争と皇帝の介入

325年のニカイア公会議では、キリストと父なる神の関係をめぐる論争が扱われました。380年にはテオドシウス1世らの勅令がニカイア派の信仰を帝国の規範とする方針を示します。一般に「国教化」と呼ばれる転機ですが、他の祭祀への規制はその後も段階的に進みました。451年のカルケドン公会議の決定も全教会に受け入れられたわけではなく、古代から複数の教会の系統が形成されていきます。

公会議を「宗教の正解が決まった会議」とだけ覚えると、受け入れなかった共同体の歴史が見えません。キリストの神性と人性をどのように説明するかは、言葉の意味、地域の伝統、教会の権威とも関わりました。この古代の分岐は、中世以降のキリスト教世界の多様性の前提となります。

史料を読み解く

金箔ガラスに二人の聖人と名前が描かれ、中央の柱の上にキリストを表す文字の組合せが置かれる。
ペトロとパウロ、キリストのモノグラムを表す器の底。4世紀後半、ガラス・金箔、直径約9.9cm。
The Metropolitan Museum of Art, New York / Rogers Fund, 1916(作品番号 16.174.3)
Bowl Base with Saints Peter and Paul Flanking a Column with the Christogram of Christ · CC0 1.0 / Public Domain(The Met Open Access)
1世紀の使徒たちを4世紀後半に表現した作品。同時代の本人の肖像ではありません。

名前と象徴で使徒を示す金箔ガラス

円形のガラスにはペトロとパウロが左右に描かれ、周囲の文字が人物を特定する助けになります。中央にはキリストを表すモノグラムがあります。所蔵館は髪やひげの表現にも、それぞれの使徒を示す慣習があると説明しています。これは使徒の実際の顔を写した記録ではなく、4世紀後半に共有された聖人像を知る資料です。教会の歴史を法令や公会議の年だけで追うと、信仰が身近な品物にも表されたことを見落とします。一方、一枚のガラス器から帝国の全住民が改宗済みだったとは言えません。

313年の公認と、この4世紀後半の器を組み合わせると何が分かりますか?

国家との関係が変わった時代に、使徒やキリストの象徴を用いた物が作られたことを考えられます。ただし法令と一点の品物の間に、直接の因果関係や全住民の改宗を証明することはできません。

国家の方針と生活の資料を読み分ける

資料主に読み取れることその資料だけでは分からないこと
313年の公認をめぐる記録キリスト教の法的地位の変化住民全員の実際の信仰
テオドシウス法典 XVI.1.2皇帝が支持する信仰と排除の方針方針が各地で実施された程度
4世紀後半の金箔ガラス使徒と象徴の身近な造形表現使徒の実際の顔や、帝国全体の信徒数

法令は支配者が求める状態を示します。命令されたことと、社会で実現したことは分けて調べます。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

カエサル

紀元前44年

ローマで独裁官として権力を集中させ、元老院議員らに暗殺された

ガリア征服で軍事的な名声を得た政治家・軍人です。内戦を経て権力を強めましたが、共和政を脅かすとして反発を受けます。暗殺後も内戦は続き、後にアウグストゥスのもとで帝政が成立しました。カエサル本人を初代皇帝としないようにしましょう。

アウグストゥス

紀元前27年

ローマの初代皇帝となり、元首政の基礎を築いた

オクタウィアヌスとして内戦を勝ち抜き、アウグストゥスの称号を受けました。共和政の制度を残しながら実権を集めた点が特徴です。その後のローマの安定と拡大につながります。カエサルとの関係と、帝政成立の段階を分けて整理しましょう。

コンスタンティヌス1世

313年

リキニウスとともにキリスト教を公認する政策を進めた

ローマ皇帝で、後にコンスタンティノープルを都としました。313年のミラノ勅令で知られる政策はキリスト教の公認に関わります。国教化とされる380年の政策は別の皇帝の時代です。公認と国教化を区別し、帝国の政治と宗教の関係を学びましょう。

初代ローマ皇帝は?

アウグストゥス

前27年に帝政開始。

ローマとカルタゴの戦争は?

ポエニ戦争

ハンニバルのアルプス越え。

ローマを東西に分けた皇帝は?

テオドシウス帝

395年に分裂。

カエサルが渡った川は?

ルビコン川

「賽は投げられた」。

ローマの護民官の権限は?

拒否権

平民の代表として元老院に対抗。

カエサルを暗殺した人物は?

ブルートゥス

前44年3月15日。

キリスト教を公認した皇帝は?

コンスタンティヌス帝

313年ミラノ勅令。

五賢帝の最後は?

マルクス・アウレリウス

「自省録」の著者。

ローマの代表的な街道は?

アッピア街道

「すべての道はローマに通ず」。

ローマ帝国が東西に分裂した年は?

395年

テオドシウス帝の死後。

西ローマ帝国が滅亡した年は?

476年

オドアケルにより滅亡。

古代ローマの身分闘争で平民が得た権利は?

リキニウス・セクスティウス法

前367年。コンスル1名を平民から選出。

古代ローマの「ラテン語」が後世に与えた影響は?

ロマンス諸語(仏伊西葡ルーマニア語)の母体

学術・法律・宗教の共通語として中世以降も使用。

古代ローマの「ラティウム」とは?

ローマ周辺のラテン人の居住地域

ローマの発祥地。ラテン語の名前の由来。

古代ローマの「プロレタリイ」とは?

財産を持たない最下層の市民

子供(プロレス)だけが国家への貢献。マリウスの軍制改革で兵士に。

古代ローマの「ウェスタの巫女」の特徴は?

30年間の純潔の誓い

聖なる火を絶やさない義務。破った場合は生き埋めの刑。

古代ローマの「カタコンベ」とは?

地下墓地(初期キリスト教徒の埋葬場所)

迫害時代に秘密の礼拝場所としても使用された。

古代ローマの「凱旋門」の目的は?

戦勝将軍の功績を記念

ティトゥスの凱旋門、コンスタンティヌスの凱旋門が現存。

古代ローマの「水道橋」の総延長は?

約400km以上(ローマ市向け11本の水道)

1日に約100万立方メートルの水を供給。

古代ローマの「フォルム(フォロ)」とは?

公共広場(政治・商業・宗教の中心)

フォロ・ロマーノがローマの中心。元老院・神殿・市場が並んだ。

古代ローマの「ネロ帝」が有名な理由は?

ローマ大火(64年)とキリスト教徒迫害

「ローマが燃えるのを竪琴を弾きながら眺めた」という伝説。

古代ローマの「コロッセオ」の正式名称は?

フラウィウス円形闘技場

80年に完成。フラウィウス朝の皇帝が建設。

古代ローマの「グラディエーター(剣闘士)」の出身は?

奴隷・戦争捕虜・犯罪者が多い

一部は自発的に参加する自由人もいた。勝ち続ければ解放も。

古代ローマの「十二表法」の制定年は?

前450年頃

平民が法の公開を要求して実現。

ローマの「カティリーナの陰謀」を暴いた人物は?

キケロ

前63年。元老院での弾劾演説で有名。

古代ローマで「永遠の都」と呼ばれた都市は?

ローマ

伝説では前753年にロムルスが建設。

ローマの「穀物法」の目的は?

貧民への無料または安価な穀物配給

グラックス兄弟以降。「パンとサーカス」政策の一環。

ローマの「トリブヌス・プレビス(護民官)」の特権は?

元老院の決定への拒否権(ヴェトー)

平民の権利を守る「聖なる不可侵」の存在。

古代ローマの「インスラ」とは?

庶民の集合住宅(アパート)

4〜5階建て。火災や崩壊の危険が常にあった。

古代ローマの「奴隷の扱い」は一律だったか?

いいえ。家庭教師から鉱山労働者まで多様

教養ある奴隷は高く評価され、解放される者もいた。

古代ローマの「道路網」の総延長は?

約8万km

軍事・通商・行政の動脈。舗装道路技術は中世を上回った。

古代ローマの「元老院」の正式名称は?

セナトゥス

約300名(のち600名以上)の終身議員で構成。

ローマ帝国がキリスト教を国教にした年は?

380年の政策と392年の政策を区別する

380年にはニカイア派のキリスト教を正統な信仰とする政策、392年には異教の祭祀を禁止する政策が出されました。公認に関わる313年とも区別しましょう。

ローマ帝国の「軍人皇帝時代」の特徴は?

約50年間に26人の皇帝が即位(多くが暗殺)

235〜284年。帝国の危機。ディオクレティアヌスが安定を回復。

ディオクレティアヌス帝の改革は?

四帝統治(テトラルキア)

帝国を4人で分担統治。専制君主制を確立。

古代ローマの「同盟市戦争」とは?

イタリア半島の同盟市がローマ市民権を要求した戦争

前91〜前88年。結果的に同盟市にローマ市民権が与えられた。

ローマの「ユリウス暦」を制定したのは?

ユリウス・カエサル

前46年。太陽暦。のちにグレゴリオ暦に改良。

古代ローマの「ポントゥスの王ミトリダテス6世」が有名な理由は?

ローマに対する3度の大戦争

前1世紀。ローマの東方支配に挑戦した強敵。

古代ローマの「クライアント(被保護民)」制度とは?

有力者が庶民を保護する代わりに支持を得る制度

パトロヌス(保護者)とクリエンテス(被保護者)の関係。

ガリア戦記を著したのは?

カエサル

前58〜前50年のガリア征服の記録。ラテン文学の傑作。

古代ローマの「元首政(プリンキパートゥス)」を始めたのは?

アウグストゥス

共和政の形式を残しつつ実質的な帝政を開始。

第一回三頭政治の3人は?

カエサル・ポンペイウス・クラッスス

前60年の非公式同盟。

グラックス兄弟の改革の目的は?

大土地所有の制限と土地分配

前133〜121年。両名とも暗殺。

ポエニ戦争でカルタゴが滅んだのは第何回?

第3回(前146年)

ローマが完全破壊。

古代ローマのコンスルは何人?

2人(互いに拒否権)

任期1年。独裁防止。

ローマの「パンとサーカス」の目的は?

市民の不満を抑える

食料配給と娯楽で懐柔。

ローマの第一回三頭政治の3人は?

カエサル・ポンペイウス・クラッスス

前60年の非公式政治同盟。

古代ローマの「グラックス兄弟の改革」の内容は?

大土地所有の制限と農地の再分配

前2世紀。元老院の反対で兄弟とも殺害された。

古代ローマの「マリウスの軍制改革」の内容は?

無産市民の志願兵制度

職業軍人の誕生。のちの軍閥政治の原因に。

ローマの属州(プロヴィンキア)とは?

征服した海外領土

総督が統治。搾取の対象になることも多かった。

古代ローマの公共浴場(テルマエ)の役割は?

入浴・社交・運動の複合施設

カラカラ浴場は約1600人が同時に利用可能。

古代ローマの「ラティフンディア」とは?

奴隷労働による大土地経営

ポエニ戦争後に拡大。自由農民の没落を招いた。

古代ローマの「コンスル(執政官)」の人数は?

2人(任期1年)

互いに拒否権を持ち、独裁を防止する仕組み。

ポンペイを埋めた火山は?

ヴェスヴィオ火山

79年の噴火。都市が火山灰に埋もれた。

ローマの十二表法の意義は?

初めて法が文書化され公開された

前450年頃。平民が法の公開を要求。

キリスト教がローマ帝国の国教となった年は?

380年の政策と392年の政策を区別する

380年にはニカイア派のキリスト教を正統な信仰とする政策、392年には異教の祭祀を禁止する政策が出されました。公認に関わる313年とも区別しましょう。

ローマ共和政の最高官職は?

執政官(コンスル)

任期1年・定員2名で、互いに拒否権を持った最高政務官。

第一次ポエニ戦争でローマと戦った国は?

カルタゴ

シチリア島の支配権をめぐり紀元前264年に開戦。

ローマ帝国の初代皇帝は?

アウグストゥス(オクタウィアヌス)

紀元前27年、元老院から「アウグストゥス」の称号を得た。

古代ローマの剣闘士競技が行われた施設は?

コロッセオ

80年頃に完成した円形闘技場。

古代ローマの「パンとサーカス」政策の目的は?

食料と娯楽の提供で民衆の不満をそらすこと

剣闘士競技や戦車競走で民衆の支持を得ようとした。

共和政ローマで平民の権利を守るために設置された官職は?

護民官

平民会で選出され、元老院の決定に対する拒否権を持った。

大土地所有制の是正を図り暗殺された共和政ローマの兄弟政治家は?

グラックス兄弟

兄ティベリウス、弟ガイウスともに改革の途上で命を落とした。

ユリウス・カエサルが暗殺された年は?

紀元前44年

元老院派のブルータスらにより「3月15日(イドゥス)」に暗殺された。

アクティウムの海戦(紀元前31年)で勝利した人物は?

オクタウィアヌス

この勝利によりローマの内乱期が終結し、帝政への道が開かれた。

第二次ポエニ戦争でカルタゴ軍を率い、象とともにアルプス越えを行った将軍は?

ハンニバル

イタリア半島への奇襲侵攻を狙い、紀元前218年にアルプス山脈を越えた。

313年、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した勅令は?

ミラノ勅令

迫害されていたキリスト教が帝国内で信仰の自由を得た。

212年、帝国内の全自由民にローマ市民権を与えた勅令は?

アントニヌス勅令

カラカラ帝が発布した。

ザマの戦いでハンニバルを破ったローマの将軍は?

スキピオ

前202年の勝利で第二次ポエニ戦争が終結した。

『ゲルマニア』でゲルマン人の社会を記録したローマの歴史家は?

タキトゥス

ゲルマン社会を知る貴重な史料とされる。

ローマ建国の伝説を描いた叙事詩『アエネイス』の作者は?

ウェルギリウス

アウグストゥス時代のラテン文学黄金期を代表する詩人。

ブリタニア北部に防壁(長城)を築いた五賢帝の一人は?

ハドリアヌス帝

帝国の拡大から防衛への転換を象徴する。

ローマ帝政後期、奴隷制大農場に代わって広まった小作制は?

コロナトゥス

コロヌス(小作人)が土地に縛り付けられ、中世農奴制の先駆となった。

『後漢書』に記される、166年に日南郡へ使者を送った「大秦王安敦」とは誰のこととされる?

ローマ皇帝マルクス・アウレリウス

ローマと漢の交流を示す記録として知られる。

前287年、平民会の決議が元老院の承認なしに国法となることを定めたローマの法は?

ホルテンシウス法

これにより貴族と平民の法的な身分闘争が終結した。

共和政ローマの貴族身分の呼称は?

パトリキ

平民(プレブス)と対をなす特権階級だった。

ローマ帝国内の各地で伝道し、「異邦人の使徒」と呼ばれた人物は?

パウロ

ユダヤ人以外へも布教を広げ、キリスト教の世界宗教化に貢献した。

ディオクレティアヌス帝が始めた、皇帝を神格化する専制的な統治体制は?

ドミナトゥス(専制君主政)

アウグストゥス以来の元首政に代わる統治形態となった。

コンスタンティヌス帝が新都コンスタンティノープルとした都市の旧名は?

ビザンティウム

330年に遷都。ギリシア人の植民市に起源を持つ。

前753年にローマを建国したと伝えられる伝説上の人物は?

ロムルス

双子の弟レムスとともに狼に育てられたという伝説を持つ。

古来の多神教の復興を図り「背教者」と呼ばれたローマ皇帝は?

ユリアヌス帝

キリスト教優遇を改めたが、治世は短く終わった。

『ローマ建国史』を著したアウグストゥス時代の歴史家は?

リウィウス

建国から同時代までのローマ史を142巻にまとめた。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

初代ローマ皇帝は?

アウグストゥス

前27年に帝政開始。

ローマとカルタゴの戦争は?

ポエニ戦争

ハンニバルのアルプス越え。

ローマを東西に分けた皇帝は?

テオドシウス帝

395年に分裂。

カエサルが渡った川は?

ルビコン川

「賽は投げられた」。

世界史の一問一答へ

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