シルクコード図書館 · 小説社員ゼロの社長 · よし

社員ゼロの社長 · 著者 よし

第8章 社員ゼロの会社

目次

千万円を超えたとき、修一は大きな声を出さなかった。

 深夜の事務所で、月の売上を計算していた。余白ノートの契約は千五百件ほどになり、一件当たりの平均は月に五千円前後。利用する範囲によって料金は違う。合わせて七百五十万円ほどだった。

 ブログの紹介料、アプリ、解説コンテンツなどの売上が約二百五十万円。

 合計は、一千十三万八千円。

 修一は椅子から立ち、窓の外を見た。向かいの建物は暗かった。誰かに見せたいが、誰もいない。

 写真を撮って森田に送った。

〈来週、飯をおごる〉

 数字は送らなかった。会ったときに言いたかった。

 独立してから三年近くが経っていた。会社の給料より稼げればよいと思っていたころの自分には、遠い金額だった。

 自宅へ戻ると、真紀はまだ起きていた。

「遅かったね」

「月の売上が、千万円を超えた」

 真紀は修一の顔を見て、笑った。

「おめでとう」

 修一は、その言葉を素直に聞いた。

「これなら、だいぶ安心だね」

 真紀が言うと、修一は首を振った。

「次は、この状態を続けないと」

 真紀の笑みが少し小さくなった。

 達成した日のうちに、修一はそれを失う心配を始めていた。

 森田には、店に入って五分で話した。

「一か月で?」

「そう」

「すごいな」

 修一は注文した料理を忘れて、内訳を説明した。契約数、紹介料、AIを使って速くなったこと。社員を雇っていたときより伸びていること。

 森田は話を聞き、途中で尋ねた。

「何人でやってるんだっけ」

「俺だけ。社員はいない」

「問い合わせは?」

「運用支援の会社にも頼んでる」

「作る方は?」

「基本は俺とAI。基盤の保守とか、専門の部分は外へ頼む」

 森田はうなずいた。

「じゃあ、たくさんの人とやってるんだな」

 修一は水を飲んだ。

「社員じゃないから」

「そこは分かる」

 森田は料理を取った。

「うちの若い人にも、頼む範囲をちゃんと決めないと駄目なんだよ。社員だから何でも出来ると思うと、困る」

「俺は社員で、それを失敗した」

 修一は言った。森田は笑わなかった。

「今度は、決めてるんだろ」

「出来るだけ」

 森田が頼んだ酒は高くなかった。修一はもっと高いものを勧め、森田はこれが好きだからと断った。

 金があれば選べる。それは本当だった。高い方を選ばないことも、選べることの中に入る。修一は分かっていて、せっかくおごるのにと思った。

 取材の依頼は、翌月に来た。

 小さな会社の経営を扱う媒体だった。社員を雇わずに月商千万円。修一の紹介記事を見て、話を聞きたいという。

 修一は事務所を片づけた。空いた机はそのままにした。千葉が使った机だったが、取材では資料を置くための机になる。

 記者は仕事の流れを聞いた。AIの使い方も、費用も尋ねた。修一は出来るだけ具体的に話した。

「一人で、全部を出来るわけではないんですね」

「専門の部分は外部と契約しています。ただ、直接雇用の社員はゼロです」

「社員を増やす予定は」

「今はありません」

 記者は千葉のことも聞いた。修一は、働き方をうまく整理できなかったとだけ説明した。

 記事の案が届くと、見出しが目に入った。

〈社員ゼロの社長、月商一千万円へ〉

 修一は、外部の協力について書かれた部分が短いことに気づいた。間違いではない。数社と組んでいることも、本文にはある。

 見出しを見て、木崎が驚くところを想像した。

 修正は頼まなかった。

 記事が出ると、問い合わせが増えた。

 仕事を任せたいという人も、社員をなくす方法を知りたいという人もいた。修一は後者への返信に困った。

 社員をなくす方法を売った覚えはない。自分は雇用で失敗したあと、違う方法を選んだだけだ。

 だが、記事を読んだ人は、修一の会社を一人の会社として見ていた。

 導入を手伝っている外部の担当が言った。

「現場で設定をしているのは、こちらのスタッフですよね」

「記事には書いてあります」

「ええ。ただ、お客様から佐伯さん一人が全部していると聞かれることがあって」

 修一は、その日の会社紹介に協力体制を書き足した。取材の記事まで変えてもらうことはしなかった。

 紹介資料を直したので、十分だと思った。

 自分が少し見栄を張ったことで、他人の仕事が見えにくくなった。そのことを、まだ売上と同じ重さでは考えられなかった。

 売上が伸びると、入る金も増えた。

 同時に出る金も増えた。AIを使う処理、保存する記録、監視、問い合わせ、導入支援。修一は一千万円の表を何度も見たが、同じ回数だけ支出の表を見たわけではなかった。

 早瀬は、契約ごとに残る金を見せた。

 たくさん使う顧客の中には、売上が大きいのに費用も大きい会社があった。料金を上げるか、使い方を変えてもらうか、提供範囲を決める必要がある。

「今は増やす時期なので」

 修一が言うと、早瀬は一社の欄を指した。

「この契約が十倍になったら、残るお金はどうなりますか」

 修一は計算した。売上を増やしても、困る額が増える。

 相手へ説明すると、条件の変更を受け入れた会社もあった。別の会社は、契約を減らした。

 契約数が減った日の夜、修一は管理画面を何度も見た。正しい条件へ直したのだから、悲しむ理由はないはずだった。

 理由がなくても、数字が減れば胸がざわついた。

 余白ノートの自動処理は、少しずつ使われ始めた。

 利用者が条件を確かめ、どこまで進めるかを選ぶ。修一は説明を作り、解説コンテンツにもした。全てを自動化しない会社も多かった。

 宮本は、まだ最後の確認を残していた。

「ほかの会社は、自動にしてるんでしょう」

 ある商談で担当者が言うと、修一は、ほかの会社が使っていることと、その会社に合うことは別だと説明した。

 話しながら、少し前なら自分も同じことを言ったかと思った。

 自動化という言葉は、手間を減らすだけでなく、他の会社に遅れたくない気持ちも動かした。

 修一は、使わない選択を説明に残した。それでも、紹介するときに目立たせるのは、時間を減らせる方だった。

 具体的な時間の削減を示すと、導入の相談が増える。

 事故の可能性を一つずつ説明すると、商談は長くなる。

 どちらも必要だと分かっていながら、短く済む話の方を先にした。

 小さな事故は、その年の冬にあった。

 似た名前の案件が候補に出て、顧客が違う方を選んだ。確定する前に気づき、金銭の影響は出なかった。

 修一は番号の表示を大きくした。対応の報告を作り、顧客へ知らせた。

 外部の担当が、同じことが他で起きていないかを調べたいと言った。修一は必要な範囲を指定した。

「ここまでで、まず確認してください」

 全部を調べれば時間がかかる。毎回そうしていたら、新しい機能が遅れる。

 千葉の停止基準を思い出し、保存した場所を開いた。一件で、利用者が訂正できている。大きく止める条件には当たらないと思った。

 修一は報告を閉じ、次の作業に戻った。

 その判断自体が間違いとは限らなかった。だが、起きたことを学ぶ仕事が、先へ進む仕事より後ろに置かれていることには気づかなかった。

 真紀との外出は、以前より金を使うようになった。

 店を選び、泊まる場所を予約し、空いた日を決める。昔は値段を見て諦めたことも、今は出来た。

 それなのに、旅行の朝、修一は事務所へ寄った。出発までに一つだけ作業を終えたい。

 真紀は自宅で待っていた。電話が来たとき、修一は、もう少しと答えた。

「あと何分?」

「三十分くらい」

「分かった。三十分後に出られるようにしておく」

 作業が終わると、新しい問い合わせが来た。

 修一は時計を見た。外部の担当が対応できる内容だった。転送して終わればよい。

 それでも、自分で答えた。客に速く返したかった。自分の方が分かっていると思った。何より、未回答のまま出かけるのが落ち着かなかった。

 四十五分後に家へ戻ると、真紀は玄関に座っていた。

「行こう」

 修一が言うと、真紀は立った。

「次は、私は先に行くね」

「何で」

「待つかどうかは、私が決めたいから」

 修一は鍵を持ったまま、返事をしなかった。

 旅行中、管理画面を開かない時間を決めた。一時間なら出来る。二時間も出来る。半日になると、何かを失っている気がした。

 失っているのが売上なのか、働いている自分を確認する機会なのかは分からなかった。

 日曜の夜、事務所に戻る必要はなかった。

 それでも修一は寄った。自宅で机を開けば、真紀に何か言われると思ったからだった。

 窓に向かい、月の契約数を見た。目標より少し上だった。来月はもっと増やせる。

 数年前、自分は、木崎の連絡がなくなれば眠れると思っていた。

 今、連絡してくる相手はみな、少なくとも理由があった。顧客の問い合わせ、外部の確認、契約の相談。木崎の機嫌を取る仕事はなくなっている。

 それなのに眠る時間は遅くなっていた。

「誰にも命令されなくなったのに、何で俺はこんなに働いてるんだ」

 声に出すと、事務所では自分の声だけが返った。

 問いに答える代わりに、修一は来月の目標を二割上げた。

 目標があれば、明日何をするかが決まる。何もしないでいい一日より、考えやすかった。

 大手の新サービスの知らせは、その翌週に届いた。

 オルビスリンク。名前を知らない人はいないほどではないが、企業向けの道具では販売網を持つ会社だった。

 画面の写真を開いた。見積、作業記録、請求をつなぐ。AIが照合し、条件に合うものを自動で進める。

 修一は手を止めた。

 余白ノートと同じ言葉ではない。同じ順序で、似た仕事を減らそうとしている。

 既存の契約に含まれる料金は、修一の会社よりずっと低かった。相手がすでに使っている道具と、一緒に導入できる。

 修一は公開された機能を一つずつ読んだ。足りないところを探した。見つけたところに線を引くと、少し安心した。

 翌朝、顧客から比較の相談が来た。

〈今使っている契約に入るそうなので、併用から試したいです〉

 解約ではなかった。それでも修一は、会社の給料をなくした月と同じように、来月のセルを見た。

 一千万円を超えた数字が、その瞬間、もう過去のものに見えた。

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この作品はフィクションです。経験を出発点に人物・企業・出来事を創作・再構成しています。将来の成功を描く部分は創作であり、実際の業績を示すものではありません。