ハンムラビ
紀元前18世紀
バビロン第1王朝で法典を整えた王
メソポタミアで勢力を広げた王です。ハンムラビ法典には刑罰や取引、家族などに関する規定が記されています。「目には目を」で知られますが、身分によって扱いが異なる社会の法でした。現代の人権や法の平等と同じ制度だと考えないことが大切です。
第1部 · 第2章
前4千年紀〜前1千年紀 / 西アジア・北アフリカ
位置関係を示す地図です。歴史的国境・支配領域を表す図ではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。
考える視点:制度の利益と負担、身分による扱いの違いが残る
ティグリス川とユーフラテス川の流域では、や土地の管理が農業との発展に関わりました。シュメールのでは神殿や宮殿が物資や労働を管理します。楔形文字は取引や配給の記録にも使われました。文字は物語や学問だけでなく、経済を運営するための道具でもありました。
の間には戦争だけでなくもありました。木材や金属など、地域で得にくい資源を遠くから取り入れます。を独立した点として見るのではなく、食料を生産する周辺の村や物資を運ぶ道と結び付けましょう。の生活は、農民、職人、商人、役人などの仕事に支えられていました。
ハンムラビの法典は、刑罰、取引、家族などについての規定を示します。「目には目を」という言葉だけでは内容を理解できません。によって扱いが異なり、現代の法の下の平等とは違います。法典を読むと、争いを裁く仕組みと、社会が当然と考えた関係の両方が見えてきます。
アッシリアやアケメネス朝のような広い領土を持つでは、軍隊だけでなく行政や交通が重要になりました。ダレイオス1世は総督や道路などを通じて統治を整えます。地方の慣習と中央の命令をどう両立させるかは、古代の大にも現代のにも関わる課題です。
エジプトではナイル川の流域を基盤に王国が形成されました。王は政治と祭祀の中心であり、土地や労働の組織が大規模な建築を支えます。ピラミッドを見て王の力を考えるときは、石を切り、運び、食料を供給した人々の仕事まで想像しましょう。巨大な建築は技術と社会の組織の両方を示します。
死後の世界への信仰は、墓、ミイラ、供物などに表れます。ただし、葬送の方法は時代や富によって違いました。豪華な王墓を基準に、すべての人の生活を説明できません。王や役人の碑文も、理想的な自己像を示すことがあり、日常のすべてを中立に記録した文書ではありません。
フェニキア人のや文字、ヘブライ人の宗教的な伝統などは、後の地中海世界に影響を与えました。文字や宗教が伝わるときは、受け入れる地域で使い方が変わります。を一つの民族だけの成果として説明せず、交流と地域の条件の両方を見ましょう。
古代イランのと宗教も西アジアの歴史に関わります。ゾロアスター教を単に火を神とする信仰と説明することは不正確です。異なる集団を支配するでは、宗教や言語の違いに対応する必要がありました。領土の広さと、支配の方法を分けて比較することが大切です。
物資の管理や祭祀、王権が都市の組織と関わった。
身分ごとの規定を含む法典が整えられた。
キュロス2世が西アジアの広い地域へ支配を広げた。
この地域の前後の時代も含め、信仰・思想と暮らしの関係をたどる読み物です。
ティグリス川・ユーフラテス川流域では、前4千年紀末までに都市が発達しました。ウルクのイナンナなど都市と結びつく神々がおり、神殿は祭祀だけでなく土地や物資の管理にも関わりました。バビロンの政治的な力が増すと、その神マルドゥクの位置づけも高まりました。神々の物語は、自然の説明であると同時に、変化する都市間関係や王権を表現していたのです。
人びとが神々に奉仕するという考え方は、供物や祭礼を組織する根拠にもなりました。神々の世界を語る物語と、都市の現実の営みを分けて読むことで、王の支配を正当化する説明がどのように働いたかが見えてきます。同時に、家庭や個人の信仰が公的な祭祀と並んで存在したことも見落とせません。
古代エジプトでは王の支配と祭祀が密接に結びつき、神々に支えられる世界の秩序を保つことが重視されました。死者の身体を保存するミイラ、墓、供物は、死後も続く生命への信仰を伝えます。ただし、埋葬方法は時代や経済力によって異なります。壮大な王墓だけを基準に、すべての人が同じ葬送を行ったと考えないことが大切です。
葬送のための品々は、死者の来世を助けることを願って準備されました。こうした信仰は、造形や文字、専門的な技術の発達とも関係します。宗教美術を鑑賞するときも、作品の美しさだけでなく、誰のために、どこで、何の行為に用いられたのかを考えると、歴史の中の役割がわかります。
ギリシアの都市国家やローマでも、神々への祭祀は都市の共同生活の一部でした。ローマの拡大は異なる地域の神々や祭祀を接触させ、皇帝に関わる祭祀は政治的忠誠とも重なりました。のちにキリスト教徒の一部が公的祭祀への参加を拒んだことは、単なる私的な好みではなく、共同体の秩序との関係で問題にされます。古代の政治と宗教を、現代の区分だけで切り離すことはできません。
ギリシアでは、神々に捧げる祭礼に競技や供犠が伴い、各都市の祭祀と、広い地域の人びとが集まる聖地の両方がありました。神話の知識を共有することと、すべての都市が同じ政治組織になることは別です。信仰が広い文化的なつながりをつくりながら、地域の独自性も保つ例といえます。
ゾロアスター教は、ザラスシュトラ(ゾロアスター)の教えに由来するとされる古代イランの宗教です。アフラ・マズダーを重んじ、善悪の選択と人間の行為を重要視します。ササン朝時代には王権との結びつきが強まりました。イスラム勢力の拡大後も信仰は存続し、イランや南アジアなどに共同体が続きます。単に「火を神として拝む宗教」と理解するのは不正確です。
ゾロアスター教で火が重視されるのは、儀礼と清浄さに関わるためです。後にイランを離れてインドへ移った信徒は、パールシーと呼ばれる共同体を形成しました。ある宗教が王権の支えを失っても、家庭・儀礼・移住先の組織によって続くことは、宗教史の重要なテーマです。
ユダヤ教は、古代イスラエル・ユダの人びとの信仰を背景に、長い時間をかけて形成されました。聖書にはアブラハムと神の契約、モーセに率いられた出エジプト、シナイ山での律法授与が語られます。これらは信仰と共同体の自己理解を支える物語です。一方、人物の生涯や出来事を物語どおりに歴史的事実として確認できるかは、別に史料・考古資料の検討を要します。
契約という理解では、神と共同体の関係は儀礼だけでなく、日常の行為や社会の正義にも関わります。預言者の言葉は、支配者や人びとのふるまいへの批判にもなりました。このように、宗教は既存の権威を支えるだけでなく、そのあり方を問い直す言葉にもなり得ました。
前8世紀末に北のイスラエル王国がアッシリアによって滅ぼされ、前6世紀には南のユダ王国が新バビロニアに征服されました。前587/586年のエルサレム神殿破壊と住民の一部の移送は、大きな転機です。政治的な敗北をどう理解するかという問いの中で、唯一神への信仰、契約、律法、歴史の意味が再検討されました。一神教は一人の人物が一日に完成させた制度ではありません。
神殿と王国を失うことは、神と共同体の関係が終わったことを意味するのか。この問いに対して、歴史を契約と責任の問題として理解し直すことは、信仰を継承する道を開きました。政治的な独立の有無だけでは、共同体の持続を説明できないという点が重要です。
アケメネス朝ペルシアがバビロニアを征服すると、帰還と神殿再建が進み、前6世紀末に第二神殿が成立しました。ローマ支配下の70年にこの神殿も破壊されます。その後、ラビと呼ばれる教師たちによる律法の学習・解釈、シナゴーグでの祈り、家庭の実践の重要性がさらに増しました。後世に編まれたタルムードは、この解釈と討論の蓄積を伝えています。
神殿での供犠は、決まった場所と祭司の制度に依存していました。これに対し、学習、祈り、安息日の実践は、離れた場所でも継承できます。神殿の破壊がただちに現在の制度を完成させたのではありませんが、信仰の中心を複数の場で担うことは、離散した共同体の継続を支えました。
ユダヤ人の離散、すなわちディアスポラは70年に突然始まったのではなく、それ以前から複数の地域に共同体がありました。地域ごとの言語や生活文化を取り入れながら、安息日、祭日、学習などを通じてつながりを保ちました。ユダヤ人としての帰属には宗教だけでなく文化・家族・歴史の側面もあります。現代の国家や政府の立場と、世界中のユダヤ人を同一視してはいけません。
同じ伝統を共有しながらも、言語や地域文化が違えば、共同体の生活は異なります。統治者から保護を受ける場合も、居住や職業を制限される場合もありました。後のヨーロッパ史に登場するユダヤ人の迫害を理解するには、この長い共同体の歴史と、周囲の社会との関係をあわせて読む必要があります。

石碑の下には役人メンチュウウセルと供物、上には長い碑文があります。所蔵館の解説によると、碑文は王への奉仕や故人の善行を伝え、図像は家族から食物を受け続ける願いを表します。王の評価、家族の記憶、死後への祈りが一枚の石に重なっているのです。また碑文は、読む人だけでなく読み上げを聞く人にも呼びかけます。文字を読める人の数と、碑の内容に接する人の数は同じではありません。ただし故人を顕彰する文章を、その人物の行動すべてを中立に記録した報告書としては読めません。
いいえ。王への奉仕を伝える碑文と、家族が供物を差し出す図が同居しています。政治的な評価、親族の役割、葬送の願いを関連づけて読めます。
| 関わる人 | 碑に表された役割 | 読み取る視点 |
|---|---|---|
| 王 | 奉仕を評価する権威 | 官職と王権の関係 |
| 故人 | 功績・善行を称賛される人物 | 理想化された自己像 |
| 家族 | 供物と記憶を支える人びと | 葬送と親族のつながり |
| 読者・聞き手 | 碑文の呼びかけを受ける人びと | 文字・音声・図像の伝達 |
碑に現れる一人の役人の例を、すべての身分の人びとの葬送へそのまま広げないようにします。

このガラス器の断片には、巻物を置くトーラーの櫃と七枝の燭台が見えます。神殿が破壊された後にも、その記憶や祭日の道具が図像として受け継がれたことを考える手がかりです。一方、金箔を用いたガラス器という技法はユダヤ教徒だけのものではなく、同時代のキリスト教徒などにも用いられました。共通の制作文化と、共同体を示す文様の両方に注目できます。ただし、この図を失われた神殿の正確な設計図とみなしたり、一人の所有者の宗教実践をすべて読み取ったりはできません。
そうではありません。器の作り方や暮らしの文化は共有できても、そこに選ばれた象徴は異なります。技法と図像を別々に比較する必要があります。
| 要素 | この資料の手がかり | 注意したい点 |
|---|---|---|
| トーラーの櫃 | 扉の開いた櫃に巻物を描く | 神殿の建築そのものとは区別 |
| 七枝の燭台 | 失われた神殿と共同体を想起させる象徴 | すべての使用例が同じ目的とは限らない |
| 金箔ガラス | 他の共同体にも見られる共通の技法 | 技法の共有と教義の一致は別 |
同じ技法で聖人を表した金箔ガラスは「キリスト教の成立とローマ帝国」の資料でも見られます。
本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。
紀元前18世紀
バビロン第1王朝で法典を整えた王
メソポタミアで勢力を広げた王です。ハンムラビ法典には刑罰や取引、家族などに関する規定が記されています。「目には目を」で知られますが、身分によって扱いが異なる社会の法でした。現代の人権や法の平等と同じ制度だと考えないことが大切です。
紀元前6世紀末
アケメネス朝で州制度や王の道などの統治を整えた
広大な領土を統治するため、総督を配置し、交通や情報伝達の仕組みを整備しました。貨幣や税の制度も重要でした。ギリシアとのペルシア戦争にも関わります。帝国を維持するには軍事だけでなく、行政、道路、財政が必要だったことを示します。
ティグリス川・ユーフラテス川
「川の間の地」の意味。
ヒエログリフ
ロゼッタストーンで解読。
ハンムラビ法典
バビロン第1王朝。
冥界で魂を導く
心臓の重さを量る裁判。
キュロス2世
バビロン捕囚を解放。
楔形文字
粘土板に刻んだ。
ラー
ファラオは太陽神の子とされた。
ミイラから取り出した内臓の保存
肝臓・肺・胃・腸をそれぞれ別の壺に。
神殿(神が降臨する場所)
バベルの塔のモデルとされる。
肥沃な土壌を運び農地を更新する
毎年7〜10月に定期的に氾濫。「エジプトはナイルの賜物」。
戦争と平和の場面を描いた装飾箱
前2600年頃。貝殻やラピスラズリの象嵌細工。大英博物館所蔵。
エジプト・ペルシア・スキタイなど広範囲
各地の風俗・歴史・地理を記録。「歴史の父」。
パピルスという水生植物の茎
ナイル川流域に自生。英語のpaperの語源。
紫色の染料と海上貿易
ムレックス貝から「テュリアン・パープル」を生産。王侯貴族の色。
ラムセス2世
岩窟神殿。1960年代にダム建設のため移設(ユネスコの救済事業)。
バビロニアの天地創造神話
マルドゥク神がティアマトを倒し世界を創る物語。
金・象牙・黒檀・香料
エジプトにとって南方の重要な資源供給地。
あぐらをかいて巻物を広げている
ルーヴル美術館所蔵。書記の高い社会的地位を反映。
ネブカドネザル2世
世界七不思議の一つ。実在は議論中。
ゾロアスター教
226〜651年。ローマ・ビザンツ帝国と対抗。
地中海貿易(交易の民)
カルタゴなど地中海各地に植民都市を建設。紫色の染料で有名。
エジプトを一時支配した異民族
前17〜前16世紀。馬と戦車をもたらした。
テーベ(ルクソール)の台頭と芸術の発展
前2055〜前1650年頃。アメン神信仰の発展。
時に支配し時に支配された(第25王朝はヌビア出身)
ナパタ・メロエを拠点に独自の文明を発展。
メソポタミアの階段状神殿
ウルのジグラットが有名。
約2700km
スーサからサルディス。駅伝制完備。
アッシュルバニパル
約3万枚の粘土板を収集。
ティルスとシドン
地中海貿易の雄。カルタゴの母市。
地方総督
ダレイオス1世が20の州に分割。
時間と角度
60秒・60分・360度。
アブ・シンベル神殿
ヒッタイトとの条約も有名。
鉄
鉄器で軍事的優位を確保。
ナトロン(天然の炭酸ナトリウム)
約70日間かけて脱水・防腐処理を行った。
約2700km
スーサからサルディスまで。駅伝制で7日間。
365日
ナイル川の氾濫周期から算出。現代の暦の基礎。
高い(特権階級)
識字能力は権力の源泉。税の徴収や記録を担当。
ネブカドネザル2世
前586年。エルサレム神殿を破壊しユダヤ人を連行。
ハトシェプスト
男装してファラオとして約20年間統治。
バビロン第1王朝
「目には目を、歯には歯を」の同害復讐法で知られる。
ペルシア軍
紀元前490年、アテネ軍が勝利しペルシアの侵攻を防いだ。
同じ文章がヒエログリフ・デモティック・ギリシア語で刻まれていたこと
フランス人シャンポリオンが1822年に解読に成功した。
ネブカドネザル2世
紀元前586年、エルサレム陥落後にユダヤ人をバビロンへ連行した。
キュロス2世
紀元前550年頃にメディアを征服して建国した。
ペルシア(イラン高原)
善悪二元論が特徴で、後のユダヤ教・キリスト教にも影響を与えたとされる。
アルファベットの原型となる表音文字
ギリシア文字・ラテン文字の起源となった。
死者の書
ミイラとともに埋葬され、来世での安寧を願った。
六十進法
現代の「1時間=60分」「1周=360度」にその名残が見られる。
アッシュールバニパル
ニネヴェに膨大な粘土板文書を収めた図書館を建設した。
アメンホテプ4世(アクエンアテン)
一時的に一神教的な信仰形態を導入したが、死後に旧来の多神教へ戻された。
ヘロドトス
史料に基づく歴史記述の先駆者とされる。
デロス同盟
前478年頃結成。資金金庫は当初デロス島に置かれた。
モーセ
「出エジプト」の途上、シナイ山で十戒を授かったとされる。
ソロモン王
その死後、王国は南北に分裂した。
イスラエル王国とユダ王国
北のイスラエル王国はアッシリアに、南のユダ王国は新バビロニアに滅ぼされた。
ダレイオス1世
「王の道」を整備し、ペルセポリスの造営を始めた。
オシリス
死者はオシリスの前で生前の行いを審判されるとされた。
セレウコス朝
ディアドコイ(後継者)戦争を経て成立した。
リディア・メディア・新バビロニア・エジプト
のちにアケメネス朝ペルシアがこれらを統一した。
ベヒストゥン碑文
19世紀にローリンソンが解読に成功した。
本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。
ティグリス川・ユーフラテス川
「川の間の地」の意味。
ヒエログリフ
ロゼッタストーンで解読。
ハンムラビ法典
バビロン第1王朝。
冥界で魂を導く
心臓の重さを量る裁判。