シルクコード図書館 · 小説社員ゼロの社長 · よし

社員ゼロの社長 · 著者 よし

第4章 自由の代償

目次

月の売上を締めた日、修一は計算式を三度確認した。

 二十五万三千円。

 ライターの報酬、確定した紹介料、その他の小さな収入。合計のセルは間違っていなかった。

 会社員のころなら、そのほかに給与が入る。今月は入らない。

 ブログの訪問は減っていた。よく読まれていた記事の一つが検索の上位から落ち、ほかの記事も同じ時期に下がった。理由は一つに決められなかった。競合の記事も増え、紹介先の条件も変わった。修一が更新を後回しにした記事は、説明が古くなっていた。

 辞めた途端に読まれなくなったわけではない。辞める前から減っていた。七十万円のセルを見るとき、その下の変化を見なかったのだ。

 修一は新しい記事を書こうとして、募集サイトを開いた。すぐに金になる仕事が欲しかった。

 短い記事を十本。納期は一週間。報酬は、以前なら断った額だった。

 応募した。

 五日後、修一は土曜の朝から夜まで文章を書いていた。

 真紀が掃除を始めると、音が気になってイヤホンをつけた。夕方、買い物に行くと言われても、返事をしなかった。

 夜、食卓に座ると、真紀が言った。

「今日、家にいた?」

「いたよ」

「そうなんだけど」

 修一は味噌汁を飲んだ。

「今月、売上が落ちた」

「どのくらい」

「二十五万」

 真紀は皿を動かす手を止めた。

「先月までの数字と、ずいぶん違うね」

「今は仕事を増やしてる」

「増やせば、来月戻る?」

「分からない」

 やっと、分からないと言えた。

 真紀は紙とペンを出した。二人の生活費を書き、自分の収入と貯金を書いた。

「ここまでは家の貯金。ここからは仕事のためのお金。分けよう」

「俺のために、そこまでしなくていい」

「私もここで暮らしてるから」

 修一は、自分一人で決めた退職が、真紀の生活費にも触れていることを数字で見た。

 家の貯金を減らしたくないから働く。会社員のときと、動機が近くなっていた。

 森田から紹介された早瀬は、持って来た売上の表を一枚ずつ見た。

 小さな事務所だった。棚には書類が並び、壁には何も飾られていない。早瀬は修一の仕事を聞いてから、尋ねた。

「来月、口座に入るのはいくらですか」

 修一は二十五万円のセルを指した。

「これは売上でしょう。入金日は?」

 紹介料は確定のあとに入る。ライターの案件にも、それぞれ支払日がある。修一は別の表を開いた。

「仕事に必要な支払は?」

 サーバー、外部のサービス、調べるために買った資料。早瀬は生活費の表には触れず、事業の支出を並べた。

「売上は小さくても、早く入れば助かることがあります。売上が大きくても、今月払えないなら困る」

「それは、分かってます」

「分かっているのと、並べて見るのは違います」

 早瀬は次の三か月の欄を作った。確かな入金と、まだ見込みの入金を色で分ける。修一の表は、一気に白くなった。

「全部の数字が悪いわけではありません。けれど、来るはずの金を何度も使うと、どこかで困ります」

 修一は表を見た。自分の仕事を説明するために来たつもりが、会社を出たあとの仕事を、初めて他人に見てもらっていた。

 そのころ、修一は記事の取材で宮本亮子に会った。

 小さな設備工事会社の事務所には、工具の箱と新しいプリンターが並んでいた。宮本は社長だったが、電話を取り、現場の予定を直し、見積書も作る。

 修一が記事のために仕事の流れを聞くと、宮本は二枚の紙を出した。

「困ってるのは、これ」

 同じ工事の見積書だった。金額が違う。

「最初のがこっち。あとで条件が変わって、作り直した。請求するとき、最初の方を使っちゃった」

「ファイル名に日付を入れては」

「入れてる。急いでると、どっちの日付が新しいかより、先に開いた方を見ちゃうのよ」

 修一は、もっと注意すればよい、と言いかけた。会社で何度も言われた言葉だった。

「使ってはいけない方を、分かるように出来ないですかね」

「それが出来たら、助かる」

 宮本は電話に出た。相手と作業の日程を合わせながら、修一へ、少し待ってと手を上げる。

 画面の中だけで説明すれば解決する問題ではなかった。忙しい人が、忙しいままでも間違えにくいものが必要だった。

 最初の道具は、修一のパソコンでしか動かなかった。

 見積書の番号、版、作った日、承認されたかどうかを入力する。古い版には大きく色をつけた。宮本に見せると、喜ぶ前に質問が来た。

「私が入力しないと駄目?」

「最初は」

「入力を忘れたら?」

 修一は画面を見た。入力してくれる人を前提に作っていた。

「忘れたときも、分かるようにします」

「私がこれを開かなくても、分かる?」

 修一は、その日は答えを持ち帰った。

 帰宅して、使う順序を紙に書いた。見積書を作る。修正する。承認する。請求する。道具を別に開く手間を、どこに入れるか。

 会社で作った注文表は持ち出さなかった。そこで覚えた、使う人が忙しいときに何を忘れるかという感覚だけを、もう一度使った。

 翌週、作ったファイルを一覧へ登録すると版が見えるようにした。完璧ではない。宮本と一つずつ試した。

「これ、毎月いくら?」

 宮本から聞かれて、修一は少し考えた。

「まだ、払っていただけるものか」

「払わないと、あなたも直す時間を取れないでしょう」

 契約する範囲を決め、月に小さな額を払ってもらうことになった。必要のない会社には売らない。自分の仕事も、宮本の仕事も、最初は狭い範囲で試す。

 修一は商品名の欄に「余白ノート」と書いた。

「何で余白?」

「入力と確認ばかりで一日が終わるのを、少し減らしたいので」

 説明してから、自分にも欲しいものだと思った。

 ブログには、書類を取り違えやすい場面の解説を書いた。余白ノートの紹介も置いたが、記事の結論を購入へつなぐことだけにはしなかった。

 紹介先の道具で十分な人もいる。自分の道具は出来ないことが多い。そこを書くと、申し込みの前に届く質問が具体的になった。

 工事会社以外からも問い合わせが来た。受注して制作する店、小さな保守会社、修理の事業者。全てに応じれば、会社ごとに違う道具が出来てしまう。

 修一は対応する範囲を決めた。断ると、月々の売上を失ったような気がした。まだ契約していない相手の金を、もう自分のものとして数えている。

 断ったあとに眠れなかった夜は、アプリを作った。見積の前に条件を確かめる簡単なチェック用の道具だった。使う人は多くなかったが、問い合わせの中に、次の改修につながるものがあった。

 記事で知ってもらい、解説で使い方を伝え、道具で作業を減らす。別々に見えた仕事が、少しずつつながった。

 半年後、宮本が別の会社を紹介した。

「うちと同じで、紙があっちこっちにあるから」

 紹介された会社は、もっと大きな仕組みを求めた。修一は出来ることと出来ないことを書いた。それでも商談の最後に、頼まれた機能を「考えます」と言ってしまった。

 考えるだけなら嘘ではない。

 相手は、その言葉を、近いうちに出来るという意味で聞いていた。

 翌月、問い合わせが来た。修一は本業となった執筆の納期と、余白ノートの改修の間で、返信を遅らせた。遅れるほど答えにくくなる。答えないと、さらに遅れる。

 会社で承認を待っていた自分と、返事を待つ顧客の位置が入れ替わっていた。

 修一は電話をかけ、出来ていないと伝えた。

「最初からそう言ってくれたら、別の方法を考えました」

 相手は怒鳴らなかった。その方が、修一には堪えた。

 出来ないことを言えば売れない。売れてから出来ないと分かれば、もっと失う。その順序を、初めて自分の仕事で覚えた。

 早瀬と会うときには、売上だけでなく入金も並べた。

 最初の三か月より、白い欄は少なくなっていた。紹介料と執筆料に、毎月の利用料が加わる。増えたからといって、どの月も同じようにはならない。

「会社にすることも、いずれ考えたいです」

 修一が言うと、早瀬は理由を聞いた。

「契約が増えてきたので。相手からも聞かれます」

「肩書きが欲しいということではなく?」

「それも、少しあります」

 早瀬は笑わなかった。必要な仕事と費用、今の形で続けることの違いを、次に整理することになった。

 帰り道、修一は「社長」と名刺に書かれている自分を想像した。木崎がそれを見たら何と言うかまで考えてから、苦笑した。

 辞めた会社の人に見せるために、会社を作るつもりではない。

 そのつもりでいても、頭の中の会議室からは簡単に出られなかった。

 独立から一年半近くが過ぎ、余白ノートの契約がまとまって増えた。

 会社を設け、名前を余白システムズとした。修一の机は相変わらず家の隅にあったが、名刺には会社の名前が入った。

 アフィリエイトの記事も、解説コンテンツも、アプリも続けていた。よく読まれる記事が落ちた月には、別の収入が支えた。小さな仕事が多いことは安心につながり、同時に更新する場所を増やした。

 宮本からの電話に出ている間、別の顧客の問い合わせが届いた。夕食の途中で返信し、朝は起きてすぐ通知を見た。

 真紀が言った。

「今日は、何時に終わるの」

「この返信が終わったら」

「次の返信が来たら?」

 修一はスマートフォンを置いた。

 誰かに来てもらえば、問い合わせを任せられる。自分は作る仕事に戻れる。休める。売上も増やせる。

 眠る前、求人の下書きを開いた。

〈少人数の会社で、裁量を持って働けます〉

 社員は、まだ一人もいない。少人数という言葉で、そのことを少し飾った。

〈お客様に喜ばれる仕事です〉

 それは本当だった。修一が喜んで仕事をしていることも、本当だった。

 その二つが、来てくれる人の働きやすさと同じかどうかは、まだ考えていなかった。

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この作品はフィクションです。経験を出発点に人物・企業・出来事を創作・再構成しています。将来の成功を描く部分は創作であり、実際の業績を示すものではありません。