聖徳太子
604年
十七条憲法を定めたと『日本書紀』に記される皇族
厩戸王とも呼ばれる飛鳥時代の皇族です。『日本書紀』では推古天皇のもとで政治を補佐し、仏教を重んじた人物とされています。十七条憲法は現代の憲法と異なり、役人の心構えを示す性格があります。伝承と史料の成立時期を区別して学ぶことが大切です。
第1部 · 第6章
8世紀 / 平城京・東大寺・各地の寺院
地点の位置関係を示す地図です。海岸線は現代の地形資料に基づき、当時の海岸線・国境・支配領域を表すものではありません。地形:Natural Earth(Public Domain)。
考える視点:都の文化を支えた地方の人々の姿はどこに残るか
710年、平城京に都が移されました。宮殿や役所、市のある都は政治と物資の中心ですが、人々の多くは地方で暮らしていました。木簡に記された荷札や勤務の記録は、税として運ばれた物と、それを扱う人々を具体的に伝えます。
国司や郡司の働きによって税や命令が地方と中央を結びました。道路や駅の維持も欠かせません。都が中国風に整っていることと、全国の社会が同じ暮らしをしていたことは別です。都市の建物を学ぶ際には、それを支える農村と交通の網を合わせて読みましょう。
藤原氏の勢力拡大、長屋王の変、藤原広嗣の乱など、宮廷では政治的な競争が続きました。疫病や飢饉も社会を揺さぶります。聖武天皇が国分寺・国分尼寺や大仏造立を進めた背景には、仏教によって国家を安定させようとする考えがありました。
東大寺の大仏を作るには金属、燃料、資金、専門的な技術が必要でした。行基の活動は民衆と仏教、社会事業をつなぎます。国家の事業であると同時に、多くの人々の協力と負担による仕事でした。信仰の理念と、事業が生活へ与えた影響の両方を考えます。
743年の墾田永年私財法は、新たに開墾した土地の永続的な私有を認めました。耕地を増やす政策でしたが、開墾に人や資源を使える寺院や貴族などが土地を広げる条件にもなります。の原則が、社会の変化に対応して修正されていったことを示します。
土地の私有を認めることと、後のの制度が直ちに完成することは同じではありません。所有、耕作、税を納める義務は区別して整理します。後の章でを学ぶときも、誰が土地を支配し、誰が働き、誰が収穫を得るのかという問いが役立ちます。
『古事記』『日本書紀』は王権の由来を伝え、『風土記』は各地の情報を記録しました。神話や伝承を含む史書を、出来事をそのまま写した中立的な記録として扱うことはできません。誰が何のためにまとめたかを考えながら、ほかの資料と照合します。
『万葉集』には宮廷の歌だけでなく、防人などの歌も収められています。正倉院の宝物は、東アジアやさらに広い交流を伝えます。鑑真の来日は仏教の戒律を整える動きに関わりました。華やかな文化の背後には、海を渡る人、書き写す人、物を作る人の仕事がありました。
都と地方を結ぶ税、交通、文書の仕組みが国家を支えます。
開墾と仏教による国家の安定が、土地と資源の動員に関わります。
東大寺の大仏は、多くの人と物資、技術によって作られました。
出土した文字の資料 · 奈良時代・8世紀
木簡は木の板に文字を記した資料です。荷札に残る地名、人名、品物、数量などを組み合わせると、都と地方の仕事のつながりを考えられます。立派な建物だけでは見えない、物を集めて運ぶ日々の仕事が文字として残っています。
発掘された場所と、木簡に書かれた物の産地は同じとは限りません。記載を読み、出土した遺構や他の資料と照らし合わせると、物が動いた経路を検討できます。一枚の荷札が全国のすべての税を代表するわけではありません。
建物から権威や技術を考え、荷札から産地、負担、輸送、行政の具体的な仕事を考えられます。違う性質の資料を組み合わせると、都を支えた地方の姿が見えてきます。
出典:奈良文化財研究所|荷札木簡をひもとく
本文を読んだ後の復習や、言葉を調べるときに使えます。
604年
十七条憲法を定めたと『日本書紀』に記される皇族
厩戸王とも呼ばれる飛鳥時代の皇族です。『日本書紀』では推古天皇のもとで政治を補佐し、仏教を重んじた人物とされています。十七条憲法は現代の憲法と異なり、役人の心構えを示す性格があります。伝承と史料の成立時期を区別して学ぶことが大切です。
645年
中臣鎌足らと乙巳の変を起こし、後に天智天皇となった
蘇我入鹿を倒した後、孝徳天皇のもとで進められた政治改革に関わりました。後に天智天皇として即位します。乙巳の変という政変と、大化の改新と呼ばれる改革の過程は同じものではありません。唐などを意識した国家の再編という背景と結び付けて覚えましょう。
645年
中大兄皇子と協力して乙巳の変を起こし、藤原氏の祖となった
飛鳥時代の政治家で、中大兄皇子の協力者でした。死の直前に天智天皇から藤原の姓を与えられたと伝えられます。その子の藤原不比等らを通じ、藤原氏は律令国家の政治で勢力を広げました。鎌足本人の活動と、後世の藤原氏の摂関政治を分けて理解しましょう。
672年
壬申の乱に勝利して即位し、律令国家の整備を進めた
即位前は大海人皇子と呼ばれました。兄の天智天皇の死後、大友皇子側と争い、壬申の乱に勝利します。天皇を中心とする政治体制を強化し、法令や歴史の編纂を進めました。その事業は持統天皇などに引き継がれ、後の律令制度の基礎になりました。
743年
大仏造立の詔を出し、仏教による国家の安定を願った
奈良時代には疫病や政変が続き、聖武天皇は仏教の力で国を守る鎮護国家の考えを重視しました。国分寺・国分尼寺の建立も命じています。東大寺の大仏の開眼供養は752年です。造立を命じた年と、完成を祝う儀式の年を区別しましょう。
745年
民衆への布教と社会事業を行い、大仏造立にも協力した僧
橋や道の整備、池の築造などを行い、多くの民衆の支持を集めました。当初は朝廷に活動を制限されましたが、後には東大寺大仏造立への協力を求められました。仏教が国家の制度だけでなく、人々の日々の生活とも結び付いていたことを示す人物です。
754年
度重なる渡航失敗を経て来日し、正式な戒律を伝えた唐の僧
日本側の求めに応じて海を渡ろうとし、失明などの困難を経験しながら来日しました。僧として守るべき規範である戒律と、授戒の制度を伝えた点が重要です。唐招提寺を創建しました。遣唐使などを通じた仏教・文化の交流の中で理解しましょう。
805年
唐で学んだ天台の教えを伝え、比叡山を拠点とした
伝教大師とも呼ばれ、日本天台宗の基礎を築きました。唐への留学後、比叡山で修行や教育の仕組みを整えます。戒壇設立を求めたことも重要です。同時代に唐へ渡った空海は真言宗に関わるため、天台宗・比叡山と真言宗・高野山を対応させましょう。
816年
真言密教を伝え、高野山を修行の拠点とした
弘法大師とも呼ばれ、唐で密教を学びました。身・口・意の働きを通じた修行を重視する真言宗の基礎を築きます。書や文学でも知られ、教育施設の綜芸種智院を開きました。最澄と同時代ですが、教えや活動拠点は異なります。
8世紀前半
『万葉集』の「貧窮問答歌」などで人々の生活を詠んだ
奈良時代の歌人で、官人としても活動しました。家族への思いや、貧しさに苦しむ人々の姿を歌に取り込みます。『万葉集』には宮廷の人々だけでなく、さまざまな立場の歌が収められています。歌を当時の生活や社会を知る手掛かりとして読むことができます。
720年
舎人親王が中心に編纂。
校倉造
三角形の木材を組み合わせた高床式倉庫。
イザナギとイザナミ
日本列島や多くの神々を生んだとされる。
藤原氏によって長屋王が自殺に追い込まれた事件
729年。藤原四兄弟の策謀。
聖武天皇
741年の国分寺建立の詔。仏教の力で国を守る。
シルクロード経由の国際色豊かな工芸品
聖武天皇の遺品。ペルシアやローマの影響も。
金光明四天王護国之寺
華厳宗の大本山。奈良の大仏がある。
古事記・日本書紀の原型となる「帝紀」「旧辞」の整理
国史編纂事業。完成は死後。
出雲国風土記
713年に編纂命令。出雲がほぼ完全に現存。
日本書紀は漢文の正史、古事記は和文混じりの神話・歴史
日本書紀は対外的な正史。古事記は国内向け。
山上憶良
遣唐使としても渡唐した、社会派の歌人。
本文を閉じて、この章の「背景 → 展開 → 結果」を自分の言葉で説明してみましょう。誰にどんな変化があったかも加えると、説明が具体的になります。
720年
舎人親王が中心に編纂。
校倉造
三角形の木材を組み合わせた高床式倉庫。
イザナギとイザナミ
日本列島や多くの神々を生んだとされる。
藤原氏によって長屋王が自殺に追い込まれた事件
729年。藤原四兄弟の策謀。