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第3部 · 第19章

王権、議会、啓蒙思想

17〜18世紀 / ヨーロッパ・北アメリカ

用語集
この章の目次
  1. 国家を支える仕組み
  2. イングランドの革命
  3. 政治の正当性を考える
  4. 経済と改革の問い
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

王権、議会、啓蒙思想の主な地域1234
  1. ロンドン
  2. パリ
  3. サンクトペテルブルク
  4. ベルリン

位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景戦争の費用と王・議会・社会の対立
  2. 展開 →権力を制限する制度と啓蒙思想
  3. 結果 →自由、権利、経済への新しい問いが広がる

考える視点:議会や権利の文書があっても、全住民が平等とは限らない

1. 国家を支える仕組み

近世のは軍隊、税、、地方の有力者の協力に支えられました。ルイ14世のヴェルサイユ宮殿は貴族や宮廷の秩序を示します。絶対王政という語は、王が何の制限もなくすべてを決めた意味ではありません。戦争の費用や既存の権利との交渉が必要でした。

重商主義は国の財政やを重視する政策の総称です。関税、会社への特権、産業の保護など方法は異なります。商業が国の力を支える一方、や農民、納税者に負担がかかる場合もありました。国全体の富と、個々の人の生活を同じものと考えないようにします。

2. イングランドの革命

国王と議会の対立には宗教、税、政治的な権限などが関わりました。内戦後には国王が処刑され、クロムウェルが力を持ちます。王がいなくなれば直ちに民主的な社会になるわけではありません。軍の力や宗教上の制限にも注目しましょう。

王政復古の後、名誉革命を経て議会の役割が強まります。権利の章典は重要ですが、選挙権がすべての人に認められたわけではありません。への制限、議会の力、住民の政治参加を別の問題として整理すると、制度の変化が正確に理解できます。

3. 政治の正当性を考える

ホッブズは秩序を守る強い、ロックは権利の保護と抵抗、ルソーは一般意志や人民を論じました。同じ社会契約の考えでも、望む政治は異なります。契約という言葉を覚えた後に、人間をどう捉え、何から守るためにが必要とされたかを比較しましょう。

モンテスキューは権力の集中を防ぐ仕組みを論じました。思想は後の憲法へ影響しますが、現実の制度は地域で異なります。考えが書かれた年と、それが実際の法律や政治になる時期は同じではありません。思想、読者、運動、制度という段階を追います。

4. 経済と改革の問い

アダム・スミスはや市場の働きを分析し、道徳についても論じました。市場を重視する考えは、すべての規制を無条件に否定する主張と同じではありません。啓蒙専制君主と呼ばれる支配者も、改革を進めながら制や支配を維持しました。

ピョートル1世やエカチェリーナ2世の改革には、軍事、行政、教育などが関わります。新しい制度を取り入れる利益と、それを実行する負担を両方考えましょう。18世紀の問いは、次の市民革命やにおける自由、財産、平等の問題へつながります。

年表で流れを確かめる

  1. 1689年
    イングランドの権利の章典

    王権を制限する制度と、住民の選挙権の範囲は区別する。

  2. 1748年
    『法の精神』刊行

    モンテスキューが権力の集中を避ける仕組みを論じた。

  3. 1776年
    『国富論』刊行

    スミスが生産や市場の働きを分析した。

文化・社会を深く読む

この地域の前後の時代も含め、信仰・思想と暮らしの関係をたどる読み物です。

啓蒙と権威への問い

近代ヨーロッパでは、理性、経験、良心などを根拠に、政治や宗教の権威を問い直す議論が広がりました。ただし、啓蒙の思想家が全員無神論者だったわけでも、科学と宗教が常に二つの陣営に分かれたわけでもありません。宗教内部からの改革や寛容の議論もありました。近代化を「人びとが迷信から抜け出した」という一方向の物語にすると、当事者の多様な動機を見失います。

宗教上の意見の違いを国家がどこまで規制できるかという問題は、政治権力の限界をどう定めるかという問いにつながります。したがって、信仰の自由の歴史は思想史だけでなく、憲法や市民の権利の歴史でもあります。個人の良心を守る原則が、国家の制度とどう関わるかを考えます。

市民としての権利と信仰

1789年のフランス人権宣言は、公共の秩序を乱さない限り宗教上の意見を理由に不利益を受けないという原則を示しました。米国では1791年の憲法修正第1条が、連邦議会による国教の樹立や宗教の自由な実践の禁止を制限しました。これらは重要な転機ですが、すべての人への平等な保障がただちに実現したわけではありません。原則の宣言と現実の運用は区別します。

宗教団体の特権を制限する制度は、信徒の自由な活動を守る制度と同時に検討されました。ただし、奴隷制や植民地支配、性別などによる権利の不平等も存在しました。宣言の文章に示された普遍性と、その適用から除かれた人びとの経験をあわせて見ることが必要です。

世俗化は宗教の消滅ではない

世俗化という語は、政治や教育などが宗教組織から相対的に独立すること、信仰実践が弱まることなど、複数の意味で用いられます。国家制度の変化が、そのまま個人の信仰の消滅を意味するわけではありません。都市化、識字の広がり、移民、印刷物の普及は、既存の権威を変えると同時に、新しい教団や運動が広がる条件にもなりました。

たとえば学校や行政が宗教組織から独立しても、家庭で祈る人が減るとは限りません。また、所属する教団を持たなくても宗教的な行事へ参加することがあります。何を測って世俗化と呼んでいるのかを明らかにしなければ、異なる社会の比較はかみ合いません。

一つではない政教関係

国教会を残す国、国家と宗教団体の制度的な分離を強く打ち出す国など、国家と宗教の関係は一様ではありません。政教分離は「宗教を社会から排除すること」と同義ではなく、国家の権力と信仰の自由をどう調整するかという問題です。歴史を比べる際には、個人の自由、宗教団体の自律、国家の支援や規制を別々に見ます。

重要なのは、特定の一制度を歴史の到達点として、ほかの社会を遅れていると決めつけないことです。誰の自由が保障され、誰が制約を受けたかという具体的な問いから見ると、制度の名称だけではわからない課題が見えてきます。日本の近代史も、その比較の一例となります。

南アジアでの改革と仏教への改宗

近代化への対応はヨーロッパの外でも進みました。南アジアでは、カーストによる差別と宗教の関係が大きな論点となります。アンベードカルは差別からの解放を追求し、1956年に多くの人びととともに仏教へ改宗しました。これは、宗教を離れることだけが近代的な解放なのではなく、別の宗教的伝統を選び直すことで尊厳を求める道もあったことを示します。

史料を読み解く

1789年9月25日に議会が提案した十二か条の修正案を記す権利章典原本
米国権利章典につながる1789年9月25日の議会決議原本。記されている修正案は十二か条で、現在の修正第1条にあたる宗教の条項は原本では三番目です。
National Archives, General Records of the United States Government, RG 11
Bill of Rights · パブリックドメイン
1789年の提案文書。十か条が1791年12月15日に批准されました。

原本にある「第三条」と現在の「修正第1条」

この原本は、成立後の十か条を印刷し直したものではなく、議会が州に送った十二か条の提案文書です。宗教に関する条項は、原本では三番目に置かれています。1791年に三番目から十二番目が批准されたため、宗教の条項が修正第1条となりました。

原本の条番号が現在と違うことは、写し間違いでしょうか。

いいえ。提案された十二か条と、1791年に批准された十か条が異なるためです。文書の段階を確かめる必要があります。

1789〜1791年:文書が成立するまで

時点文書・手続読むときの注意
1789年8月24日下院が十七か条を可決これがそのまま最終条文ではない
1789年9月25日議会が十二か条を提案写真はこの段階の文書
1791年12月15日十か条が批准される原案の三〜十二番が修正第1〜10条となる

提案の第一条・第二条を除いた十か条が、1791年の権利章典です。年表は成立過程に限定しています。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

ホッブズ

1651年

『リヴァイアサン』で社会契約と強い主権を論じた

イングランドの内戦を背景に、秩序が失われる危険を考えました。人々が契約によって権力をまとめる必要を説きます。ロックやルソーも社会契約を論じますが、望ましい政治の説明は異なります。著書名と、権力をどう位置付けたかを組み合わせて覚えましょう。

ロック

1689年

『統治二論』で自然権や抵抗権を論じた

イングランドの思想家です。生命、自由、財産などの権利を守るために政府が存在すると考えました。権力が目的に反する場合の抵抗も論じます。後の革命や自由主義に影響を与えました。ホッブズの強い主権の考えと比較すると違いが分かります。

モンテスキュー

1748年

『法の精神』で権力の分立を論じた

フランスの啓蒙思想家です。権力の集中を避けるため、立法・執行・司法の働きを分ける考えを示しました。後の憲法制度にも影響します。現代の制度がすべてそのまま著書のとおりではありません。権力を抑制する仕組みという目的を押さえましょう。

ルソー

1762年

『社会契約論』で人民主権と一般意志を論じた

ジュネーヴ出身の思想家です。政治の正当性を人々の共同の意思に求めました。教育を扱う『エミール』も代表作です。一般意志は単に個々の願望を足したものとは区別されます。ロックやモンテスキューとの考えの違いを、著書名とともに学びましょう。

アダム・スミス

1776年

『国富論』で分業や市場の働きを分析した

スコットランドの思想家・経済学者です。富が生まれる仕組みを、労働や生産、交換から考えました。『道徳感情論』も著しており、自己利益だけを無条件に勧めた人物ではありません。経済の制度と、人々の道徳や社会の関係を合わせて理解しましょう。

クロムウェル

1653年

ピューリタン革命後に護国卿としてイングランドを統治した

議会側の軍を率い、国王との内戦で力を持ちました。チャールズ1世の処刑後に共和国が成立しますが、後には軍の影響が強い体制となります。王政がなくなれば直ちに民主主義になるわけではありません。革命と政治制度の変化を段階的に整理しましょう。

ルイ14世

17世紀後半

ヴェルサイユ宮殿を政治の中心とし、フランスの王権を強めた

太陽王とも呼ばれ、絶対王政を代表する王です。貴族を宮廷へ集め、官僚制度や軍事力を用いて支配を進めました。戦争には大きな財政負担が伴います。「絶対」でもすべてを自由に決められたわけではなく、社会の制度や利害の中で統治していました。

ピョートル1世

18世紀初め

西欧の制度や技術を取り入れ、サンクトペテルブルクを建設した

ロシアの皇帝で、軍隊や行政を改革しました。バルト海への進出を進め、新しい都を対外交流の拠点とします。改革には強制や人々の負担もありました。西欧化という言葉だけでなく、国家の力を高める目的と社会への影響を考えましょう。

エカチェリーナ2世

18世紀後半

ロシアの領土を拡大し、啓蒙思想家とも交流した女帝

ロシアで強い王権を維持し、黒海方面やポーランド分割に関わりました。啓蒙思想への関心と、農奴制の現実は必ずしも一致しません。理想を語る思想と実際の統治の違いに注目すると、啓蒙専制君主という位置付けが理解できます。

バッハ

18世紀前半

『マタイ受難曲』などを作曲したバロック音楽の作曲家

ドイツで教会や宮廷の音楽に関わりました。複数の旋律を組み合わせる対位法などの技法にすぐれます。宗教曲だけでなく器楽曲も多数残しました。モーツァルトやベートーヴェンより前の世代として、音楽史の流れと作品名を整理しましょう。

モーツァルト

1791年

オペラ『魔笛』などを作曲した古典派の作曲家

ザルツブルクに生まれ、幼い頃から演奏や作曲で活動しました。交響曲、協奏曲、室内楽、オペラなど多様な作品を残します。宮廷の仕事と都市の音楽市場の両方に関わりました。バッハのバロック音楽と、古典派の時代の違いを押さえましょう。

「太陽王」は誰?

ルイ14世

ヴェルサイユ宮殿。

「社会契約論」の著者は?

ルソー

人民主権。

名誉革命の年は?

1688年

無血革命。

権利の章典の年は?

1689年

議会の権利を明文化。

三権分立を唱えた思想家は?

モンテスキュー

「法の精神」。

ピョートル大帝が建設した都市は?

サンクトペテルブルク

「西欧への窓」。

ロックの自然権は?

生命・自由・財産

アメリカ独立宣言に影響。

「バロック」の語源の意味は?

いびつな真珠

当初は「歪んだ、奇妙な」という否定的な意味で使われた。

クロムウェルの「護国卿」体制とは?

軍事独裁的な共和制

1653〜58年。アイルランド・スコットランドも征服。

ピョートル大帝の「西欧視察団」(1697〜98年)の目的は?

西欧の技術・軍事・造船術の習得

自ら職人に変装して造船所で働いた。

「百科全書派」に含まれない思想家は?

ルソー(途中で離脱)

ルソーは当初協力したが、文明批判の立場から離反。

ハプスブルク家のマリア・テレジアの改革は?

中央集権化と軍制改革

オーストリア継承戦争後。プロイセンのフリードリヒ2世に対抗。

ルイ14世の「ヴェルサイユ体制」の政治的目的は?

貴族を宮廷に集め監視し王権を強化

貴族は宮廷儀礼に忙殺され、地方での勢力を失った。

プロイセンの「フリードリヒ・ヴィルヘルム1世」の別名は?

軍人王

軍隊の近代化と質素な財政で息子フリードリヒ2世の基盤を作った。

フロンドの乱で幼少だった王は?

ルイ14世

1648〜53年。のちの絶対王政の動機に。

フリードリヒ2世の自称は?

「国家第一の下僕」

啓蒙専制君主。プロイセン。

エカチェリーナ2世が併合した地域は?

クリミア

ロシアの啓蒙専制君主。

啓蒙専制君主の代表格プロイセンの王は?

フリードリヒ2世(大王)

「君主は国家第一の僕」。宗教的寛容・法改革。

ロシアのエカチェリーナ2世の改革の特徴は?

啓蒙専制君主としての近代化(だが農奴制は維持)

ヴォルテールやディドロと交流。クリミア半島を獲得。

重商主義の代表的政策を推進したフランスの大臣は?

コルベール

ルイ14世の財務総監。マニュファクチュア育成。

ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」の役割は?

公式行事・条約調印の場

1919年のヴェルサイユ条約もここで調印。

ルソーの「エミール」のテーマは?

自然に基づく教育論

子どもの自然な成長を重視。近代教育学の先駆け。

バロック音楽の特徴は?

装飾的で華やか

ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデルが代表。

「太陽王」と呼ばれたフランス絶対王政全盛期の国王は?

ルイ14世

ヴェルサイユ宮殿を造営し中央集権体制を築いた。

1642〜49年、イギリスで議会派と王党派が争い国王が処刑された内戦は?

ピューリタン革命(清教徒革命)

クロムウェルが議会派を指導し、チャールズ1世が処刑された。

1688〜89年、イギリスで議会が国王を平和的に交代させた政変は?

名誉革命

ウィリアム3世とメアリ2世を新たな国王に迎えた。

名誉革命後の1689年、イギリス議会の権限を明文化した文書は?

権利章典

立憲君主政の基礎を築いた。

サンクトペテルブルクを建設し、ロシアの西欧化を推進した皇帝は?

ピョートル1世(大帝)

西欧視察をもとに軍事・行政の近代化を進めた。

フロンドの乱を鎮め、ルイ14世の幼少期に国政を担った宰相は?

マザラン

リシュリューの後継者としてフランス絶対王政を支えた。

「王の権力は神から授けられた」とする絶対王政を正当化する理論は?

王権神授説

ジェームズ1世やボシュエらが唱えた。

ロックが名誉革命を擁護し、抵抗権を説いた著作は?

統治二論(市民政府二論)

アメリカ独立宣言にも影響を与えた。

1740年、マリア・テレジアの即位を機に起きた戦争は?

オーストリア継承戦争

プロイセンがシュレジエンを奪い、両国の対立が深まった。

1773年、エカチェリーナ2世の治世に起きたコサック指導の大農民反乱は?

プガチョフの乱

鎮圧後、農奴制はかえって強化された。

1700年から約20年間、ピョートル1世とスウェーデンのカール12世が争った戦争は?

北方戦争

ロシアが勝利し、バルト海の覇権を握った。

フリードリヒ2世がポツダムに建てたロココ様式の宮殿は?

サンスーシ宮殿

「憂いなし」を意味し、ヴォルテールも招かれた。

1780年、エカチェリーナ2世の提唱でイギリスの海上封鎖に対抗した国際連携は?

武装中立同盟

アメリカ独立戦争でイギリスを国際的に孤立させた。

ルイ14世にちなんで名づけられた、ミシシッピ川流域のフランス植民地は?

ルイジアナ

探検家ラ・サールが領有を宣言した。

名誉革命によって王位を追われたイングランド王は?

ジェームズ2世

カトリック復活政策が議会の反発を招き、フランスへ亡命した。

協奏曲『四季』で知られるヴェネツィアのバロック音楽の作曲家は?

ヴィヴァルディ

聖職者でもあり「赤毛の司祭」と呼ばれた。

1709年、北方戦争でピョートル1世がカール12世を破った決戦は?

ポルタヴァの戦い

この勝利でロシアの強国化が決定的となった。

クロムウェルが1649年から征服し、大規模な土地没収を行った地域は?

アイルランド

この征服がのちのアイルランド問題の淵源となった。

ルイ14世に仕え、王権神授説を体系化したフランスの聖職者は?

ボシュエ

『聖書のことばから引き出された政治学』を著した。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

「太陽王」は誰?

ルイ14世

ヴェルサイユ宮殿。

「社会契約論」の著者は?

ルソー

人民主権。

名誉革命の年は?

1688年

無血革命。

権利の章典の年は?

1689年

議会の権利を明文化。

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