西郷隆盛
1877年
明治維新の功労者となった後、西南戦争で政府軍と戦った
薩摩藩の武士で、倒幕や江戸城の開城交渉に関わりました。新政府でも活動しましたが、征韓論をめぐる対立で政府を去ります。後に士族の不満を背景に西南戦争が起こりました。維新を進めた人物が新政府と戦うに至った変化を押さえましょう。
第4部 · 第21章
1868〜1870年代 / 東京・全国・北海道・沖縄
地点の位置関係を示す地図です。海岸線は現代の地形資料に基づき、当時の海岸線・国境・支配領域を表すものではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。
考える視点:近代化の利益と負担は、誰に届いたか
明治政府は五箇条の御誓文を示し、版籍奉還、廃藩置県を通じて大名の支配を再編しました。県の行政を中央の政府へ結び、全国の制度を整える狙いがありました。改革は宣言だけでなく、官僚、財政、通信、地域の協力によって実行されます。
武士の特権や収入の仕組みが変わり、士族には生活の再建が必要でした。秩禄処分や廃刀令への不満は、士族反乱などへつながります。西南戦争を反乱の勝敗だけで覚えず、旧い身分の仕事と財産がどう変わったかから考えましょう。
では土地の所有者や地価を基礎に金納の税を定め、政府の収入を安定させようとしました。米の出来に応じる負担との違いが農村へ影響します。土地の権利が明確になる一方、現金を用意する負担は農民に重くなる場合がありました。
徴兵令は軍隊を作るために人々を動員する制度でした。武士だけが戦う仕組みから変わりますが、当初の免役規定などによって負担には差がありました。政策の原則と実際の対象を分けます。政府の力が増すことは、人々の生活の管理が強まることでもありました。
学制は全国的な学校の制度を作ろうとしました。教育は読み書き、仕事、国家の形成に関わりますが、授業料や子どもの労働を失う負担もありました。学校ができた年と、誰もが通えるようになる時期を同じにしないことが大切です。
鉄道、郵便、新聞、洋服などは、新しい生活と情報の仕組みを広げました。文明開化は全国の暮らしが同じ形へ一度に変わることではありません。都市と農村、所得、年齢によって受け入れ方は違います。古い仕事と新しい技術が並び立つ姿を見ましょう。
北海道では開拓使などによる政策が進み、アイヌの人々の土地や暮らしが制限されました。琉球王国は沖縄県へと再編されます。領土の確定を政府の地図上の成果だけで語らず、地域の人々の権利や経験を含めて考える必要があります。
明治維新は日本の国家を強める過程であると同時に、身分、地域、生活を作り変える大きな変化でした。誰が決め、誰が利益を得て、誰が負担したかを問うと、近代化を単純な成功の物語にせず、社会の具体的な歴史として理解できます。
新しい政府の方針と、地方行政を中央へ結ぶ制度が整えられます。
学び、軍事、税を通じて国家と人々の生活が変わります。
旧い身分の役割と暮らしの再編が、政治的な対立へ関わりました。
この地域の前後の時代も含め、信仰・思想と暮らしの関係をたどる読み物です。
明治政府は1868年、神と仏、神社と寺院、その担い手を区別する一連の措置を出しました。これは長く続いた神仏習合を制度の面から組み替える政策です。各地では寺院や仏像を破壊する廃仏毀釈も起こりました。ただし、政府による分離政策と、地域で展開した仏教排斥の運動は同じものではありません。実際の破壊の程度や経緯には地域差があります。
神社と寺院の区別は、施設の名前だけを変えるものではありませんでした。儀礼の担い手の身分や服装、祭神や仏像の扱いなども変更の対象になります。政策を理解するには、法令の文言に加えて、各地の複合した施設がどう分けられたかを見る必要があります。
本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。
1877年
明治維新の功労者となった後、西南戦争で政府軍と戦った
薩摩藩の武士で、倒幕や江戸城の開城交渉に関わりました。新政府でも活動しましたが、征韓論をめぐる対立で政府を去ります。後に士族の不満を背景に西南戦争が起こりました。維新を進めた人物が新政府と戦うに至った変化を押さえましょう。
1873年
内務卿として殖産興業など明治政府の国内政策を進めた
薩摩出身の政治家で、岩倉使節団にも参加しました。近代国家の行政や産業の整備を重視し、征韓論ではまず内政を優先する立場を取りました。西郷隆盛との政治的な対立も重要です。1878年に暗殺されました。維新後の国家づくりを担った人物として整理しましょう。
1868年
西郷隆盛と交渉し、江戸城の無血開城に関わった
幕府の役人で、海軍の育成や外交の知識にすぐれました。幕府と新政府軍の全面的な戦闘を避けるため交渉しました。江戸城開城には複数の人々の働きも関わります。倒幕側だけでなく、幕府側から情勢の変化に対応した人物として理解しましょう。
広く会議を興し万機公論に決すべし
1868年。新政府の基本方針。
1869年
大名が土地と人民を天皇に返上。
1871年
藩を廃止し府県を設置。中央集権化。
1873年
国民皆兵。士族の特権を否定。
1873年
地価の3%を現金で納税。農民の負担は変わらず不満。
ガス灯・牛鍋・洋服・ザンギリ頭
「ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」。
1879年
琉球藩を廃止し沖縄県を設置。琉球王国の滅亡。
開拓使
1869〜82年。クラーク博士の札幌農学校もこの時期。
西郷隆盛・板垣退助・江藤新平
1873年。内治優先派(大久保ら)に敗れ下野。
強く抗議(日清間の外交問題に)
1879年。琉球王国は清にも朝貢していたため。
版籍奉還は形式的、廃藩置県は実質的な中央集権化
版籍奉還(1869年)→廃藩置県(1871年)。段階的に藩を解体。
旧来の年貢と同程度の税収を確保するため
農民にとっては負担が変わらず不満。1877年に2.5%に引き下げ。
開拓使の官有物を黒田清隆の関係者に格安で払い下げようとした汚職事件
1881年。国会開設運動の加速と「明治十四年の政変」のきっかけ。
版籍奉還・廃藩置県・地租改正
封建制度の解体と近代国家の基礎を築いた三大改革。
収穫高ではなく地価に基づく金納
1873年。土地の所有権を明確にし、安定した税収を確保。
徴兵令に対する農民の反対一揆
「血税」という言葉を文字通り「血を取られる」と誤解した。
城山(鹿児島)
1877年9月24日。「もうここでよか」。政府軍に包囲され自決。
知藩事(藩の管理者)
1869年。土地(版)と人民(籍)を天皇に返上。しかし実質は変わらず。
北海道開拓使官有物払下げ事件への批判と民権運動の高揚
1881年。1890年に国会を開設すると天皇が約束。
西郷隆盛
1873年。内治優先派に敗れ下野。
大久保利通
東京の紀尾井坂で不平士族に襲撃され死去した。
紀尾井坂の変
不平士族らによる犯行だった。
木戸孝允
桂小五郎の名でも知られ、西南戦争中に病死した。
本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。
広く会議を興し万機公論に決すべし
1868年。新政府の基本方針。
1869年
大名が土地と人民を天皇に返上。
1871年
藩を廃止し府県を設置。中央集権化。
1873年
国民皆兵。士族の特権を否定。