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第4部 · 第24章

帝国主義とアフリカ・アメリカ

19世紀後半〜20世紀初め / 世界各地

用語集
この章の目次
  1. 帝国主義を仕組みから理解する
  2. アフリカの分割と抵抗
  3. アメリカの変化
  4. 競争と結び付き
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

帝国主義とアフリカ・アメリカの主な地域12345
  1. ロンドン
  2. ベルリン
  3. 南アフリカ
  4. ワシントンD.C.
  5. パナマ

位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景工業化、資源・市場・拠点への関心
  2. 展開 →軍事と経済による支配の拡大
  3. 結果 →国際競争と各地域の抵抗が強まる

考える視点:国の独立と経済の対等さ、施設と住民の利益は別の問題

1. 帝国主義を仕組みから理解する

とは、が軍事、経済、政治などの力で他地域への支配や影響を広げる動きです。を持つ形だけでなく、借款や通商、外交を通じる影響もありました。資源、市場、軍事的な拠点、の威信など、動機は複数あります。

工業化や通信、交通の発達は支配を広げる条件でした。ただし、技術があれば必ず同じ政策になるわけではありません。企業、政府、軍隊、宣教師、現地の有力者などの関係を読みます。経済的な利益と人種的な思想が、支配を正当化する説明に用いられました。

2. アフリカの分割と抵抗

欧州諸国はアフリカの各地へ支配を広げ、地域の社会とは異なる国境を定めました。ベルリン会議だけでアフリカ全域の線が完成したわけではありません。各地の征服、条約、競争を通じて支配が進みます。地図の色分けと実際の統治の過程を区別しましょう。

住民は交渉、協力、移動、武装抵抗など異なる方法で対応しました。の鉄道や道路は、資源や商品を運ぶ目的とも関わります。施設ができたことを無条件の恩恵と考えず、誰のために作られ、誰が費用や労働を負担したかを問います。

3. アメリカの変化

アメリカ合衆国では領土の拡大、先住民の土地の喪失、移民、工業化が進みました。南北戦争ではと連邦の維持などが争われます。リンカンの奴隷解放宣言は対象に制限があり、廃止は憲法修正の段階へつながりました。

戦争後も人種差別や隔離は続きました。ラテンアメリカでは独立後も土地や輸出経済、外国の影響が課題になります。国が独立していることと、経済上の力が対等であることは同じではありません。国内の格差と国際的な関係を結び付けて読みます。

4. 競争と結び付き

間の競争はや軍備、同盟に表れます。一方で、商品、資金、人々は国境を越えて移動しました。世界がつながることと政治的な協調が進むことは同じではありません。経済的な相互依存と軍事的な対立が並んで存在しました。

の人々は戦争や国際政治の受け身の対象だけではありません。運動や労働、文化の活動によって支配に対応します。の歴史は、欧州の政策と各地域の社会の両側から読む必要があります。この視点は世界大戦と独立運動を理解する土台になります。

年表で流れを確かめる

  1. 1863年
    奴隷解放宣言

    対象の制限があり、憲法上の廃止とは別の段階。

  2. 1884〜1885年
    ベルリン会議

    アフリカの支配をめぐる欧州諸国の関係が調整された。

  3. 1898年
    米西戦争

    アメリカの対外的な影響が拡大した。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

リンカン

1863年

南北戦争中に奴隷解放宣言を出したアメリカ大統領

合衆国の分裂を防ぐため戦争を指導しました。奴隷解放宣言の対象には地域上の制限があり、すべての奴隷制がその日になくなったわけではありません。奴隷制の廃止は憲法修正第13条につながります。宣言と法的な制度の廃止を区別しましょう。

奴隷解放宣言の大統領は?

リンカーン

1863年。

ラテンアメリカの「解放者」は?

シモン・ボリバル

南米独立の英雄。

南北戦争の争点は?

奴隷制

1861〜65年。

アフリカ分割を協議した会議は?

ベルリン会議

1884〜85年。

三国同盟の3国は?

独・墺・伊

1882年。ビスマルク外交。

三国協商の3国は?

英・仏・露

三国同盟に対抗。

パナマ運河開通の年は?

1914年

太平洋と大西洋を結ぶ。

モンロー宣言の内容は?

欧州のアメリカ大陸干渉拒否

1823年。

ボーア戦争の場所は?

南アフリカ

イギリスとオランダ系移民の戦争。1899〜1902年。

ベルリン会議(1878年)で独立を認められたバルカンの国は?

セルビア・ルーマニア・モンテネグロ

露土戦争後の領土再編。ビスマルクが「誠実な仲介者」。

「白人の重荷」という概念の問題点は?

帝国主義・植民地支配の正当化

キプリングの詩。西洋文明の優越性を前提にした人種差別思想。

ファショダ事件後の英仏関係はどうなった?

英仏協商(1904年)へ発展

アフリカでの衝突を外交で解決し、のちの対独協力へ。

ゲティスバーグの戦い(1863年)はどの戦争の転換点?

南北戦争

北軍の勝利。リンカーンの演説で有名。

アフリカで植民地にならなかった2カ国は?

エチオピアとリベリア

エチオピアはイタリアの侵略を撃退。リベリアは解放奴隷が建国。

ファショダ事件(1898年)で対立した2国は?

イギリスとフランス

スーダンで両国の植民地拡大が衝突。外交交渉で解決。

南北戦争後のアメリカの黒人差別法は?

ジム・クロウ法

1870年代〜1960年代。公共施設の人種分離。

1861〜65年、奴隷制をめぐりアメリカ北部と南部が戦った内戦は?

南北戦争

リンカン大統領のもとで北部が勝利した。

1863年に奴隷解放宣言を発表したアメリカ大統領は?

リンカン

南北戦争中の重要な転換点となった。

1884〜85年、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割の原則を定めた国際会議は?

ベルリン会議(コンゴ会議)

実効支配(先占)の原則が定められ、分割競争が加速した。

南北戦争中の1862年、西部の公有地を開拓者に無償で与えると定めた法律は?

ホームステッド法

西部開拓を促進し、北部への支持を集めた。

ベルリン・ビザンティウム・バグダードを結ぶ、ドイツの帝国主義政策は?

3B政策

バグダード鉄道の敷設を進め、イギリスと対立した。

カイロ・ケープタウン・カルカッタを結ぶ、イギリスの帝国主義政策は?

3C政策

アフリカ縦断政策とインド支配を結びつけた。

1856年、イギリス・フランスが清と戦った「第2次アヘン戦争」とも呼ばれる戦争は?

アロー戦争

イギリス船アロー号の臨検事件を口実に開戦した。

露土戦争の講和として1878年に結ばれ、ベルリン会議で修正された条約は?

サン・ステファノ条約

ブルガリアの拡大を警戒した英墺が修正を求めた。

1898年、アフリカ縦断政策のイギリスと横断政策のフランスがスーダンで対峙した事件は?

ファショダ事件

フランスが譲歩し、のちの英仏協商への道を開いた。

1896年、エチオピアがイタリア軍を破り独立を守った戦いは?

アドワの戦い

皇帝メネリク2世が近代兵器を備えて勝利した。

1907年に結ばれ、三国協商を完成させた協定は?

英露協商

イランなどでの勢力範囲を相互に確認した。

アヘン戦争後の1844年、アメリカが清と結んだ条約は?

望厦条約

フランスも同年、黄埔条約を結んだ。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

奴隷解放宣言の大統領は?

リンカーン

1863年。

ラテンアメリカの「解放者」は?

シモン・ボリバル

南米独立の英雄。

南北戦争の争点は?

奴隷制

1861〜65年。

アフリカ分割を協議した会議は?

ベルリン会議

1884〜85年。

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