シルクコード図書館

第5部 · 第27章

恐慌から軍事的な拡張へ

1920年代後半〜1930年代前半 / 東京・農村・中国東北部

用語集
この章の目次
  1. 経済の危機
  2. 政党政治への不満
  3. 満洲事変と国際関係
  4. 社会の統制
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

PLACE & HISTORY東京・農村・中国東北部
恐慌から軍事的な拡張への主な地域日本海本州北海道朝鮮半島1 東京12 柳条湖付近23 新京・現在の長春3北約200 km
  1. 1東京
  2. 2柳条湖付近
  3. 3新京・現在の長春

地点の位置関係を示す地図です。海岸線は現代の地形資料に基づき、当時の海岸線・国境・支配領域を表すものではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景恐慌と生活不安、政治への不信が強まる
  2. 展開 →軍事行動と政治的な暴力、社会の統制が進む
  3. 結果 →国際協調の条件と自由な判断の場が狭まる

考える視点:一つずつの選択は、どんな別の可能性を閉じたか

1. 経済の危機

昭和金融恐慌と、世界恐慌に関わる昭和恐慌は、起点と仕組みが異なります。銀行の信用、生産、貿易、価格の変動が企業と家計へ届きました。輸出する生糸の価格低下などは農村に厳しい影響を与えます。株価や政府の数字だけで不況を説明しないようにします。

井上準之助の金解禁と、その後の高橋是清の政策は、通貨と財政の対応の違いを示します。目的、実施した条件、結果を分けて比較しましょう。政策が経済を支える一方、軍事費や政治の対立も財政に関わり、自由に整できるわけではありませんでした。

2. 政党政治への不満

政党や有力者への不信、生活の苦しさ、思想の対立が広がりました。五・一五事件では犬養毅首相が殺害され、政党内閣の時代に大きな転機が生じます。政治的な暴力は一人の性格だけでなく、組織、支持、取締り、社会の反応の中で考える必要があります。

二・二六事件は軍の内部の対立と国家の政治を揺さぶりました。事件を軍人の反乱という一言で終えず、要求と背景、政府の対応、その後に軍が政治へ持った影響を追います。制度が残っていても、自由な判断や批判ができる条件は失われていくことがあります。

3. 満洲事変と国際関係

1931年の満洲事変から、日本の軍事的な支配が中国東北部へ広がりました。満洲国の成立を、地域の人々が自由に同じ判断をした結果として説明することはできません。軍事、資源、鉄道、移住と支配の制度を合わせて読む必要があります。

国際連盟での問題化と日本の脱退は、国際的な協からの離反を示す目印です。ただし、国外との関係がすべて一度に切れたわけではありません。外交、貿易、世論、軍の行動が異なる速度で動きました。出来事を、必ず戦争へ進む一本道としてではなく、その時点の選択として読みます。

4. 社会の統制

言論や思想の取締り、教育、報道は、人々が政治を判断する条件を変えました。国の方針に賛成することが求められると、異なる意見を示す費用や危険が高まります。多数の支持があることと、権利が保障されていることは別です。

軍事的な拡張は国内の景気や仕事と結び付く一方、支配された地域の生活を壊しました。国内の利益だけで政策を評価すると、その負担を受けた人々が見えません。次の章では、戦争が社会全体を動員し、日常を作り変える過程を考えます。

年表で流れを確かめる

  1. 1927年・1930年代初め
    金融恐慌・昭和恐慌

    金融と国際市場の危機が、産業と農村の生活へ届きます。

  2. 1931年
    満洲事変

    軍事的な支配の拡大が、中国の社会と国際関係を変えました。

  3. 1932年・1936年
    五・一五事件・二・二六事件

    政治的な暴力と軍の影響、自由な判断の条件を考えます。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

幣原喜重郎

1946年

首相として日本国憲法の草案作成と公布へ向かう時期の政府を率いた

戦前は国際協調を重視する外交で知られました。敗戦後に首相となり、占領下で憲法改正などの課題に対応しました。憲法の成立には日本政府、議会、占領当局など多くの主体が関わっています。戦前の外交と戦後の政治をつなぐ人物として学びましょう。

小林多喜二

1929年

労働者の過酷な状況を描く『蟹工船』を書いた

プロレタリア文学を代表する作家です。労働者の生活や資本と労働の関係を作品に取り込みました。政治活動にも関わり、治安維持法下の取り締まりで命を失います。作品と、当時の労働・政治・表現の自由をめぐる状況を結び付けて理解しましょう。

金子みすゞ

1920年代

小さな生き物や他者へのまなざしを童謡詩に表した

山口県出身の詩人で、「私と小鳥と鈴と」などの作品で知られます。生き物や物をさまざまな立場から見つめる表現が特徴です。没後しばらく忘れられましたが、作品の再発見によって広く読まれるようになりました。作品が後の時代に評価され直す例でもあります。

満州事変の年は?

1931年

柳条湖事件をきっかけに関東軍が満州を占領。

五・一五事件の年は?

1932年

海軍青年将校が犬養毅首相を暗殺。政党政治の終焉。

二・二六事件の年は?

1936年

陸軍青年将校のクーデター未遂。高橋是清らを暗殺。

国際連盟脱退の年は?

1933年

リットン調査団の報告を受けて。松岡洋右全権が退場。

リットン調査団の結論は?

日本の行動を侵略と認定、満州国を不承認

1932年。日本は国際連盟を脱退(1933年)。

昭和恐慌(1930年)の社会的影響は?

農村の窮乏・娘の身売り・軍部への期待増大

「欠食児童」「大学は出たけれど」。軍部のクーデター(5.15、2.26)の背景。

「金融恐慌」(1927年)を収拾した蔵相は?

高橋是清

モラトリアム(支払猶予令)を発令。「だるま蔵相」の異名。

「浜口雄幸」の政策は?

金解禁(金本位制への復帰)と軍縮

ロンドン海軍軍縮条約を締結。統帥権干犯問題で右翼に狙撃された。

「昭和恐慌」からの脱出策は?

高橋是清の金輸出再禁止と積極財政

1931年。管理通貨制度に移行。軍事費拡大にもつながった。

「五・一五事件」で犬養毅が最期に言った言葉は?

「話せばわかる」

1932年5月15日。「問答無用、撃て」と射殺された。

「二・二六事件」で襲撃された人物は?

高橋是清・斎藤実・渡辺錠太郎ら

1936年。陸軍皇道派の青年将校。昭和天皇が鎮圧を命令。

「昭和恐慌」で農村が荒廃した様子は?

娘の身売り・欠食児童・自殺の増加

1930〜31年。東北地方の冷害も重なり悲惨な状況に。軍部への期待が増大。

「国際連盟脱退」で松岡洋右が述べたことは?

「もはや言うべきことはない」と退場

1933年。リットン報告書の採択に反対。日本の国際的孤立。

「満州事変」の関東軍の意図は?

政府の方針を無視して満州を軍事占領し既成事実化する

1931年。石原莞爾・板垣征四郎が計画。

「五・一五事件」後の政治は?

政党内閣が終わり、軍人・官僚内閣が続く

1932年〜。挙国一致内閣→軍部の発言力がさらに増大。

「二・二六事件」で昭和天皇が果たした役割は?

反乱軍の鎮圧を自ら命じた

1936年。「朕自ラ近衛師団ヲ率ヰ…」。天皇の断固たる姿勢。

1936年の二・二六事件で襲撃されたが、身代わりにより難を逃れた首相は?

岡田啓介

義弟の松尾伝蔵大佐が身代わりとなり犠牲になった。

血盟団事件で暗殺された、金解禁政策を推進した元大蔵大臣は?

井上準之助

浜口内閣の蔵相として緊縮財政と金解禁を断行した。

1927年、銀行の経営不安から預金者が殺到し取り付け騒ぎが起きた恐慌は?

金融恐慌

鈴木商店の経営破綻と台湾銀行の危機が引き金となった。

金融恐慌で経営破綻し、台湾銀行の危機を招いた商社は?

鈴木商店

第一次大戦期に急成長したが、戦後恐慌で経営が悪化した。

金融恐慌の際、緊急勅令案が枢密院で否決され総辞職に追い込まれた内閣の蔵相の失言が問題となったが、その蔵相は?

片岡直温

議会での「銀行が破綻した」との失言が取り付け騒ぎを拡大させた。

金解禁による深刻な不況(昭和恐慌)からの脱却のため、高橋是清蔵相が採った政策は?

金輸出再禁止と積極財政(赤字国債発行)

この「高橋財政」により日本は世界に先駆けて恐慌から脱出した。

『蟹工船』を著したプロレタリア文学の作家は?

小林多喜二

過酷な労働環境を告発する作品を著し、特高警察に虐殺された。

満州事変直後、犬養毅内閣の外相として国際連盟脱退を主導した人物は?

松岡洋右

1933年、国際連盟総会の場から退場したことで知られる。

協調外交を進め「軟弱外交」と批判された大正〜昭和初期の外相は?

幣原喜重郎

中国への内政不干渉方針をとり、軍部や右翼から批判された。

満州事変後、関東軍が占領地の統治のために設けた機関は?

関東軍司令部(のち満州国政府)

満州国は関東軍の傀儡国家として運営された。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

満州事変の年は?

1931年

柳条湖事件をきっかけに関東軍が満州を占領。

五・一五事件の年は?

1932年

海軍青年将校が犬養毅首相を暗殺。政党政治の終焉。

二・二六事件の年は?

1936年

陸軍青年将校のクーデター未遂。高橋是清らを暗殺。

国際連盟脱退の年は?

1933年

リットン調査団の報告を受けて。松岡洋右全権が退場。

日本史の一問一答へ

用語

地図を詳しく見る

小さな画面では地図を左右に動かして確認できます。