カエサル
紀元前44年
ローマで独裁官として権力を集中させ、元老院議員らに暗殺された
ガリア征服で軍事的な名声を得た政治家・軍人です。内戦を経て権力を強めましたが、共和政を脅かすとして反発を受けます。暗殺後も内戦は続き、後にアウグストゥスのもとで帝政が成立しました。カエサル本人を初代皇帝としないようにしましょう。
第1部 · 第6章
前1千年紀〜5世紀 / 地中海・ヨーロッパ
位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。
考える視点:広い支配を支える税・軍事・地方との関係が課題になる
ローマでは王政の後にの制度が形成されました。元老院や公職、民会などが関わりますが、すべての人が同じ権利を持ったわけではありません。貴族と平民の争いは政治参加の変化につながりました。制度名を覚えるだけでなく、誰が意思決定し、誰が軍事や税を負担したかを考えます。
イタリアから地中海への拡大では、戦争と同盟が用いられました。カルタゴとのポエニ戦争の後、支配地や奴隷、富が増えます。土地を失う農民や軍隊への依存など、拡大は内部の社会も変えました。外国との戦争と国内の・財産の変化を関連付けることが重要です。
政治の対立と内戦の中で、軍隊を率いる人物が力を強めました。カエサルは独裁官として権力を集中させ、暗殺されます。その後の争いを経て、オクタウィアヌスがアウグストゥスの称号を受けました。カエサルを初代皇帝としないように、から帝政への段階を区別しましょう。
元首政はの制度を残しながら皇帝に実権を集めました。の安定は軍隊、道路、港、税、地方の有力者などに支えられます。平和と呼ばれる時代にも、辺境の戦争や反乱はありました。中心のからだけでなく、支配される地方の人々の立場も考えます。
には水道、浴場、広場などが整備され、が各地をつなぎました。法は家族、所有、契約などの問題を扱います。ローマの文化にはギリシアなどから受け継いだものも多くあります。の共通性と、各地域に残る言語や信仰、生活の違いの両方に目を向けましょう。
奴隷の労働やの差は社会の重要な部分でした。の壮大な建築だけで豊かさを判断すると、その生活を支えた人々が見えなくなります。女性、奴隷、地方の住民など、政治史に現れにくい人々についても資料の限界を意識しながら考えます。
キリスト教は内で広がり、公的な祭祀との関係から迫害を受けることもありました。ただし、迫害が常に同じ強さで行われたわけではありません。コンスタンティヌス1世の時代の公認と、後の正統な信仰としての位置付けは別の段階です。信仰の違いと政治的な忠誠が重なる点が重要でした。
の分割、軍事費、政治的な対立、周辺の集団との関係などが変化します。西ローマの終わりを、外から一つの民族が来たという一つの原因で説明できません。東のは続き、法や宗教、の伝統も引き継がれました。古代と中世の境界は、すべてが一度に消える境目ではありません。
共和政の制度を残しながら皇帝へ実権を集める元首政が形成された。
信仰を認めることと、国の正統な信仰とすることは別の段階。
テオドシウス1世の宗教政策。392年の異教祭祀の禁止と区別する。
西側の支配が変化した目印で、東ローマ帝国は続いた。
この地域の前後の時代も含め、信仰・思想と暮らしの関係をたどる読み物です。
1世紀、ローマの支配下にあったユダヤ社会で、ナザレのイエスが活動しました。イエスは神の国などを説き、ローマ総督ポンティウス・ピラトゥスのもとで十字架刑に処されました。弟子たちの間に、イエスが復活したという信仰が生まれ、イエスをキリスト(メシア)と理解する共同体が形成されます。処刑という歴史的出来事と、復活が持つ信仰上の意味は区別して記述します。
初期の信徒たちは、イエスの出来事をユダヤ教の聖書との関係で理解しました。のちに福音書や書簡などが権威ある文書として集められ、新約聖書を構成します。文書は成立した時期や目的が異なるため、すべてを同じ時点の直接の記録として扱うのではなく、比較しながら読む必要があります。
パウロらは非ユダヤ人にも教えを伝え、各地の都市に共同体ができました。共通語としてのギリシア語、交通路、都市の人間関係、離散したユダヤ人の共同体などが伝道の背景にあります。非ユダヤ人にユダヤ教の規定をどこまで求めるかは重要な論点でした。キリスト教とユダヤ教の分化は、地域差のある長い過程であり、ある一日に二つへ分かれたわけではありません。
同じ共同体に背景の異なる人が集まると、食事や慣習をどう共有するかも問題になります。伝道の広がりは、単に信徒の人数が増えることではなく、共同体の境界と参加の条件を問い直す過程でもありました。教義の議論と、実際にともに生きる仕組みは結びついています。
キリスト教徒への迫害は、帝国全土で常に同じ強さで続いたわけではありません。時期や地域によって、公的祭祀への不参加などが問題とされました。4世紀初めに大きな転換が起こり、313年、コンスタンティヌスとリキニウスによる、いわゆるミラノ勅令で信仰の自由と没収財産の返還が認められました。教会は保護を受けて建築や組織を拡充します。この年を「国教化」と覚えるのは誤りです。
国家の保護は教会に財産や活動の機会をもたらしましたが、同時に皇帝が教会の争いの調整に関わる道も開きました。迫害される少数の集団から、帝国の秩序を担う制度へと位置づけが変わると、信仰と政治の関係も新しい問題を抱えることになります。
325年のニカイア公会議では、キリストと父なる神の関係をめぐる論争が扱われました。380年にはテオドシウス1世らの勅令がニカイア派の信仰を帝国の規範とする方針を示します。一般に「国教化」と呼ばれる転機ですが、他の祭祀への規制はその後も段階的に進みました。451年のカルケドン公会議の決定も全教会に受け入れられたわけではなく、古代から複数の教会の系統が形成されていきます。
公会議を「宗教の正解が決まった会議」とだけ覚えると、受け入れなかった共同体の歴史が見えません。キリストの神性と人性をどのように説明するかは、言葉の意味、地域の伝統、教会の権威とも関わりました。この古代の分岐は、中世以降のキリスト教世界の多様性の前提となります。

円形のガラスにはペトロとパウロが左右に描かれ、周囲の文字が人物を特定する助けになります。中央にはキリストを表すモノグラムがあります。所蔵館は髪やひげの表現にも、それぞれの使徒を示す慣習があると説明しています。これは使徒の実際の顔を写した記録ではなく、4世紀後半に共有された聖人像を知る資料です。教会の歴史を法令や公会議の年だけで追うと、信仰が身近な品物にも表されたことを見落とします。一方、一枚のガラス器から帝国の全住民が改宗済みだったとは言えません。
国家との関係が変わった時代に、使徒やキリストの象徴を用いた物が作られたことを考えられます。ただし法令と一点の品物の間に、直接の因果関係や全住民の改宗を証明することはできません。
| 資料 | 主に読み取れること | その資料だけでは分からないこと |
|---|---|---|
| 313年の公認をめぐる記録 | キリスト教の法的地位の変化 | 住民全員の実際の信仰 |
| テオドシウス法典 XVI.1.2 | 皇帝が支持する信仰と排除の方針 | 方針が各地で実施された程度 |
| 4世紀後半の金箔ガラス | 使徒と象徴の身近な造形表現 | 使徒の実際の顔や、帝国全体の信徒数 |
法令は支配者が求める状態を示します。命令されたことと、社会で実現したことは分けて調べます。
本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。
紀元前44年
ローマで独裁官として権力を集中させ、元老院議員らに暗殺された
ガリア征服で軍事的な名声を得た政治家・軍人です。内戦を経て権力を強めましたが、共和政を脅かすとして反発を受けます。暗殺後も内戦は続き、後にアウグストゥスのもとで帝政が成立しました。カエサル本人を初代皇帝としないようにしましょう。
紀元前27年
ローマの初代皇帝となり、元首政の基礎を築いた
オクタウィアヌスとして内戦を勝ち抜き、アウグストゥスの称号を受けました。共和政の制度を残しながら実権を集めた点が特徴です。その後のローマの安定と拡大につながります。カエサルとの関係と、帝政成立の段階を分けて整理しましょう。
313年
リキニウスとともにキリスト教を公認する政策を進めた
ローマ皇帝で、後にコンスタンティノープルを都としました。313年のミラノ勅令で知られる政策はキリスト教の公認に関わります。国教化とされる380年の政策は別の皇帝の時代です。公認と国教化を区別し、帝国の政治と宗教の関係を学びましょう。
アウグストゥス
前27年に帝政開始。
ポエニ戦争
ハンニバルのアルプス越え。
テオドシウス帝
395年に分裂。
ルビコン川
「賽は投げられた」。
拒否権
平民の代表として元老院に対抗。
ブルートゥス
前44年3月15日。
コンスタンティヌス帝
313年ミラノ勅令。
マルクス・アウレリウス
「自省録」の著者。
アッピア街道
「すべての道はローマに通ず」。
395年
テオドシウス帝の死後。
476年
オドアケルにより滅亡。
リキニウス・セクスティウス法
前367年。コンスル1名を平民から選出。
ロマンス諸語(仏伊西葡ルーマニア語)の母体
学術・法律・宗教の共通語として中世以降も使用。
ローマ周辺のラテン人の居住地域
ローマの発祥地。ラテン語の名前の由来。
財産を持たない最下層の市民
子供(プロレス)だけが国家への貢献。マリウスの軍制改革で兵士に。
30年間の純潔の誓い
聖なる火を絶やさない義務。破った場合は生き埋めの刑。
地下墓地(初期キリスト教徒の埋葬場所)
迫害時代に秘密の礼拝場所としても使用された。
戦勝将軍の功績を記念
ティトゥスの凱旋門、コンスタンティヌスの凱旋門が現存。
約400km以上(ローマ市向け11本の水道)
1日に約100万立方メートルの水を供給。
公共広場(政治・商業・宗教の中心)
フォロ・ロマーノがローマの中心。元老院・神殿・市場が並んだ。
ローマ大火(64年)とキリスト教徒迫害
「ローマが燃えるのを竪琴を弾きながら眺めた」という伝説。
フラウィウス円形闘技場
80年に完成。フラウィウス朝の皇帝が建設。
奴隷・戦争捕虜・犯罪者が多い
一部は自発的に参加する自由人もいた。勝ち続ければ解放も。
前450年頃
平民が法の公開を要求して実現。
キケロ
前63年。元老院での弾劾演説で有名。
ローマ
伝説では前753年にロムルスが建設。
貧民への無料または安価な穀物配給
グラックス兄弟以降。「パンとサーカス」政策の一環。
元老院の決定への拒否権(ヴェトー)
平民の権利を守る「聖なる不可侵」の存在。
庶民の集合住宅(アパート)
4〜5階建て。火災や崩壊の危険が常にあった。
いいえ。家庭教師から鉱山労働者まで多様
教養ある奴隷は高く評価され、解放される者もいた。
約8万km
軍事・通商・行政の動脈。舗装道路技術は中世を上回った。
セナトゥス
約300名(のち600名以上)の終身議員で構成。
380年の政策と392年の政策を区別する
380年にはニカイア派のキリスト教を正統な信仰とする政策、392年には異教の祭祀を禁止する政策が出されました。公認に関わる313年とも区別しましょう。
約50年間に26人の皇帝が即位(多くが暗殺)
235〜284年。帝国の危機。ディオクレティアヌスが安定を回復。
四帝統治(テトラルキア)
帝国を4人で分担統治。専制君主制を確立。
イタリア半島の同盟市がローマ市民権を要求した戦争
前91〜前88年。結果的に同盟市にローマ市民権が与えられた。
ユリウス・カエサル
前46年。太陽暦。のちにグレゴリオ暦に改良。
ローマに対する3度の大戦争
前1世紀。ローマの東方支配に挑戦した強敵。
有力者が庶民を保護する代わりに支持を得る制度
パトロヌス(保護者)とクリエンテス(被保護者)の関係。
カエサル
前58〜前50年のガリア征服の記録。ラテン文学の傑作。
アウグストゥス
共和政の形式を残しつつ実質的な帝政を開始。
カエサル・ポンペイウス・クラッスス
前60年の非公式同盟。
大土地所有の制限と土地分配
前133〜121年。両名とも暗殺。
第3回(前146年)
ローマが完全破壊。
2人(互いに拒否権)
任期1年。独裁防止。
市民の不満を抑える
食料配給と娯楽で懐柔。
カエサル・ポンペイウス・クラッスス
前60年の非公式政治同盟。
大土地所有の制限と農地の再分配
前2世紀。元老院の反対で兄弟とも殺害された。
無産市民の志願兵制度
職業軍人の誕生。のちの軍閥政治の原因に。
征服した海外領土
総督が統治。搾取の対象になることも多かった。
入浴・社交・運動の複合施設
カラカラ浴場は約1600人が同時に利用可能。
奴隷労働による大土地経営
ポエニ戦争後に拡大。自由農民の没落を招いた。
2人(任期1年)
互いに拒否権を持ち、独裁を防止する仕組み。
ヴェスヴィオ火山
79年の噴火。都市が火山灰に埋もれた。
初めて法が文書化され公開された
前450年頃。平民が法の公開を要求。
380年の政策と392年の政策を区別する
380年にはニカイア派のキリスト教を正統な信仰とする政策、392年には異教の祭祀を禁止する政策が出されました。公認に関わる313年とも区別しましょう。
執政官(コンスル)
任期1年・定員2名で、互いに拒否権を持った最高政務官。
カルタゴ
シチリア島の支配権をめぐり紀元前264年に開戦。
アウグストゥス(オクタウィアヌス)
紀元前27年、元老院から「アウグストゥス」の称号を得た。
コロッセオ
80年頃に完成した円形闘技場。
食料と娯楽の提供で民衆の不満をそらすこと
剣闘士競技や戦車競走で民衆の支持を得ようとした。
護民官
平民会で選出され、元老院の決定に対する拒否権を持った。
グラックス兄弟
兄ティベリウス、弟ガイウスともに改革の途上で命を落とした。
紀元前44年
元老院派のブルータスらにより「3月15日(イドゥス)」に暗殺された。
オクタウィアヌス
この勝利によりローマの内乱期が終結し、帝政への道が開かれた。
ハンニバル
イタリア半島への奇襲侵攻を狙い、紀元前218年にアルプス山脈を越えた。
ミラノ勅令
迫害されていたキリスト教が帝国内で信仰の自由を得た。
アントニヌス勅令
カラカラ帝が発布した。
スキピオ
前202年の勝利で第二次ポエニ戦争が終結した。
タキトゥス
ゲルマン社会を知る貴重な史料とされる。
ウェルギリウス
アウグストゥス時代のラテン文学黄金期を代表する詩人。
ハドリアヌス帝
帝国の拡大から防衛への転換を象徴する。
コロナトゥス
コロヌス(小作人)が土地に縛り付けられ、中世農奴制の先駆となった。
ローマ皇帝マルクス・アウレリウス
ローマと漢の交流を示す記録として知られる。
ホルテンシウス法
これにより貴族と平民の法的な身分闘争が終結した。
パトリキ
平民(プレブス)と対をなす特権階級だった。
パウロ
ユダヤ人以外へも布教を広げ、キリスト教の世界宗教化に貢献した。
ドミナトゥス(専制君主政)
アウグストゥス以来の元首政に代わる統治形態となった。
ビザンティウム
330年に遷都。ギリシア人の植民市に起源を持つ。
ロムルス
双子の弟レムスとともに狼に育てられたという伝説を持つ。
ユリアヌス帝
キリスト教優遇を改めたが、治世は短く終わった。
リウィウス
建国から同時代までのローマ史を142巻にまとめた。
本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。
アウグストゥス
前27年に帝政開始。
ポエニ戦争
ハンニバルのアルプス越え。
テオドシウス帝
395年に分裂。
ルビコン川
「賽は投げられた」。