シルクコード図書館 · 小説社員ゼロの社長 · よし

社員ゼロの社長 · 著者 よし

第9章 巨大企業の影

目次

最初の解約は、修一が好きな顧客からだった。

 保守の仕事をする小さな会社で、使い方の解説をよく読んでくれていた。不具合があれば文書の番号と手順を揃えて送ってくる。修一にとって、話の早い相手だった。

〈今使っている会計の仕組みと、一緒にすることになりました〉

 解約の理由には、余白ノートへの不満は書かれていなかった。

 修一は電話をした。電話で話せば、足りない機能の違いを説明できると思った。

「新しい方は、まだ細かな条件を扱えないところがあります」

 担当者は、分かっていると答えた。

「その部分は、自分たちで確認します。入力する場所が一つ減る方が、うちには助かるので」

 修一は何を言えば引き止められるかを考えた。

「移行する前に、試していただけますか」

「はい。もう試しています」

 相手は、修一に相談する前に決めるための仕事をしていた。

 修一は、必要なデータを出す方法を案内した。電話を切り、契約の一覧から会社の名前を探した。消す手続きは数回の操作で終わった。

 作るときにあれだけ話した関係が、画面の上ではすぐに一行減った。

 修一はオルビスリンクのサービスを試した。

 画面は余白ノートに似ているところも、似ていないところもあった。修一が苦労して配置を決めた機能が、向こうでは別の形で動く。

 腹が立った。自分ならもう少し分かりやすく作れる。そう思ったが、使っているうちに、出来のよい部分も分かった。

 既存の契約情報がそのまま使える。導入する人が会社を訪ねてくる。困れば電話をかけられる。

 機能の完成度だけではなかった。

 修一は自分の比較表を作った。余白ノートの優れたところから書くと、勝っているように見える。顧客が質問する順に並べると、違う表になった。

 料金。今の道具との連携。導入の手間。困ったときの対応。細かな条件。

 最後の欄まで読む人だけを相手にするわけにはいかなかった。

 ブログで比較記事を書いていたころ、読者が最初に知りたいことを冒頭に置けと言われた。今回は、自分がその順番を嫌がっていた。

 業界の展示会で、黒川理沙と話す機会があった。

 オルビスリンクの事業責任者だと紹介された女性は、修一の名刺を見て、余白ノートを知っていると言った。

「現場の条件を細かく残しているところ、拝見しています」

「よく似た機能を出されましたね」

 修一は、言わないつもりだった言葉を先に出した。

 黒川は少し間を置いた。

「見積から請求へつなぐ需要は、以前からありました。うちの顧客からも求められていました」

「小さい会社が作って広げたあとで、大きい会社が安く出せば」

「使う側が選べる方が、いいと思います」

 修一は自分の言葉を探した。黒川の言うことは、利用者の立場なら正しかった。

「安いだけで、条件を見落としたら困りますよ」

「そうですね。条件を見落とさないための機能も、増やします」

 黒川は逃げるようには答えなかった。

 修一は、相手が知らない欠点を言って驚かせるつもりだった。相手は欠点を知っていて、それでも売る順序を決めている。

「一社ごとに全部を合わせるのは、難しいですから」

 黒川は続けた。

「共通するところを揃えた上で、どこを残すかを考えています」

 修一が毎日考えていることと、言葉だけなら同じだった。

 違うのは、その考えを実行する人数と、すでに顧客へ届く道の太さだった。

 帰りの電車で、修一は黒川の名刺を見た。

 負けたと感じた。商談でも議論でも、勝負をしたわけではない。ただ話しただけだ。それなのに、相手に認められたい気持ちまで出てきたことが悔しかった。

 事務所に戻り、料金を見直した。

 一律に下げれば残る金が減る。新しい顧客だけ安くすれば、長く使っている人には説明しにくい。それでも、何もしないで契約数が減るのを見ていることは出来なかった。

 半年の割引を作った。

 新規の申込みは増えた。解約は止まらなかった。値段で来た人は、もっと安い方があれば移る。

 早瀬が契約ごとの数字を並べた。

「ここは、使っていただくほど支出が増えます」

「今は残すことが先です」

「残した契約が、会社を続けられなくする場合もあります」

 修一は手元のペンを置いた。

「じゃあ、解約を見てろってことですか」

 早瀬は答える前に、修一の表をもう一度見た。

「誰に何を残すかを、決めることだと思います」

 修一はその日は料金を変えなかった。必要な説明を考える余裕より、減った数字を戻すことの方が大きかった。

 三か月後、宮本の会社を訪ねた。

 余白ノートの使い方は、初期と変わっていた。定型の案件は自動処理を使い、変更のある案件は確認を残していた。半年前、繰り返し行う小さな作業について条件を揃え、段階的に使い始めたのだ。

「最後まで全部見ていたら、結局追いつかなくなって」

 宮本は説明した。

「変更があるものだけ見られるなら、助かるから」

 修一は、使う範囲の一覧を見た。相手なりに選び、運用を変えている。

「新しいサービスも、試しました?」

 修一が尋ねると、宮本はうなずいた。

「うちには、まだ余白ノートの方が合う。ただ、ずっとそうかは分からない」

「足りないところは教えてください」

「足りない機能より、決めたことを変える前に知らせてほしい」

 修一はメモした。

「一人で決めるから速いのはいいけど、こっちは昨日の説明で仕事してるから」

 千葉にも、同じことを言われた。

 修一は顧客への変更の案内を見直すと約束した。事務所へ帰ると、さらに急ぎの機能の相談が届いていた。

 案内を見直す仕事は、期限のない欄へ移した。

 月商は、約三百万円まで落ちた。

 余白ノートの契約が減り、料金も下げた。アプリと解説は続いていたが、更新が遅れたブログの紹介料も落ちていた。競合への対抗に時間を使うほど、もう一つの柱が細くなる。

 修一は売上の表を、真紀に見せた。

「ここまで落ちてる」

 以前なら、よい月から見せた。今は減った月から見せることが出来た。そのことだけは少し変わっていた。

 真紀は、会社と家の金を分けた表を出した。

「今の支出で、どのくらい続けられる?」

「すぐに困るわけではない。会社には、まだ現金がある」

「すぐ、ってどのくらい」

 修一は計算した。一度安くした契約は、簡単には元へ戻せない。外部の契約にも、期間がある。毎月減る額は、思っていたより大きかった。

「支出を下げる更新をしてる」

「それを急いで、何か悪くならない?」

「ちゃんと確認する」

 答えは速かった。確認する範囲を、まだ決めていなかった。

 新しい処理は、AIの使い方を変えるものだった。

 書類を一度にまとめ、重複する処理を減らす。費用が下がり、応答も速くなる。性能が良くなるという説明もあった。

 修一は試験用の案件を動かした。以前より速い。使う費用も少ない。金額の出力は、用意した例では合っていた。

 外部の確認担当は、変更のある案件、途中で作業が分かれる案件、見積の版が複数ある案件を、もう少し広く試したいと言った。

 修一は、最初に利用先を絞り、問題が出なければ広げると答えた。

 最初の一週間には、大きな問題が出なかった。

 修一は範囲を広げた。確認担当が結果をまとめる日より、二日早かった。既存の顧客にも早く便利に使ってもらいたい。その理由は嘘ではなかった。

 月末までに費用を下げたいことも、本当だった。

 二つの理由のうち、修一が説明に使うのは前の方だった。

 宮本から、判断がおかしいという問い合わせが来た。

 変更のある作業なのに、確認する欄へ入らない。まだ請求は送っていないが、完了と表示される。

 修一は記録を見た。作業の備考に「既定分完了、変更分調整中」とあった。

 AIは、完了という語を含む記録と見積を照合し、定型の条件に合うとした。数字の確かさを示す表示は、高い値になっていた。

 修一は文の扱いを直し、宮本へ確認を残すよう案内した。

「ほかでも起きてない?」

 宮本は電話で聞いた。

「同じ条件を調べています」

 まだ調べ始めていなかった。電話を切ったあとに始めるつもりだった。

 別の顧客から、新規契約の見積を求める連絡が来た。減っているときの新規契約だった。

 修一は見積を先に作った。

 翌朝、外部の担当から同じ種類の問い合わせが転送された。

 もう一社。金額が違う。修一は確認を止めずに、一件ごとの処理を直した。

 千葉の停止基準には、複数社で同じ種類の金額の誤りが出たとき、とあった。修一は、まだ金額の誤りが確定したわけではないと思った。

 設定の違いかもしれない。使い方の違いかもしれない。止めれば、正しく使えている人も困る。

 考えれば考えるほど、今は止めない理由が増えた。

 昼、三社目から連絡が来た。修一は外部の担当へ、件数をまとめるよう頼んだ。

「対象の処理を、いったん止めますか」

 担当者が尋ねた。

「まず、範囲を見たいです」

 修一は返した。

 その夕方、宮本から電話が来た。

「佐伯さん。請求書が先方に送られてる」

 修一は画面を開いた。

 定型だけを自動にしているはずの案件だった。変更のある案件が、定型だと判定されていた。

「取り消せます」

「もう、先方から連絡が来た。終わってない仕事の金を請求するのかって」

 修一は宮本の記録を開いた。見積の最新版では、支払う条件が変わっていた。AIが結び付けたのは、古い版だった。

 自動で進めてよい条件を、利用者が選んだ。自動で進めてよい案件かどうかを、余白ノートが間違えた。

 修一は、相手の設定のせいだという文を打ちかけて消した。

 画面の端に、同じ処理で送られた請求書の件数が表示されていた。

 宮本の会社だけではなかった。

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この作品はフィクションです。経験を出発点に人物・企業・出来事を創作・再構成しています。将来の成功を描く部分は創作であり、実際の業績を示すものではありません。