ワシントン
1789年
アメリカ独立戦争を率い、合衆国の初代大統領となった
独立戦争では大陸軍の司令官を務めました。新しい憲法のもとで大統領に選ばれ、政権交代の前例を作ります。一方で奴隷を所有していた人物でもありました。建国の理念と、当時残された不平等の両方を学ぶことが大切です。
第4部 · 第20章
18世紀後半〜1815年 / 北アメリカ・ヨーロッパ
位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。
考える視点:奴隷制や性別による排除、戦争と独裁の課題が残る
北アメリカのでは、イギリスの課税や政治的な代表をめぐる対立が深まりました。独立戦争ではワシントンが軍を率い、フランクリンらが外交を担います。1776年の独立宣言は重要ですが、宣言だけで戦争やづくりが完了したわけではありません。
ジェファソンらが示した権利の理念と、や先住民への支配の現実には矛盾がありました。自由を求める側も、すべての人に同じ自由を認めたわけではありません。独立の成果を評価しながら、その対象と限界を確認することが必要です。
合衆国では連邦と州の権限、議会と大統領、司法の関係が定められました。とは、国全体の政府と州などの政府が権限を分担する仕組みです。憲法の成立には異なる利益の調整がありました。制度の名前を覚えるだけでなく、何を集中させ、何を分けたかを考えます。
選挙権やの問題は建国後も続きました。民主的な制度の成立と、すべての住民の平等は同じ時期に実現していません。後の南北戦争や公民権運動へつながる課題として読むと、建国の歴史が現代に続く問題として理解できます。
財政難、による特権、政治参加の要求などが重なり、フランス革命が起こりました。第三の中にも、富や仕事の違いがあります。1789年の宣言は自由と権利の原則を示しましたが、女性や奴隷などの権利には制限が残りました。
革命は君主制、共和国、恐怖政治など、対外戦争や国内の対立の中で変化します。王の処刑や民衆の運動だけを順番に覚えるのではなく、食料、価格、戦争、政治の参加をめぐる問題を関連付けましょう。自由と秩序をどのように両立させるかが争われました。
ナポレオンは行政や法を整え、1804年に皇帝となりました。民法典は財産などの原則を定める一方、女性の権利には制限を持ちました。革命の成果の一部を継承したことと、独裁や戦争を進めたことを両方見ます。
欧州への征服は制度の変化とともに抵抗や被害を生みました。ナポレオンの敗北後のウィーン会議は、王朝と勢力均衡を重視する秩序を目指します。革命の理念が消えたわけではなく、自由や民族の要求は次の時代の運動に受け継がれます。
理念が示された後も戦争と国家の制度づくりが続いた。
財政、特権、政治参加の問題が重なった。
革命の成果の継承と独裁・征服の側面を一緒に読む。
本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。
1789年
アメリカ独立戦争を率い、合衆国の初代大統領となった
独立戦争では大陸軍の司令官を務めました。新しい憲法のもとで大統領に選ばれ、政権交代の前例を作ります。一方で奴隷を所有していた人物でもありました。建国の理念と、当時残された不平等の両方を学ぶことが大切です。
1776年
アメリカ独立宣言の起草で中心的な役割を担った
独立の理念や人の権利を示す文章を作り、後に大統領も務めました。独立宣言は委員会や議会での修正を経て成立しています。本人が奴隷を所有していたことなど、理念と現実には矛盾もありました。文書の意義と歴史的な限界を合わせて考えましょう。
18世紀
電気を研究し、避雷針の考案やアメリカ独立の外交にも関わった
印刷業や出版から出発し、科学、政治、外交など幅広く活動しました。雷と電気の関係を研究したことで知られます。独立戦争ではフランスの支援を得る外交を担いました。科学者と政治家の両方の面を持つ人物として覚えましょう。
1804年
フランス皇帝となり、民法典を整備した
フランス革命後の混乱の中で軍事的な力を伸ばしました。民法典は私有財産などの原則を制度化する一方、女性の権利には制限もありました。欧州各地への戦争は大きな被害を生みます。革命の成果の継承と、独裁や征服の側面を合わせて学びましょう。
1789年
フランス革命の始まり。
ワーテルロー
1815年。
人権宣言
自由・平等・人民主権。
フランス民法典
1804年。近代民法の模範。
ロベスピエールの失脚と恐怖政治の終結
1794年7月。穏健共和派が権力を奪取。
ロゼッタストーンの発見・エジプト学の誕生
軍事的には失敗だが、学問的には大きな成果。
ジロンド派は穏健共和派、山岳派は急進共和派
ジロンド派は地方の商工業者、山岳派はパリの民衆が支持。
民法典・メートル法・行政制度
征服地にフランス革命の理念を移植。
第三身分の議員が憲法制定まで解散しないと誓った
1789年6月20日。国民議会の結成。
ロベスピエール
恐怖政治を主導。1794年にテルミドールの反動で処刑。
エルバ島脱出からワーテルロー敗北までの約100日間
1815年3月〜6月。セントヘレナ島に流刑。
ナポレオン3世
普仏戦争の決定的勝利。フランス第二帝政が崩壊。
主力艦の保有比率を制限(米英日仏伊)
米英5、日本3、仏伊1.67の比率。
穏健共和派 vs 急進派
ジャコバン派が恐怖政治を主導。
ロベスピエールの失脚
恐怖政治の終焉。
青(自由)白(平等)赤(友愛)
パリ市の色(青・赤)と王家の色(白)の組み合わせ。
イギリスの経済的孤立
1806年。ヨーロッパ大陸の港からイギリスを締め出す。
ロベスピエール
公安委員会を率いて反革命を粛清。自らもギロチンで処刑。
私有財産の保障・法の前の平等・政教分離
1804年。近代民法の模範として世界に影響。
封建的特権
法の前の平等を確立。長子相続制も廃止。
冬将軍(厳冬と焦土作戦)
60万の大軍がモスクワに進軍したが撤退時に壊滅。
1804年
国民投票で承認。自ら冠を被った。
マリー・アントワネット
「パンがなければケーキを食べればいい」の逸話(実際は言っていない)。
1776年
トマス・ジェファーソンらが起草した。
ワシントン
大陸軍の総司令官を務めた。
1789年
旧体制(アンシャン・レジーム)が崩壊するきっかけとなった。
人権宣言(フランス人権宣言)
1789年に国民議会で採択された。
ナポレオン・ボナパルト
ヨーロッパ大陸の大半を征服したが、のちに没落した。
ワーテルローの戦い
この敗北によりナポレオンは完全に失脚した。
ウィーン会議
「会議は踊る、されど進まず」と評されるほど各国の利害調整が難航した。
国民公会
男子普通選挙で選ばれ、ルイ16世の処刑を決定した。
総裁政府
5人の総裁による集団指導制だったが、政情は安定しなかった。
ライン同盟
これにより約850年続いた神聖ローマ帝国が名実ともに消滅した。
ゴヤ
スペインの宮廷画家で、戦争の悲惨さを版画にも残した。
ライプツィヒの戦い
この敗北で翌年ナポレオンは退位し、エルバ島へ流された。
セントヘレナ島
南大西洋の孤島で1821年に死去した。
トゥサン・ルヴェルチュール
独立達成前にフランスに捕らえられ獄死した。
本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。
1789年
フランス革命の始まり。
ワーテルロー
1815年。
人権宣言
自由・平等・人民主権。
フランス民法典
1804年。近代民法の模範。