マルティン・ルター
1517年
贖宥状を批判する九十五か条の論題を示し、宗教改革の端緒となった
ドイツの神学者です。信仰と聖書を重視し、教会の権威や制度を問い直しました。宗教改革は印刷物の広がりや諸侯の政治的な動きとも結び付きます。宗派の分裂は長い過程であり、一つの論題だけで直ちに終わった出来事ではありません。
第3部 · 第15章
16〜17世紀 / ヨーロッパ
位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。
考える視点:戦争は宗教だけで説明できず、地域の政治や生活にも関わる
ルターは贖宥状をめぐる問題を批判し、信仰と聖書を重視しました。1517年の論題は重要な目印ですが、はその日だけの出来事ではありません。、教会の組織、財産、政治的な権威についての議論が広がりました。人々が何に不満を持ったかを具体的に考えます。
カルヴァンはジュネーヴで改革を進め、神のと共同体の秩序を重視しました。プロテスタントには複数の流れがあり、考えがすべて同じではありません。思想家の著作と、やで実際に行われた制度を分けて読みましょう。
イングランドではヘンリ8世の改革がや婚姻の問題と関わりました。教会の財産や職位は政治と経済に影響します。国王がローマ教皇から離れることと、人々の信仰が一度に変わることは同じではありません。後の支配者たちの政策も宗教の位置付けを変えました。
エリザベス1世の時代には国教会の体制が整えられ、対外関係も宗教と結び付きます。王と教会、諸侯、の関係を考えると、改革が地域ごとに違った理由が分かります。名だけで国の内部を一つの集団とみなさないようにします。
カトリック教会も教育、規律、の確認などの改革を進めました。イエズス会の活動やトリエント公会議はその例です。プロテスタントが登場して旧来の教会が何も変わらなかったわけではありません。各側の説明と実践を比較することが重要です。
宣教はアジアやアメリカでも行われ、現地の言語や制度、信仰との関係が課題となりました。教えを受け入れる人々も自分たちの条件に合わせて意味を作ります。宣教を欧州からの一方向の伝達だけで説明しないようにしましょう。
宗教戦争にはの対立だけでなく、、領土、貴族や外国の利害が関わりました。三十年戦争も複数の段階で構成が変わります。ウェストファリアの講和は重要ですが、その時に現代的な制度がすべて完成したとするのは単純化です。
戦争は農民やの人々の生活に深刻な被害を与えました。宗教の違いを調整する制度や、権力の関係を定める交渉が進みます。思想、政治、生活を別々に暗記せず、宗教が公共の秩序に関わった時代として読みましょう。
宗教改革の端緒であり、教会と政治の変化は長い過程で進んだ。
国王とローマ教皇の関係が改められた。
宗教と政治、領土をめぐる調整の一つの節目。
この地域の前後の時代も含め、信仰・思想と暮らしの関係をたどる読み物です。
1517年、マルティン・ルターは贖宥状をめぐる実践に対して九十五か条の論題を示しました。贖宥は本来、罪の赦しそのものをお金で買う制度ではなく、罪に伴う罰の免除に関わるカトリックの教えです。その扱いをめぐる批判は、救いと信仰、聖書と教会の権威の問題へ広がりました。ルターの主張は印刷物によって広まり、支持する領邦君主たちの存在も改革を支えました。
改革の背景には、教会をよりよくしようとする従来の運動もありました。論争が大きくなったのは、一つの不正への抗議が、誰に信仰の解釈を決める権威があるのかという問題に及んだからです。印刷術は複製と流通を速めましたが、読者や支持する権力があって初めて政治的な影響を持ちました。
ツヴィングリやカルヴァンらは、それぞれの地域で改革を進めました。改革派の間でも聖餐などの理解は一致せず、ルター派・改革派など複数の流れが形成されます。イングランドではヘンリ8世の王権と教皇権の対立を背景にローマとの関係が断たれ、その後も教義や礼拝の変化が続きました。プロテスタントを単一の教義や一つの教会と考えることはできません。
聖書を重んじるという共通点があっても、解釈や教会組織の形は一致しません。地方の行政、学校、礼拝の制度が各宗派のもとで整えられ、信仰の違いが日々の生活の違いにもなりました。近代以降の多様なプロテスタント教会を理解する出発点がここにあります。
カトリック教会では、1545〜1563年のトリエント公会議などを通じて教義が再確認され、聖職者の教育や規律の改革も進みました。イエズス会は学校教育や布教で重要な役割を果たします。美術や建築も礼拝と教育に関わりました。宗教改革を「古い教会が一方的に衰えた出来事」と見るより、複数の教会が制度と信仰を再編した時代として読むと理解が深まります。
改革の推進には、教育を受けた聖職者を育て、信徒へ教えを伝え直すことが必要でした。したがって学校、出版、礼拝のあり方が重要になります。カトリックとプロテスタントを固定した二つの陣営として並べるだけでなく、双方が何を変えようとしたかを比べることができます。
1555年のアウクスブルクの宗教和議では、神聖ローマ帝国内のカトリックとルター派の併存が制度化されましたが、すべての個人に自由な信仰選択を保障したわけではありません。1618〜1648年の三十年戦争には宗派対立と諸国の勢力争いが重なりました。1648年のウェストファリア条約は宗派の共存を調整する転機ですが、この年に現代の信教の自由や完全な政教分離が完成したわけではありません。
宗派をめぐる政治上の妥協は、まず戦争を終え、秩序を維持する必要に応えるものでした。信仰の違いをすべて私的な選択とみなす発想が直ちに成立したわけではありません。国家や支配者が宗派を定める制度から、個人の権利の問題へと論点が移るには、さらに長い歴史が必要でした。

この版画では、ルターは修道服を着た人物として表されています。作者クラーナハはルターの友人で支持者でもあり、そのパンフレットの印刷にも関わりました。肖像は顔を記録するだけでなく、改革者をどのような人物として読者に示すかを考えさせる資料です。
肖像にも立場があるためです。支持者による人物像だと分かれば、批判側の資料と比較する問いが生まれます。
| 観察点 | この資料の特徴 | 次に確かめること |
|---|---|---|
| 服装 | 修道士として表す | 制作年と本人の立場 |
| 媒体 | 小型の銅版画 | 複製・流通を示す別資料 |
| 文字 | 肖像下のラテン語銘文 | 誰を読者として想定したか |
| 作者 | ルターを支持したクラーナハ | 反対側ではどう描いたか |
表の問いは資料を調べるための手掛かりです。販売部数や読者層をこの画像だけで確定することはできません。
本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。
1517年
贖宥状を批判する九十五か条の論題を示し、宗教改革の端緒となった
ドイツの神学者です。信仰と聖書を重視し、教会の権威や制度を問い直しました。宗教改革は印刷物の広がりや諸侯の政治的な動きとも結び付きます。宗派の分裂は長い過程であり、一つの論題だけで直ちに終わった出来事ではありません。
16世紀
ジュネーヴで宗教改革を進め、予定説を重視した
フランス出身の宗教改革者です。神の主権を重視し、信仰と社会の秩序を結び付ける改革を行いました。思想は欧州各地へ広がります。ルターとは活動地域や教えの説明に違いがあります。プロテスタントの内部にも複数の流れがあることを押さえましょう。
1534年
首長法でイングランド教会の首長となり、ローマ教皇から離れた
イングランドの王です。婚姻の問題と王権の強化が宗教政策に関わりました。教会の財産の扱いも政治・経済に大きな影響を与えます。ドイツのルターの改革と、王が進めたイングランドの改革は、背景と進み方が異なります。
1588年
スペインの無敵艦隊を退けた時代のイングランド女王
イングランド国教会の体制を整え、王国を統治しました。海上活動や交易、文化の発展も進みます。シェイクスピアらの演劇が栄えた時代です。軍事的な勝利だけでなく、宗教政策と国内の秩序を維持した政治にも注目しましょう。
九十五カ条の論題
1517年ルターが発表。
1648年
三十年戦争を終結。
ジュネーヴ
予定説を唱えた。
ヘンリー8世
離婚問題が発端。
アンリ4世
1598年。プロテスタントに信仰の自由。
フランスのカルヴァン派
ユグノー戦争1562〜1598年。
オランダとスイス
1648年。両国の事実上の独立を正式に承認。
強力な王権と宗教改革
ヘンリー7世〜エリザベス1世(1485〜1603年)。
体系的な教育課程と世界各地の学校設立
「ラティオ・ストゥディオールム」(学事規程)。ヨーロッパ中にコレジオ(学校)を設立。
チューリヒ
ルターとは独立に宗教改革を推進。1531年に戦死。
救済されるかどうかは神があらかじめ決めている
勤勉な労働を神の栄光のためと解釈。資本主義の精神との関連が指摘される。
七つの秘跡・聖人崇敬・教皇の首位権
1545〜63年。対抗宗教改革の中心。プロテスタントの主張を否定。
主権国家の平等と内政不干渉の原則
1648年。近代国際秩序の基礎。
グスタフ・アドルフ
「北方の獅子」。戦死した。
「領主の宗教がその地の宗教」
1555年。カルヴァン派は含まれなかった。
プラハ窓外投擲事件
1618年。ボヘミアのプロテスタント貴族がカトリック側の使者を窓から投げ落とした。
イギリスの黄金時代(国力拡大・文化繁栄)
スペイン無敵艦隊を撃破。シェイクスピアの時代。
贖宥状(免罪符)の販売
1517年。教会の腐敗への抗議。
イエズス会
イグナティウス・デ・ロヨラが1534年に創設。
カトリック教会の教義確認と改革
1545〜63年。対抗宗教改革の中心。
離婚問題
キャサリン妃との離婚を教皇が認めなかった。
アウクスブルクの和議
1555年。「領主の宗教がその地の宗教」の原則。
ルター
贖宥状(免罪符)の販売を批判した。
カルヴァン
蓄財を肯定する教えがのちの資本主義発展にも影響したとされる。
ヘンリ8世
国王を教会の首長とする首長法を制定した。
ウェストファリア条約
主権国家体制(ウェストファリア体制)の出発点とされる。
ナントの勅令
フランス宗教戦争(ユグノー戦争)を終結させた。
神聖ローマ帝国(ドイツ)
1618〜48年、ドイツの国土が大きく荒廃した。
ウォルムス帝国議会
皇帝カール5世の面前で「我ここに立つ」と信念を貫いたとされる。
シュマルカルデン同盟
皇帝との戦争を経て、アウクスブルクの和議へ至った。
イグナティウス・ロヨラ
軍人出身で、厳格な規律を持つ修道会を組織した。
サンバルテルミの虐殺
ユグノー戦争を激化させた。
マテオ・リッチ
中国名は利瑪竇。ユークリッド幾何学の漢訳も行った。
カスティリオーネ
中国名は郎世寧。西洋画法を宮廷に伝えた。
典礼問題
康熙帝はイエズス会以外の布教を禁じ、雍正帝は全面禁止した。
カール5世
ハプスブルク家の広大な領土を統治し、退位後に領土を分割した。
ヴァレンシュタイン
強大化を警戒され、皇帝の命で暗殺された。
ヘンリ7世
ボズワースの戦いでリチャード3世を破った。
ホルバイン
精緻な肖像画で知られる北方ルネサンスの画家。
本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。
九十五カ条の論題
1517年ルターが発表。
1648年
三十年戦争を終結。
ジュネーヴ
予定説を唱えた。
ヘンリー8世
離婚問題が発端。