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第2部 · 第9章

院政と平氏の台頭

11世紀後半〜12世紀 / 京都・平泉・瀬戸内海

用語集
この章の目次
  1. 上皇が政治を行う
  2. 争いと武士の役割
  3. 海の交易と地域の富
  4. 平氏の滅亡へ
  5. 年表
  6. 人物・重要事項
  7. 理解を確かめる

場所をつかむ

PLACE & HISTORY京都・平泉・瀬戸内海
院政と平氏の台頭の主な地域日本海本州1 平安京12 平泉23 大輪田泊付近34 壇ノ浦4北約200 km
  1. 1平安京
  2. 2平泉
  3. 3大輪田泊付近
  4. 4壇ノ浦

地点の位置関係を示す地図です。海岸線は現代の地形資料に基づき、当時の海岸線・国境・支配領域を表すものではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。

背景から変化へ

  1. 背景皇位と所領をめぐる対立が武力を必要とする
  2. 展開 →上皇、貴族、武士が権力を競う
  3. 結果 →平氏の台頭と内乱が新しい政治へつながる

考える視点:武士は朝廷の外から来ただけの勢力だったか

1. 上皇が政治を行う

白河上皇に始まるでは、退位した天皇が院の組織や所領を用いて政治に関わりました。天皇から離れたから権力も失う、という単純な関係ではありません。院近臣や寺院、武士とのつながりが、新しい政治の力を支えます。

はを一度に消したわけではなく、天皇、上皇、摂関家の利害が重なりました。皇位継承をめぐる争いと所領の競争は、武力を持つ集団の役割を強めます。政治の中心に武士が入る背景を、宮廷の内部の対立からも考えましょう。

2. 争いと武士の役割

保元の乱と平治の乱では、皇族や貴族の対立に源氏・平氏の武士が関わりました。勝敗によって宮廷の力関係が変わり、平清盛が地位を高めます。武士の台頭は朝廷の外からの侵入だけではなく、朝廷が武力を利用する関係の中でも進みました。

清盛は太政大臣となり、娘を天皇の后とするなど、宮廷の政治の方法も用いました。平氏政権を、後の鎌倉幕府と同じ形の武士の政府とみなさないようにします。官職、婚姻、土地、海上交通など複数の基盤が、その勢力を作っていました。

3. 海の交易と地域の富

平氏は瀬戸内海の交通や日宋貿易に関わり、大輪田泊の整備を進めました。船の往来は輸入品や銭、知識を運びます。港の発展を支えたのは、支配者だけでなく、商人、船員、荷を運ぶ人や周辺の生産地でした。政治の富は流通の仕組みと結び付きます。

東北では奥州藤原氏が平泉を拠点に力を持ち、中尊寺などの文化を支えました。金や馬、地域の交通と交流がその背景にあります。都の政治だけで日本史を説明すると、地域の力が見えません。平泉と京都、海の港を同じ地図に置いて比べましょう。

4. 平氏の滅亡へ

治承・寿永の内乱では、各地の武士や地域の勢力が異なる判断で戦いに参加しました。源頼朝と源義経の役割は同じではありません。1185年の壇ノ浦の戦いで平氏は滅びましたが、その後も源氏内部や朝廷との関係の整が続きます。

『平家物語』は戦乱と人の運命を伝える文学です。語りの魅力を味わいながら、同時代の記録やほかのとは性質が異なることを確認します。武士の勝利を、そのまま全国の制度の完成と考えないことが、次の章の幕府成立を理解する鍵になります。

年表で流れを確かめる

  1. 1086年
    白河上皇の院政

    退位後の天皇が、院の組織や所領を通じて政治に関わります。

  2. 1156年・1159年
    保元の乱・平治の乱

    宮廷の対立に武士の力が用いられ、平氏の勢力が強まります。

  3. 1185年
    壇ノ浦の戦い

    平氏が滅びますが、朝廷や源氏内部の関係の調整は続きます。

人物・重要事項を調べる

本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。

平清盛

1167年

武士として太政大臣に上り、日宋貿易を進めた

保元・平治の乱を経て勢力を強め、平氏政権を築きました。大輪田泊を整備し、中国の宋との貿易を重視したことでも知られます。皇室との婚姻関係を通じた政治は貴族社会の仕組みともつながっていました。後に源氏との争いが激しくなります。

源義経

1185年

一ノ谷・屋島・壇ノ浦などで平氏追討に活躍した

源頼朝の異母弟で、源平の争いで軍事的な功績を挙げました。平氏滅亡後は頼朝と対立し、奥州藤原氏を頼りますが、最後は平泉で追い詰められました。史料で確認できる活動と、後世の軍記や伝説に描かれた英雄像を区別して学びましょう。

平治の乱(1159年)で勝利したのは?

平清盛

源義朝が敗死。平氏政権の確立。

平清盛が開いた港は?

大輪田泊(神戸)

日宋貿易の拠点として整備。

源平合戦の最後の戦いは?

壇ノ浦の戦い

1185年。平氏が滅亡。

「平家物語」の冒頭は?

祇園精舎の鐘の声

「諸行無常の響きあり」。琵琶法師が語った軍記物語。

源義経が活躍した戦いは?

一ノ谷・屋島・壇ノ浦

鵯越の逆落としなど天才的な戦術。兄・頼朝と対立し奥州で自害。

奥州藤原氏の本拠地は?

平泉(岩手県)

中尊寺金色堂が有名。浄土思想に基づく都市計画。世界遺産。

中尊寺金色堂の特徴は?

内外を金箔で覆った阿弥陀堂

1124年建立。奥州藤原氏初代・清衡が建造。

「後白河法皇」の政治手法の特徴は?

院政で権謀術数を駆使(「日本一の大天狗」と呼ばれた)

源頼朝が「日本一の大天狗」と評した。30年以上実権を握った。

平清盛が太政大臣に就任した年は?

1167年

武士として初めて太政大臣に。在任はわずか3ヶ月だが。

「厳島神社」を整備した人物は?

平清盛

平家の守り神。海上に建つ社殿。世界遺産。

平清盛が「日宋貿易」を推進した港は?

大輪田泊(現・神戸港)

人工島(経が島)を築いて整備。瀬戸内海航路を利用。

「一ノ谷の戦い」の「鵯越の逆落とし」とは?

源義経が断崖を馬で駆け下り平氏の背後を急襲

1184年。奇襲戦法。平氏は大敗。

「壇ノ浦の戦い」で入水した人物は?

安徳天皇(幼帝)と平時子(二位尼)

1185年3月。平家滅亡。三種の神器の宝剣が海中に没した。

厳島神社を整備した人物は?

平清盛

平家の守り神。海上に建つ社殿。世界遺産。

奥州藤原氏の本拠地はどこ?

平泉(岩手県)

中尊寺金色堂が有名。浄土思想に基づく都市。世界遺産。

中尊寺金色堂の建立年は?

1124年

藤原清衡が建造。内外を金箔で覆った阿弥陀堂。

奥州藤原氏の中尊寺金色堂を建てたのは?

藤原清衡

1124年。内外を金箔で覆った阿弥陀堂。世界遺産。

武士として初めて昇殿を許され、平氏繁栄の基礎を築いた平清盛の父は?

平忠盛

瀬戸内海の海賊討伐や日宋貿易で富を築いた。

源義経をかくまい、頼朝と対立した奥州藤原氏3代目は?

藤原秀衡

その死後、子の泰衡が義経を討ったが奥州藤原氏も滅ぼされた。

平治の乱で平清盛に敗れた、源頼朝の父は?

源義朝

敗走中に暗殺され、子の頼朝は伊豆へ流された。

後白河法皇が編纂した、流行歌謡「今様」の集成は?

梁塵秘抄

「遊びをせんとや生れけむ」の歌が名高い。

1189年、源頼朝が藤原泰衡を討ち奥州藤原氏を滅ぼした戦いは?

奥州合戦

これにより頼朝の全国支配がほぼ完成した。

『平家物語』を平曲として語り広めた盲目の芸能者は?

琵琶法師

文字の読めない人々にも物語を広めた。

理解を確かめる

本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。

平治の乱(1159年)で勝利したのは?

平清盛

源義朝が敗死。平氏政権の確立。

平清盛が開いた港は?

大輪田泊(神戸)

日宋貿易の拠点として整備。

源平合戦の最後の戦いは?

壇ノ浦の戦い

1185年。平氏が滅亡。

「平家物語」の冒頭は?

祇園精舎の鐘の声

「諸行無常の響きあり」。琵琶法師が語った軍記物語。

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