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第3部 · 第17章

オスマン・サファヴィー・ムガル

15〜18世紀 / 西アジア・イラン・南アジア

用語集
この章の目次
  1. 三つの帝国を比較する
  2. オスマン朝の統治
  3. イランと南アジア
  4. 経済と美術のつながり
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

オスマン・サファヴィー・ムガルの主な地域12345
  1. イスタンブル
  2. イスファハン
  3. デリー
  4. アグラ
  5. カイロ

位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景多様な住民と農業・交易の基盤
  2. 展開 →軍事、官僚、地方との関係で帝国を運営
  3. 結果 →宮廷文化と広域の生産が発展

考える視点:同じ宗教に関わる帝国でも、制度と住民の条件は異なる

1. 三つの帝国を比較する

オスマン朝、サファヴィー朝、ムガルは、イスラームに関わる広いでした。しかし、支配する地域、住民の構成、統治の制度は異なります。同じ宗教名で一つの像を作らず、地図で位置を確かめ、何によって支配を支えたかを比較しましょう。

火器の利用は軍事力に関わりましたが、の成立を武器の優秀さだけで説明することはできません。徴税、、地方の有力者、農業やがを支えます。軍隊を維持する費用と、経済から収入を得る仕組みの関係が重要です。

2. オスマン朝の統治

オスマン朝はコンスタンティノープルを征服し、バルカン、西アジア、北アフリカへ影響を広げました。と海峡、路は軍事と経済の要所です。異なる宗教や言語を持つ人々を統治するため、地域の制度や集団を利用しました。を単純な同質の民族とみなさないようにします。

中央の軍隊や役人と、地方の支配者の関係は変化しました。宗教別の共同体を説明する制度も、全時代に同じ完成形で存在したわけではありません。税や法、日常の交流の実際を分けて考えると、制度名から生活を一律に推測する誤りを避けられます。

3. イランと南アジア

サファヴィー朝はシーア派を重視し、イランのと宗教の関係を変えました。隣接するオスマン朝との対立には宗教と領土、の利害が重なります。が違うため必ず戦争が起きると考えるのではなく、具体的な政策や地域の争いを確認します。

ムガルは多様な信仰や言語の人々を統治しました。アクバルは協調を重視する政策で知られますが、後の皇帝の政策は同じではありません。土地からの収入、地方の有力者、宮廷の文化がを支えました。宗教の違いとへの忠誠を単純に一致させないことが大切です。

4. 経済と美術のつながり

綿織物などの生産、、国際はの経済に関わりました。建築や庭園、細密画などは宮廷の支援と職人の技術によって作られます。タージ・マハルのような建築を美しい外観だけでなく、、記憶、資金、労働を表す資料として見ましょう。

18世紀に各地の政治が変化しても、社会や文化が突然すべて消えたわけではありません。地方の勢力や商人は新しい条件に対応します。欧州の進出を理解するためにも、の内部の変化と外部からの圧力を分けて追う必要があります。

年表で流れを確かめる

  1. 1501年
    サファヴィー朝の成立

    イランの王権とシーア派の関係が強まった。

  2. 1526年
    ムガル帝国の成立

    南アジアの多様な社会を統治する仕組みが発展した。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

ムガル帝国最盛期の皇帝は?

アクバル

宗教融和政策。

タージ・マハルを建てた皇帝は?

シャー・ジャハーン

亡き妻のために建設。

オスマン帝国の「ミレット制」とは?

非ムスリムの宗教共同体に自治を認める制度

キリスト教徒やユダヤ教徒が独自の法・教育を維持。

マラータ同盟とは?

インドのヒンドゥー教勢力によるムガル帝国への抵抗運動

シヴァージーが創始。18世紀にはインドの覇権を争った。

ムガル帝国のアウラングゼーブの政策の問題点は?

ヒンドゥー教への不寛容(ジズヤ復活)→帝国の分裂

アクバルの融和政策を逆行。マラータ同盟の台頭を招いた。

スレイマン1世の別名は?

壮麗帝

オスマン帝国最盛期。立法者としても有名。

イェニチェリとは?

キリスト教徒の子弟から編成したエリート兵

デヴシルメ制度で少年を徴集。

サファヴィー朝の国教は?

シーア派イスラム教

イランのシーア派化の原点。

オスマン帝国の最盛期の皇帝は?

スレイマン1世(大帝)

16世紀。ウィーン包囲。法の整備者。

オスマン帝国の精鋭部隊は?

イェニチェリ

キリスト教徒の少年を徴集し訓練した。デヴシルメ制度。

ムガル帝国の「ジズヤ」とは?

非ムスリムに課された人頭税

アクバルは廃止したが、アウラングゼーブが復活。

サファヴィー朝ペルシアの国教は?

シーア派イスラム教

1501年建国。イランがシーア派になった原因。

ティムールの子孫を称し、1526年に北インドを征服してムガル帝国を建てた人物は?

バーブル

デリー・スルタン朝を破りムガル帝国を建国した。

亡き妃ムムターズ・マハルを追悼し、タージ・マハルを建設したムガル皇帝は?

シャー・ジャハーン

白亜の総大理石廟として世界遺産に登録されている。

サファヴィー朝の最盛期を築き、イスファハーンを都とした王は?

アッバース1世

「イスファハーンは世界の半分」と称される繁栄をもたらした。

1529年、スレイマン1世がハプスブルク家の本拠地に迫った軍事行動は?

第1次ウィーン包囲

ヨーロッパにオスマン帝国の脅威を強く印象づけた。

第2次ウィーン包囲の失敗後、1699年にオスマン帝国がハンガリーなどを失った条約は?

カルロヴィッツ条約

オスマン帝国の領土後退の始まりとされる。

1538年、オスマン海軍がスペイン・ヴェネツィア連合艦隊を破った海戦は?

プレヴェザの海戦

オスマン帝国が地中海の制海権を握った。

オスマン帝国がヨーロッパ商人に与えた通商上の特権は?

カピチュレーション

のちに列強の経済進出の足がかりとされた。

17世紀後半、マラーター王国を建ててムガル帝国に抵抗した人物は?

シヴァージー

ヒンドゥー勢力の英雄として今も讃えられる。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

ムガル帝国最盛期の皇帝は?

アクバル

宗教融和政策。

タージ・マハルを建てた皇帝は?

シャー・ジャハーン

亡き妻のために建設。

オスマン帝国の「ミレット制」とは?

非ムスリムの宗教共同体に自治を認める制度

キリスト教徒やユダヤ教徒が独自の法・教育を維持。

マラータ同盟とは?

インドのヒンドゥー教勢力によるムガル帝国への抵抗運動

シヴァージーが創始。18世紀にはインドの覇権を争った。

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