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第3部 · 第19章

幕政改革と外の世界

18世紀〜19世紀前半 / 江戸・各藩・北方と沿岸

用語集
この章の目次
  1. 享保の改革
  2. 商業を利用する政策
  3. 寛政と天保の改革
  4. 北方と海防
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

PLACE & HISTORY江戸・各藩・北方と沿岸
幕政改革と外の世界の主な地域日本海本州朝鮮半島1 江戸12 長崎23 松前3北約200 km
  1. 1江戸
  2. 2長崎
  3. 3松前

地点の位置関係を示す地図です。海岸線は現代の地形資料に基づき、当時の海岸線・国境・支配領域を表すものではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景財政難、災害、市場の変化、外国船が課題となる
  2. 展開 →幕府と藩が改革と海防の政策を進める
  3. 結果 →政策の効果は立場で異なり、対応の限界も現れる

考える視点:改革は誰の収入と負担を変えたか

1. 享保の改革

徳川吉宗は財政と行政を整えるため、倹約、新田開発、公事方御定書などの政策を進めました。享保の改革を一つの節約策として覚えず、収入、支出、裁判、情報の集め方を分けて見ます。目安箱や小石川養生所は政治と人々の生活の接点でした。

米を基礎とする幕府の財政は、貨幣や商品経済の変化とぶつかりました。収入を増やす政策が農民の負担を強めることもあります。政府にとっての財政改善と、暮らしの安定が常に同じ方向へ進むわけではない点が重要です。

2. 商業を利用する政策

田沼意次の時代には、や商業からの収入を利用する政策が進みました。商人との関係を、ただ賄賂という言葉だけで説明すると、変化する経済へ対応しようとした仕組みが見えません。一方、特権や利益の偏りは不満を生む条件でもありました。

天明の飢饉などの災害は農村と都市の生活を揺さぶりました。気象や収穫、物資の流通、政策が重なって被害が広がります。飢饉を自然現象だけにせず、備蓄や救済、価格の問題を含む社会の出来事として読むことが必要です。

3. 寛政と天保の改革

松平定信の寛政の改革は倹約、備蓄、学問の統制などを進めました。水野忠邦の天保の改革も経済や生活の立て直しを目指しましたが、の解散や土地の管理などの政策は複雑な反応を生みます。改革の名前が似ていても、対象と背景は異なります。

各藩でも専売制や産業の育成、借金の整理などが行われました。成功や失敗は地域の資源、商人との関係、負担の配分によって違います。三大改革の一覧を覚えた後に、何が困り、誰の利益を変えたかを比較すると、政策の意味が具体的になります。

4. 北方と海防

ロシアなどの来航、アジアにおける欧州の軍事的な進出は、幕府や藩の海防を課題にしました。松前とアイヌの人々の関係、北方の交易や支配も変化します。北の地域を無人の境界としてではなく、人々が暮らす社会として考えます。

異国船打払令と後の薪水給与令は、外国船への対応が変わる例です。アヘン戦争の情報も危機感に関わりました。外の世界をどう理解し、どんな知識や軍備が必要かという問いが強まります。開国は突然何の準備もなく訪れた事件ではなく、こうした変化の上に起こりました。

年表で流れを確かめる

  1. 1716年以降
    享保の改革

    吉宗の政策は財政、裁判、情報、生活に関わりました。

  2. 1787年以降
    寛政の改革

    財政と社会の安定を目指し、倹約や統制が進められます。

  3. 1841年以降
    天保の改革

    市場や土地、生活への介入は、さまざまな反応を生みました。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

徳川吉宗

1716年

8代将軍となり、享保の改革を進めた

紀州藩主から将軍となり、幕府財政の立て直しに取り組みました。目安箱、公事方御定書、新田開発などが知られます。米価の安定も重要な課題でした。享保の改革は吉宗、寛政の改革は松平定信、天保の改革は水野忠邦という対応を整理しましょう。

田沼意次

18世紀後半

株仲間などを活用し、商業からの収入を重視した幕府政治を行った

老中として商業の発展を財政に結び付けようとしました。鉱山や貿易、開発事業にも関心を持ちます。賄賂の印象で語られがちですが、貨幣経済の進展に対応した政策という面もあります。飢饉や災害、政治的な対立によって失脚しました。

松平定信

1787年

寛政の改革で倹約や農村復興、学問の統制を進めた

白河藩主から老中となり、田沼時代の政治を改めようとしました。囲米や棄捐令などで社会・財政の安定を目指します。朱子学を重んじた寛政異学の禁も知られます。統制の強化には反発もあり、改革がすべて成功したわけではありません。

水野忠邦

1841年

天保の改革を行い、株仲間解散や人返しなどを進めた

老中として物価や財政の問題に対応しようとしました。江戸・大坂周辺の土地を幕府直轄にする上知令は強い反対を受けます。改革は商人や農民、大名などの利害と衝突しました。享保・寛政・天保の三つの改革を、政策の共通点と違いから比較しましょう。

享保の改革を行った将軍は?

徳川吉宗

「米将軍」。目安箱の設置、新田開発など。

寛政の改革を行った老中は?

松平定信

質素倹約・朱子学の奨励。厳しすぎて反発も。

天保の改革を行った老中は?

水野忠邦

株仲間の解散・人返し令。失敗に終わる。

田沼意次の政治の特徴は?

商業を重視した重商主義的政策

株仲間の奨励。賄賂政治と批判された。

異国船打払令が出された年は?

1825年

外国船を見つけ次第砲撃せよという命令。

田沼意次が推進した「蝦夷地開発」の背景は?

ロシアの南下への警戒と資源獲得

最上徳内を探検に派遣。しかし田沼失脚で中断。

松平定信の「寛政異学の禁」とは?

幕府の学問所で朱子学以外の講義を禁止

1790年。思想統制。林家の朱子学を正統とした。

徳川吉宗の「公事方御定書」とは?

幕府の裁判・刑罰の基準を定めた法典

1742年。上巻は行政法、下巻は刑事法。秘密法典。

徳川吉宗の「足高の制」とは?

役職に就く間だけ不足分の俸禄を加増する制度

1723年。能力ある人材を役職に就けやすくする改革。

「田沼意次」が奨励した「蝦夷地開発」の調査者は?

最上徳内

1785年。千島探検。ロシアの南下への対策も兼ねた。

「松平定信」の「囲米の制」とは?

各藩に米の備蓄を義務づける飢饉対策

天明の大飢饉の教訓。備荒貯蓄。

江戸時代の「蘭学」が制限された「蛮社の獄」の背景は?

幕府の外交政策(鎖国・異国船打払令)への批判

1839年。渡辺崋山(蛮書の獄後に自殺)・高野長英(獄死後に脱獄)。

享保の改革の「公事方御定書」とは?

幕府の裁判・刑罰の基準を定めた法典

1742年。上巻は行政法、下巻は刑事法。秘密法典。

松平定信の「寛政異学の禁」で正統とされた学問は?

朱子学

1790年。幕府の学問所で朱子学以外を禁止。思想統制。

1842年、モリソン号事件を機に異国船打払令を緩和した法令は?

薪水給与令

アヘン戦争での清の敗北を知り対外政策を軟化させた。

松平定信が旗本・御家人の借金を帳消しにした法令は?

棄捐令

礼差(旗本の代理人)は大きな打撃を受けた。

享保の改革で、庶民の意見を聞くために設置された投書箱は?

目安箱

小石川養生所の設立はこの投書がきっかけとされる。

享保の改革で編纂された、裁判・刑罰の基準となる法典は?

公事方御定書

判例に基づく統一的な裁判基準を初めて定めた。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

享保の改革を行った将軍は?

徳川吉宗

「米将軍」。目安箱の設置、新田開発など。

寛政の改革を行った老中は?

松平定信

質素倹約・朱子学の奨励。厳しすぎて反発も。

天保の改革を行った老中は?

水野忠邦

株仲間の解散・人返し令。失敗に終わる。

田沼意次の政治の特徴は?

商業を重視した重商主義的政策

株仲間の奨励。賄賂政治と批判された。

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