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第4部 · 第24章

日清・日露戦争と帝国の拡大

1890〜1910年代 / 東アジア・朝鮮・台湾・満洲

用語集
この章の目次
  1. 朝鮮をめぐる対立
  2. 日露戦争
  3. 植民地支配
  4. 戦争と国内政治
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

PLACE & HISTORY東アジア・朝鮮・台湾・満洲
日清・日露戦争と帝国の拡大の主な地域日本海太平洋東シナ海本州九州1 東京12 ソウル23 台北34 旅順4北約200 km
  1. 1東京
  2. 2ソウル
  3. 3台北
  4. 4旅順

地点の位置関係を示す地図です。海岸線は現代の地形資料に基づき、当時の海岸線・国境・支配領域を表すものではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景東アジアの主権と列強の利害が競合する
  2. 展開 →戦争、条約、軍事と外交によって支配が広がる
  3. 結果 →日本の帝国が拡大し、周辺の人々の権利が制限される

考える視点:支配された地域の経験を、同じ歴史の中へ置けるか

1. 朝鮮をめぐる対立

朝鮮の改革や政治の争いには国内の勢力と清・日本などの関係が重なりました。1894年に日清戦争が始まり、翌年の下関条約で日本は台湾などを得ます。朝鮮の人々を二つの大国の間の対象としてだけ見るのではなく、独自の目的と行動を持つ人々として読みます。

戦争と賠償金は日本の財政や産業へ影響しました。三国干渉は、戦場の勝利と国際的な交渉が同じ結果を保証しないことを示します。条約、勢力均衡、列強の利害を合わせて見ると、戦争後の政策の変化が分かります。

2. 日露戦争

日英同盟などの外交を経て、1904年に日露戦争が始まりました。朝鮮や満洲をめぐる利害、軍事と外交の判断が背景にあります。兵士の動員、戦費の達、輸送、医療などが戦争を支えました。戦闘の勝敗だけでは、社会が負った負担を理解できません。

1905年のポーツマス条約は戦争を終わらせましたが、期待された賠償金は得られませんでした。日比谷焼打ち事件には戦争中の宣伝や生活の負担、政治への不満も関わります。政府の外交判断と国民の期待が食い違うことを具体的に考えましょう。

3. 植民地支配

台湾の統治、朝鮮への支配の強化と1910年の韓国併合は、日本の帝国の拡大を示します。行政や産業の整備だけでなく、権利の制限、土地と労働、言語や教育、抵抗を含めて読む必要があります。支配する側の成果だけで植民地の歴史を説明してはいけません。

朝鮮や台湾の人々は、日本の政策にただ受け身で従った一つの集団ではありません。抵抗、交渉、生活のための選択など、さまざまな対応がありました。国の名前を同じ立場の全員とみなさず、地域や階層、時期の違いを確かめます。

4. 戦争と国内政治

戦争は政党、官僚、軍、企業の関係を変えました。新聞や学校を通じて国民の一体感が強される一方、反戦の言論や政治への異議は制限を受けます。国家を強める動きと、人々の自由を狭める動きが重なる点に注目します。

日本の拡大は世界の帝国主義とつながっていました。勢力を広げる競争が国際的な対立を深め、次の世界大戦へ関わります。日本史の戦争を国内の成功の連続として閉じず、支配された地域と同時代の世界へ開いて読むことが大切です。

年表で流れを確かめる

  1. 1894〜1895年
    日清戦争

    朝鮮の政治と清・日本の利害が、戦争と条約へ関わります。

  2. 1904〜1905年
    日露戦争

    軍事と外交、戦費と動員が国内外の社会を変えます。

  3. 1910年
    韓国併合

    植民地支配の制度と、人々の権利・抵抗・生活を合わせて学びます。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

陸奥宗光

1894年

外相として条約改正を進め、領事裁判権の撤廃を実現する条約を結んだ

外交を担当した明治の政治家です。日英通商航海条約の締結により、不平等条約の一部の改正が実現しました。実際の発効は1899年です。関税自主権の完全回復は後の1911年なので、二つの段階を混同しないようにしましょう。

小村寿太郎

1905年

日露戦争後のポーツマス条約で日本側の交渉を担った

明治の外交官・政治家です。アメリカで行われた講和会議に参加し、ロシアとの戦争を終わらせる交渉を行いました。1911年には関税自主権の回復にも関わります。講和の結果には国内の不満もあり、日比谷焼打事件につながりました。

下関条約の内容は?

遼東半島・台湾の割譲と賠償金

1895年。三国干渉で遼東半島は返還。

三国干渉をした3国は?

ロシア・フランス・ドイツ

1895年。日本に遼東半島の返還を要求。

ポーツマス条約の内容は?

韓国の指導権・南満州鉄道・南樺太の獲得

1905年。賠償金なしで国民の不満→日比谷焼打事件。

韓国併合の年は?

1910年

日本が韓国を植民地化。

三国干渉後のスローガンは?

臥薪嘗胆

ロシアへの復讐を期す国民感情。日露戦争への伏線。

条約改正で陸奥宗光が成功したのは?

領事裁判権の撤廃

1894年。日英通商航海条約。日清戦争直前。

条約改正で小村寿太郎が成功したのは?

関税自主権の完全回復

1911年。不平等条約の完全改正が実現。

日清戦争後の三国干渉への対応は?

遼東半島を返還し「臥薪嘗胆」でロシアへの対抗を誓う

軍備拡張の世論が高まり、日露戦争への伏線に。

韓国併合に反対した日本人は?

石橋湛山(後に首相)ら一部の言論人

小日本主義を唱えた。ただし当時は少数派。

ポーツマス条約に反対した「日比谷焼打事件」の背景は?

賠償金がなく「屈辱的講和」と国民が怒った

1905年9月。戒厳令が敷かれた。

第一次大戦で日本が参戦した条約上の根拠は?

日英同盟

1914年。ドイツに宣戦布告。山東半島と南洋諸島を占領。

日露戦争後の「韓国統監府」から「韓国併合」への流れは?

1906年統監府設置→1910年併合条約

伊藤博文暗殺(1909年)後に併合が加速。

三国干渉後の日本の軍拡の規模は?

軍事費が国家予算の約半分に

「臥薪嘗胆」。10年間で陸海軍を大幅に増強。

日英同盟が結ばれた背景は?

ロシアの満州進出に対する共通の脅威

1902年。「光栄ある孤立」を捨てたイギリスにとっても画期的。

「日比谷焼打事件」後の政治への影響は?

国民世論の力が政治を動かす「大衆政治」の始まり

1905年。桂太郎内閣が退陣。以後の政治に世論が大きく影響。

「下関条約」で清が認めたことは?

朝鮮の独立・遼東半島と台湾の割譲・賠償金2億テール

1895年。伊藤博文と李鴻章が交渉。

「日英同盟」締結の日本側のメリットは?

ロシアとの戦争でフランス・ドイツの介入を防ぐ

1902年。同盟国の敵と戦う義務。日露戦争の外交的基盤。

「ポーツマス条約」で日本が得られなかったものは?

賠償金

1905年。戦争継続の余力がなく妥協。国民は怒り日比谷焼打事件に。

「韓国併合」の条約名は?

韓国併合条約

1910年。韓国を日本の植民地に。朝鮮総督府を設置。

ポーツマス条約で日本全権を務め、関税自主権の完全回復も実現した外相は?

小村寿太郎

日英同盟の締結にも尽力した明治後期の外交官。

1894年、日英通商航海条約を結び領事裁判権の撤廃を実現した外相は?

陸奥宗光

日清戦争開戦時の外相でもあった。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

下関条約の内容は?

遼東半島・台湾の割譲と賠償金

1895年。三国干渉で遼東半島は返還。

三国干渉をした3国は?

ロシア・フランス・ドイツ

1895年。日本に遼東半島の返還を要求。

ポーツマス条約の内容は?

韓国の指導権・南満州鉄道・南樺太の獲得

1905年。賠償金なしで国民の不満→日比谷焼打事件。

韓国併合の年は?

1910年

日本が韓国を植民地化。

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