米騒動の年は?
1918年
米価高騰に対する民衆の暴動。富山の主婦から始まった。
第4部 · 第25章
1910年代 / 日本・中国・欧州
地点の位置関係を示す地図です。海岸線は現代の地形資料に基づき、当時の海岸線・国境・支配領域を表すものではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。
考える視点:国の利益が増えることと家計の安定は同じか
1914年に第一次世界大戦が始まると、日本は日英同盟の関係を背景に参戦しました。中国の山東半島や太平洋のドイツの拠点への軍事行動は、日本の対外的な影響を広げます。欧州の戦争が遠くの出来事ではなく、東アジアの秩序を変える点が重要です。
中国への二十一か条の要求は、中国のと日本の利益をめぐる対立を強めました。日本の進出を条約名だけで学ばず、中国の人々がどう受け止め、どんな運動や政治的な反応を起こしたかまで見る必要があります。外交の利益と、相手の社会の経験を分けずに読みます。
欧州の生産や貿易が戦争で変わると、日本の輸出や海運、産業は成長しました。大戦景気では利益を得る企業や人がいた一方、物価の上昇は働く人々の生活を苦しくしました。売上が増えることと、家計が楽になることは同じではありません。
1918年の米騒動は各地へ広がりました。米価と流通、投機、所得、政治への不満が関わります。参加者は地域によって異なり、要求や行動も一様ではありません。生活を守ろうとする行動が、政府と社会の関係を変えることを具体的に考えます。
原敬の内閣は、政党が政治の中心へ進む重要な目印です。しかし、政党内閣ができても選挙権は限られ、多くの人が投票できませんでした。政党、官僚、元老、軍、貴族院などの関係が、実際の政策を左右します。政府の名称だけで民主化の程度を判断しないようにします。
吉野作造の民本主義など、政治の目的と参加をめぐる議論が広がりました。大学、新聞、雑誌、演説会は意見を伝える場になります。政治を支える人の数が増えることと、誰の声でも同じように反映されることは別です。参加の仕組みと社会の制限を合わせて読みます。
大戦後の講和で、日本の地位や領域に関わる取り決めが行われました。国際連盟の成立は協を目指しましたが、植民地支配や列強の力関係は残ります。民族自決の言葉が語られても、すべての地域に同じように実現したわけではありません。
朝鮮の三・一独立運動、中国の五・四運動は、戦後の期待と現実の違いを示します。日本では「戦争が終わった」と見える時期にも、周辺の人々はや権利を求めていました。次の章では、国内の政治参加と社会運動がどのように広がったかを見ます。
欧州の戦争が東アジアと日本の経済、外交を変えます。
生活の不安と政治参加の変化が重なった時期です。
国際的な期待と、主権や権利の実現との違いが問題になります。
本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。
1918年
米価高騰に対する民衆の暴動。富山の主婦から始まった。
大戦景気
1915〜18年頃。船成金・鉄成金が登場。
造船業・海運業・化学工業
1914〜18年。ヨーロッパの需要を日本が代替。「船成金」。
四カ国条約・九カ国条約・海軍軍縮条約
1921〜22年。日本は国際協調路線に。日英同盟は廃棄。
米騒動
富山県の主婦らの行動が発端とされ、寺内正毅内閣が退陣した。
原敬
華族でなく衆議院議員から初めて首相となり「平民宰相」と呼ばれた。
ワシントン会議
主力艦の保有比率が米英日で5:5:3と定められた。
九カ国条約
これにより日英同盟は破棄された。
大戦景気
アジア市場への輸出増加で成金が続出した。
戦後恐慌
1920年、株価の暴落から始まった。
本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。
1918年
米価高騰に対する民衆の暴動。富山の主婦から始まった。
大戦景気
1915〜18年頃。船成金・鉄成金が登場。
造船業・海運業・化学工業
1914〜18年。ヨーロッパの需要を日本が代替。「船成金」。
四カ国条約・九カ国条約・海軍軍縮条約
1921〜22年。日本は国際協調路線に。日英同盟は廃棄。