カール大帝
800年
ローマ教皇から皇帝の冠を授けられたフランク王
フランク王国を広げ、キリスト教会と協力して統治を進めました。学問や文字の整備を支えるカロリング・ルネサンスも知られます。死後には領土が分割されました。西ヨーロッパで皇帝と教皇の関係が形づくられた出来事として理解しましょう。
第2部 · 第9章
8〜15世紀 / 西・中部ヨーロッパ
位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。
考える視点:政治参加と自由の範囲には身分や性別による制限がある
カール大帝はフランク王国を広げ、800年に教皇から皇帝の冠を授けられました。と教会の協力は、統治や教育、文化の整備に関わります。死後の領土の分割は、後の各地域の政治へつながります。同じ王国の名前が残っていても、権力の配置は変化しました。
神聖ローマでは皇帝、諸侯、教会が複雑な関係を持ちました。司教などを任命する権利をめぐる対立は、宗教の問題であると同時に土地や統治の問題です。教皇と皇帝を、常に同じ強さの二つのとみなすことはできません。地域の有力者の動きも重要でした。
では農民の労働と土地の権利が領主の力を支えました。といっても、義務や生活の条件は地域と時期で違います。的な主従関係と農村の支配は関連しますが、同じ制度ではありません。軍事奉仕、土地、裁判、労働を誰が担ったかを整理しましょう。
三圃制などの農業の変化は生産や生活に関わりますが、すべての地域で同じように用いられたわけではありません。人口や耕地の拡大、飢饉、疫病は社会の関係を変えました。農村を変化のない背景とせず、やを支える人々の生活として読みます。
商業の発展は、定期市、海上のを広げました。ギルドは職人や商人の活動を支えたり規制したりします。の自治は領主や王との交渉の中で得られました。に住めば全員が自由で平等だったわけではなく、富や職業、宗教などの違いが残ります。
大学や修道院では学問が受け継がれ、スコラ学は信仰と理性を論じました。トマス・アクィナスはアリストテレスの哲学を取り入れます。イスラーム世界などを通じた翻訳も知識の伝達に関わりました。中世を知識が失われた時代とだけ見ることは不正確です。
十字軍には信仰、政治、土地、経済など複数の動機が重なりました。百年戦争も王位や領土をめぐる争いです。ジャンヌ・ダルクの活動だけで戦争全体を説明せず、財政、軍隊、地域の協力を考えます。戦争は支配者だけでなく、農民やの人々に負担を与えました。
ジョン王のマグナ・カルタは王と貴族などの関係を定める文書でした。当初からすべての人の平等を認めたものではありません。後世に法による権力制限の象徴となった意味と、1215年の対象を区別しましょう。権力の制限は長い過程で進みます。
王権と教会の関係を示す出来事。
神聖ローマ帝国の起点として学ばれる。
当初の対象と、後世の権力制限の象徴としての意味を区別する。
本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。
800年
ローマ教皇から皇帝の冠を授けられたフランク王
フランク王国を広げ、キリスト教会と協力して統治を進めました。学問や文字の整備を支えるカロリング・ルネサンスも知られます。死後には領土が分割されました。西ヨーロッパで皇帝と教皇の関係が形づくられた出来事として理解しましょう。
962年
皇帝として戴冠し、神聖ローマ帝国の成立につながった
東フランクの王として勢力を強めました。教会の人々を統治に用い、イタリアにも進出します。962年の戴冠は神聖ローマ帝国の起点として扱われますが、呼称や制度は後に変化しました。皇帝、諸侯、教皇の関係を一体として考えましょう。
1077年
聖職叙任権をめぐって皇帝と対立したローマ教皇
教会の改革と教皇の権威を強めようとしました。ハインリヒ4世との対立はカノッサの屈辱で知られます。誰が司教などを任命するかは、土地や権力をめぐる政治問題でもありました。宗教と政治が密接だった中世の制度として理解しましょう。
1066年
ノルマン征服によってイングランド王となった
ノルマンディー公として海を渡り、ヘースティングズの戦いで勝利しました。土地の調査を行ったドゥームズデイ・ブックも知られます。征服後は貴族や言語、制度に変化が生まれました。イングランドとフランスの地域の関係を考える重要な人物です。
1215年
貴族らの要求を受け、マグナ・カルタを認めたイングランド王
戦争や課税をめぐって貴族と対立しました。マグナ・カルタは当初、貴族の権利や王の権限をめぐる文書でした。すべての人の平等な権利をすぐ実現したものではありません。後に法による権力の制限を象徴する文書として解釈が広がりました。
1429年
百年戦争でオルレアンの解放に関わり、フランス軍を鼓舞した
フランスの農村出身で、シャルル7世側の戦いに参加しました。後に捕らえられ、宗教裁判で処刑されます。死後に裁判の評価が改められました。戦争の中の象徴的な役割と、宗教・政治による評価の変化を合わせて理解しましょう。
13世紀
『神学大全』でキリスト教の信仰と哲学的な理性を結び付けた
中世ヨーロッパの神学者です。アリストテレスの哲学を取り入れながら、神や倫理について論じました。大学やスコラ学の発展と結び付きます。信仰と理性を常に対立するものとせず、体系的に説明しようとした点が特徴です。
カール大帝
教皇レオ3世から。
1096年
教皇ウルバヌス2世の呼びかけ。
1215年
ジョン王が署名。
ジャンヌ・ダルク
1429年オルレアン解放。
ウィリアム征服王
ヘイスティングズの戦い。
ギルド
品質管理と利益保護。
スカンディナヴィア
8〜11世紀に活動。
オットー1世
962年に帝冠。
尖塔アーチ
ノートルダム大聖堂。
ギルド
商人ギルドと手工業ギルド。
ハインリヒ4世と教皇グレゴリウス7世
叙任権闘争の一場面。
1291年
アッコン陥落でキリスト教勢力は撤退。
リューベック
北ドイツの商業都市同盟。
東方(ロシア・ビザンツ・カスピ海方面)
キエフ大公国を建設。コンスタンティノープルのヴァランガー親衛隊。
主要なものは7〜8回
1096〜1291年。第4回はコンスタンティノープルを攻撃してしまった。
ヴァイキング時代〜十字軍時代
794〜1185年。貴族文化の繁栄と武士の台頭。
徒弟→職人→親方
親方になるには「傑作(マスターピース)」の提出が必要。
神聖ローマ帝国で有力な皇帝がいなかった時代
1254〜73年。諸侯の勢力が拡大。
砂糖・香辛料・絹・ガラス製品・アラビア数字
東方貿易の拡大と文化交流。ヨーロッパの生活を変えた。
ヴァイキング(ルーシ)
9世紀。リューリクが建国。ロシアの起源。
理性と信仰の調和を論理的に追求
アリストテレス哲学とキリスト教の統合。トマス・アクィナスが大成。
アルクイン
カール大帝の宮廷でラテン語教育を復興。
ロロ
911年にフランス王から領地授与。
ヴェルダン条約
843年。カール大帝の孫3人で分割。独仏伊の原型。
ヴァイキングのロロ
911年にフランス王から領地を与えられた。
ハインリヒ4世
1077年。叙任権闘争の一場面。雪の中3日間立ち尽くした。
最盛期に約200都市
北ドイツ・バルト海沿岸の商業都市同盟。
火刑
1431年。異端の罪で処刑。のちに復権・列聖。
「神学大全」
スコラ哲学の大成者。理性と信仰の調和。
ヴィンランド(ニューファンドランド)
レイフ・エリクソンが約1000年にコロンブスより約500年前に到達。
パリ
1163年に着工。2019年に火災。
カール大帝(シャルルマーニュ)
西ローマ皇帝の帝冠を授けられ、西欧世界の統合の象徴となった。
カノッサの屈辱
皇帝と教皇の叙任権闘争を象徴する出来事。
第4回十字軍
1204年、コンスタンティノープルを攻略しラテン帝国を建てた。
ジャンヌ・ダルク
のちに異端審問にかけられ、火刑に処された。
マグナ・カルタ(大憲章)
後の立憲政治の先駆けとされる。
ピピン
この寄進が教皇領の起源となった。
カール・マルテル
その子ピピンがカロリング朝を開いた。
ヘースティングズの戦い
この勝利によりノルマン朝が成立した。
ステンドグラス
聖書の場面を描き、「文字の読めない人々の聖書」とも呼ばれた。
普遍論争
「普遍は実在するか」をめぐる哲学論争。
ルイ9世
チュニスへの遠征中に病死した。
レヒフェルトの戦い
この勝利が962年の皇帝戴冠につながった。
シャルル7世
常備軍と財政の整備を進め、王権を強化した。
アンセルムス
「理解するために信じる」という言葉で知られる。
リューリク
ロシアの起源とされ、その一族がキエフ公国を発展させた。
アルビジョワ十字軍
インノケンティウス3世が提唱し、フランス王権の南部進出を促した。
本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。
カール大帝
教皇レオ3世から。
1096年
教皇ウルバヌス2世の呼びかけ。
1215年
ジョン王が署名。
ジャンヌ・ダルク
1429年オルレアン解放。