修一は、宮本の電話を切る前に処理を止めようとした。
画面には、自動処理を使っている全ての契約が表示された。止めれば、今夜正しく送る予定の請求書も止まる。
「少し、確認します」
修一はそう言った。
「まだ、送られるの?」
宮本の声が硬くなった。
修一は、新しい送信を止めた。照合の候補は残したが、それをもとに自動で先へ進む処理は止める。完了したものは、止めても戻らなかった。
外部の運用担当に連絡し、対象を調べるよう依頼した。夜間の追加対応の費用を確認された。
「お願いします」
金額を聞いて、少し躊躇した。その一瞬を、電話の向こうには見せなかった。
いま節約しても、送った請求書は正しくならない。
記録を追うと、AIの判断だけでは説明できないことが出てきた。
古い見積の版。途中まで完了した作業。変更分が別の記録になっている案件。AIは似た文言を結び付け、条件が揃ったとした。
高い確信度の表示があったが、何を確かめた結果なのかを利用者に十分示していなかった。確信度は、契約の正しさを保証する数字ではない。
修一は分かっていたはずだった。使う人も分かっていると思った。
更新前の処理では確認へ回った案件が、更新後には自動で進んでいた。処理の費用を減らすために、照合の順序も変えていた。
試験で使ったのは、一つの番号に一つの完了記録がある案件が多かった。途中で条件が変わる例は少なかった。
何をAIに判断させるか。何を別の条件で確かめるか。どこで利用者に戻すか。
それを決めたのはAIではなかった。
外部の担当から、公開前の確認を広げるよう頼んだメールが転送された。修一の返事も、下に残っていた。
〈初期の運用で問題がなければ、広げます〉
広げた日付は、問題がないことを確認し終わるより先だった。
朝までに、影響がありそうな会社の一覧が出来た。
まだ誤りが確定していないものもある。誤った請求が送られたものもある。相手が気づいて送る前に直したものもある。
全部を同じ「障害」と呼べば、説明は短くなる。全部を同じ「確認不足」と呼べば、修一の責任は軽く見える。
修一は、後者の文を最初に書いた。
〈自動処理を選択された場合でも、最終的な内容の確認をお願いしております〉
その一文を、案内の先頭へ置いた。
読むと、相手を責めているように見えた。確認を省くことで便利になると言って売り、間違えば確認しなかった相手が悪いと説明する。
修一は文を消した。消すだけでは、何を書けばよいか分からなかった。
宮本からまた電話が来た。
「取引先に、どう説明したらいいの」
「余白ノートの判定に誤りがありました」
「そう言う。でも、それでうちの信用が戻るわけじゃない」
「はい」
宮本は息をついた。
「うちは、自動にする範囲を決めて使ってた。そこは、分かってる?」
「分かっています」
最初から分かっていたように答えたことが、修一には恥ずかしかった。
翌週、解約がまとまって来た。
事故の影響を受けなかった会社も、使い続けるのが怖いと言った。修一は、問題の処理を止めたと説明した。
「今回の処理以外は、本当に大丈夫ですか」
答えは、全てを調べ終えてからでなければ出せなかった。
調べていると答えると、相手は解約を選んだ。
返事を保留した会社には、修一が直接連絡した。仕事を取り戻すために、今まで足りなかった説明を急に丁寧にする。自分が苦しくなったときだけ、相手の話を聞こうとしている。
月末、売上は百四万円だった。
最高の月から、およそ九割減っていた。大手が来る前の一千万円。大手の参入で三百万円。事故のあとに百万円。
数字を三つ並べると、坂ではなく階段に見えた。降りたところで、戻る段の高さが分かった。
修一は早瀬へ電話をかけた。
「時間を、取ってください」
見栄を張るための資料は作らなかった。
会社の口座には、一千八百万円ほどあった。
大きい数字に見えた。以前の修一なら、かなり安心した額だった。
早瀬は、その金を使えるものと、これから払うものに分けた。
年払いの契約で解約する人への返金見込み。事故の確認と利用者の復旧を手伝う費用。相手と協議して負担する支出。最初の見込みを合わせると、約九百万円だった。
まだ全ての対象は確定していない。増える可能性がある。
そのほかに、基盤、運用、専門家の契約、借入の返済がある。売上の入金が百万円前後へ落ちたままなら、月に二百五十万円ほど、現金が減る見込みだった。
早瀬は、九百万円を引いた残りを指した。
「この見通しなら、余裕は何年もありません」
修一は計算した。三か月少し。必要な費用が増えれば、もっと短い。
「売上が戻れば」
「戻る時期は、まだ分かりません」
早瀬は、借入の一覧も開いた。成長期に基盤の拡張のため借りた金が残っている。売上が伸びる見通しで返済を組んだ。伸びなければ、支払日だけが来る。
修一は、返済が仕事を待ってくれないことを改めて見た。
家で、真紀に残高の話をした。
「家のお金は、分けてあるよね」
「分けてる」
「これから、入れるつもりは」
修一は答える前に、自分の貯金を思い出した。
会社を守れば、あとで戻せる。そう考えれば、使えそうに見える。
「今は、考えてない」
「今は、ね」
真紀は責めるようには言わなかった。
「入れるなら、その前に話して。勝手に決めたあとで、守るためだったと言われたくない」
修一はうなずいた。
いつか自由になるために金を増やし、その金を守るために生活を危険にさらす。その順序には、どこかで終わりが必要だった。
だが、今やめれば、余白システムズは失敗した会社になる。修一は、数字が小さくなること以上に、それを怖がっていた。
会社を辞めてまで作ったものを、自分が壊した。
その一文を、頭の中では何度も聞いていた。
投資の話は、運用支援の知り合いを通じて来た。
成長の余地があるサービスを持つ小さな会社を探しているという。資金が入れば、返金も改修も出来る。修一は資料を持って面談した。
相手は事故を知っていた。
「どのくらいの顧客が戻れそうですか」
「まだ分かりません」
「大手にないところを残せば、戻ると思います。今は、会社の価値を必要以上に下げないことです」
提案書には、再開と販売を優先する計画があった。事故の公表は、外部の確認が終わってから簡潔にする。原因が全て確定するまでは、細かく知らせない。
相手は、虚偽を書けとは言わなかった。未確定のことを騒ぎにしない方がよい、と説明した。
修一にも、その理屈は分かった。
全てが確定するまで、対象の利用者を待たせることになる。まだ確認を待つ人は、使い続けるかを決められない。
「問い合わせが来た会社には、どう答えますか」
「個別に必要な範囲で」
その必要な範囲を、自分たちの都合で決める。
修一は提案書を持ち帰った。すぐに断れるほど、強くはなかった。
事務所に戻り、千葉の一覧を開いた。
問い合わせを答える前に、何を聞かれているかを確かめる。
相手が聞いているのは、佐伯修一が良い人かどうかではない。自分の案件が影響を受けたか。請求が正しいか。今、使えるか。いつ、何が分かるか。
修一は千葉の連絡先を探した。
退職後、一度だけ別の仕事の知らせを受け取っていた。顧客対応と運用を支援する会社にいる。修一はその会社の窓口へ、事故対応を依頼できるか問い合わせた。
翌日、千葉から返事が来た。
〈状況を伺います。対応範囲と費用は、会社として確認します〉
私的に助けてほしいとは書かなかった。その代わり、修一は状況を詳しく送った。
再会は、千葉の会社の会議室だった。
「今、止めているのはどこですか」
千葉は挨拶のあと、最初に聞いた。
「自動送信です。照合は使えます」
「その照合で出した候補を、顧客が正しいと思う表示になっていませんか」
修一は画面を見せた。千葉は確認の文を指した。
「ここが、まだ曖昧です」
修一は、昔のように、触れば分かると言いそうになった。
言わなかった。
依頼する仕事を整理した。
記録の保全、問い合わせの分類、回答の案、対象の利用者への連絡。原因の技術的な確認は、別の専門家と組む。会社の支払と公表の判断は、修一がする。
千葉は、出来ることと出来ないことを明記した。
「全ての人を納得させることは、約束できません」
「それは分かっています」
「夜間も含めるなら、別の体制と費用が必要です」
「必要な範囲を、決めましょう」
修一の答えに、千葉は短くうなずいた。
支援を頼めば、現金はさらに減る。一人で全てに答えれば、原因の確認と修正が止まる。
どちらも怖かった。怖くない選択はなかった。
契約することを決めた。
会議が終わったあと、修一は、あのときはうまく働いてもらえなかったと言った。
千葉は少し考えた。
「今回は、範囲を決められましたね」
昔の関係を、今の仕事の中で解き直す返事だった。
公表する文には、まだ分からないことも書いた。
影響の可能性がある条件。止めた処理。判明している誤り。確認を進めている範囲。次に知らせる日。
修一が更新を急ぎ、確認の範囲を狭めたことも入れた。
外部からは、会社の責任を不用意に広げる文にしないよう助言を受けた。修一はその助言を聞き、事実と評価を分けた。責任を認めることは、まだ知らない損害まで適当に約束することではなかった。
宮本へ先に連絡した。文を見せ、会社の取引先に説明するため必要な記録を確認した。
「これで、すぐ元に戻るとは思わないでね」
「思っていません」
修一は答えた。戻ってほしい気持ちはあった。だが、それを相手への説明に混ぜないことは出来た。
投資の提案を断り、条件を見直した場合には改めて話したいと返した。返事はすぐには来なかった。
送る前に、修一は残高を見た。
今日の公表で、さらに解約が来るかもしれない。対象が増えれば、返金の見込みも増える。自分で会社を終わらせることになるのではないか。
画面を見ていると、木崎の声が浮かんだ。
何かあったとき、お前が責任取れるの。
責任を取ると言えば強い人になれるわけではない。全部を一人で払えるわけでもない。
それでも、今分かっていることを知らせるかどうかは、自分で決められる。
修一は公表を承認した。次に、影響の可能性がある利用者への連絡も承認した。
千葉の会社の担当者から、送信を開始したという報告が来た。
その夜の売上は増えなかった。
翌朝、修一の受信箱には、解約と質問と、まだ使うために何が必要かを尋ねるメールが、分かれずに並んでいた。
修一は一件目を開いた。謝罪を書く前に、何を聞かれているかを読んだ。