シルクコード図書館 · 小説の棚雨の秤 · 目次

雨の秤 · 全8章

四 雨を含む台

雨は、決めていた時刻より二十分遅れて来た。

南棟の樋が鳴り出したとき、葉菜は窓際の紙を壁へ寄せた。晴れているうちに書いた表には、時刻と気温、荷を置く位置、針の読み、荷を下ろしたあとの零点を記す欄がある。右端だけは空白にしておいた。予定した事柄だけを残す表では、今日も何かを落とす。

共同秤の周囲には縄が張られていた。朝から使っている代替秤は北の倉の庇にあり、川路は最後の売り手へそちらを案内してから戻った。上着の片側だけが濡れている。

「もう、ここに荷を持ってくる人はいない。戸を半分閉めていい?」

沙和は、開けておいて、と答えた。

「風が通っていたところを、今だけ締め切りたくない」

川路は戸に手をかけたまま葉菜を見た。葉菜が表の空白に戸の状態を書き込むと、彼女は戸止めを元へ戻した。

秤は屋根の下にあった。直接雨をかぶるわけではない。昨日の布もそうだったはずだ。葉菜は、木を濡らせば早く調べられる、と一度考えていた。その考えを沙和に伝えると、濡らした機械についてはわかる、とだけ返された。そこで彼女は、桶を持ってくるのをやめた。

床の隙間から吹く風が冷たくなった。沙和は台の横にしゃがみ、細い紙片を差し込んだ。昼間は通った隙間で、いまも紙は通った。爪ほどの幅の紙を抜いて、封筒の上に並べる。

「まだだね」

「湿るまで待つんですか」

「どう変わるか待つ。変わらないかもしれない」

葉菜は表の上に掌を置いた。紙が冷えている。昼の試験では、端に重さを寄せると針の止まり方が揃わないことはわかった。それを欠陥の証拠にしようとしたとき、沙和は同じ荷を違う手で載せてみせた。今度は合った。載せ方が変われば違うのなら、その違いも揃えなければ比べられない。

今日の荷は、使い古した厚布で包んだ平たい枠だった。中には栓をした金属の容器が四つ、動かないように収められている。総量は十六斤。容器と枠と布をひとまとめにして、代替秤で確かめた。布は外へ垂れず、持ち手を離しても床に届かない。枠の四つの隅には白い糸が結ばれていた。皿の縁につけた目印に、その糸を合わせる。

十六斤という数は、トキの荷の重さを再現するためではなかった。トキが持ってきた布はもう元の束ではなく、十四斤という記録の正しさを、同じ十四斤の荷で試せば確かめられるわけでもない。扱える重さで、広がり方を揃えられる荷を作る。その説明を三津田にすると、彼は表の題名から「布荷再現」の五文字を消した。

代わりに「広い荷の比較試験」と書いた。

千路が来たのは、二回目の測定のあとだった。トキの傘を二人で持っていた。千路は横から傘の骨を押さえ、トキは柄を握っている。風に裏返されない持ち方だった。

「買い物の帰りです。まだやっているなら、見るだけ」

トキは入口で言った。葉菜は縄の外に椅子を二脚置いた。

「帰りたいときに帰ってください。何時になるか、わかりません」

「針は見える?」

千路が訊いた。

葉菜は自分の椅子を譲り、見る位置に印をつけた。表示の正面からずれると読みが違って見える。それを話すと、千路は自分の靴の先を印へ合わせた。

「ここからだったら、僕も読んでいい?」

「読めた数を、先に紙へ書いてもらえる? 私の声を聞く前に」

千路はうなずいたが、沙和が工具袋から顔を上げた。

「何遍も頼むことになるよ。嫌になったらやめな」

「嫌じゃない」

「あとで嫌になる分も、今決めなくていい」

千路は椅子に座った。膝に渡された板の上で、紙の角を慎重に折った。表の欄は小さいからと、葉菜が別の紙を渡す。彼は針を見て、数字ではなく、目盛りを三本引いた。

試験は同じ順番で行った。何も載せずに零を見る。小さい分銅を中央に置く。下ろす。広い荷を二人で持ち上げて置き、手を完全に離す。床にも壁にも触れないことを川路が確認する。一定の間を待って針を読む。荷を下ろす。皿が空になったあとも、葉菜は針の前から動かなかった。

十六斤の荷で針は少し高いところに止まった。最初の二回とほとんど同じだった。川路が荷を下ろすと、針は零の左に残った。

「今、叩かないでください」

葉菜は、川路の手が台へ向く前に言った。

「わかってるよ」

川路はその手を自分の腰へ当てた。責められたように聞こえたのかもしれない。葉菜は短く礼を言い、零点が戻るまで待った。砂時計の砂は落ち切った。針はまだ左にあった。

沙和が下の隙間に紙を入れた。端の一枚だけが、途中で引っかかった。

「今のも書いて」

彼女は言った。それから紙を押し込まず、引き抜いた。

千路が膝の板を持ち上げる。描かれた三本の目盛りの、真ん中より少し右に線があった。葉菜の読みと同じだった。彼女は彼の紙にも時刻を書き、下に「千路、正面椅子」と記した。

「名前、書いてもいい?」

書いたあとに訊いたことに気づき、筆先を止めた。

千路は紙を引き寄せた。いったん葉菜の書いた名を指でなぞり、自分で同じ二文字を横に書いた。

「こっちを使って」

閉店を知らせる鐘が鳴ると、市場の音は急に近くなった。昼間は人の声に埋もれていた雨音が、板壁ごと震わせるように聞こえた。外の通路に水が溜まり、柱の根元で小さな流れが二つに割れる。

三津田は濡れた帳面を外套の内側から出した。南棟へ来る前に、代替秤の使用終了を確かめてきたという。

「ここで夜まで続けるなら、灯りを足そう」

彼は川路の足元の箱から、覆いのある灯りを取り出した。針の正面に明かりが映り込まない位置を探し、梁の鉤に掛ける。葉菜は照明を変えた時刻も記した。

「何でも書くんだな」

「読めなかった理由を、あとで機械のせいにしたくないので」

三津田は彼女の表を読んだ。欄の外には、風が北から南へ抜けたこと、入口に人が立ったこと、荷を下ろした直後に足音があったことまで書かれている。

「全部を原因にする必要はない」

「はい」

「でも、削るのはあとでいい」

四回目、広い荷を置いたとき、針はいつもより高い場所で止まった。

葉菜は、もう一度待った。針先に灯りが細く光っていた。十六を越えた位置から、動かない。沙和は台の下を覗いたまま片手を上げた。誰も荷へ触れないように、という合図だった。

「下の右。紙が入らない」

川路が屈みかけた。

「そのままで」

沙和は彼女を止め、三津田を呼んだ。三津田だけが、床に敷いた薄板へ膝をつく。葉菜は針を見続けた。下で誰かが動くたび、機械が揺れる気がしたが、針先の位置は変わらなかった。

「金属の側板と、木の縁が触れている」

三津田の声がした。

「昼はそこに隙間がありました」

「記録してある」

沙和が答えた。

触れた部分は暗く、葉菜にはよく見えなかった。沙和は荷を下ろしたあとに確かめようと言い、それから体を起こした。

「今から、横へ一度だけ手を当てて軽く打つ。針を見ていて。千路さんも、嫌でなかったら」

千路は答えず、板を持ち上げた。

沙和が台の横を、指の付け根で打った。音は拍子抜けするほど小さかった。

針が下がった。

急に倒れたのではなく、止めていたものから抜け出すように、一目盛りずつ滑った。十六の線を過ぎ、少し下で揺れ、止まった。葉菜は紙へ筆を落とした。濡れた袖から一滴落ちて、書いた時刻の末尾が滲んだ。彼女はその数字を塗り直さず、隣へ書き直した。

千路が椅子から立った。

「それ」

声が高かった。

「それだよ。そうなった」

葉菜はうなずきかけて、針へ目を戻した。

「今の動きは見た。朝の荷と同じ原因かどうかは、まだ分けておくね」

千路の顔が曇った。葉菜は板の上の紙を指した。

「今のは、あなたが見たこととして残る。あの朝のことも、消さない」

彼は立ったまま紙に線を足した。長い縦線が、短い目盛りを横切っていた。

川路は口を開き、閉じた。いつも皿を空にして叩いていた、その手を今は上着のポケットへ入れていた。

同じ動きが、次も起きるとは限らなかった。

五回目の荷は、置いた直後から少し低い値を示した。横を打ってもほとんど変わらない。六回目は高く止まり、触れないまま待つうちに遅れて下がった。七回目は、荷を置くときに枠の角が白い糸一つ分ずれたため、その結果を比較表の外へ記した。

葉菜は表を睨んだ。四回目の明瞭な動きを、原因が見つかった瞬間にしたかった。だが、次の行はそれに従ってくれない。

沙和は、四回目の欄に丸をつけようとする彼女の筆を見た。

「どれか一つを見本にするなら、残りがなぜ違うかも残そう」

「同じことをしたつもりなんです」

「したつもり、の幅がある。木も金属も、一度動いたあとと、その前では違うことがある」

葉菜は丸を描かず、筆を置いた。荷の持ち手を握る川路の右手が、疲れて震えていた。

「休みましょう」

いちばん休みたくなかったのは自分だった。今やめれば、せっかく見えたものが逃げるような気がした。だが疲れた手で荷を置けば、次の行は別のものになる。

トキは荷台から小さな包みを出した。夕方に食べるつもりで持ってきた握り飯だった。千路は自分の分を二つに割り、一方を葉菜へ差し出した。

「もらえないよ。私のは、あとで」

「そう言うと思った」

彼は半分を自分で食べた。トキが笑い、川路が椅子へ腰を下ろした。三津田は北口の茶屋がまだ開いているか見てくると言ったが、沙和が工具袋の底から堅い焼菓子を出した。全員で一枚ずつ分けた。喉へ詰まりそうな甘さだった。

葉菜は水を飲み、紙に付着した小さな飯粒を取った。その下には針の数値があった。人が食べたり待ったりする間にも、木の台は同じ場所で雨の空気を吸っている。

「これ、直せるんですか」

川路が訊いた。

「触れているところを削れば、今夜は離せるかもしれない」

沙和は答えた。

「でも、今削れば昼と比べられなくなる。ここにあった傷が、何の傷かわからなくもなる」

「明日も、北のほうを使うのね」

「お願いできる?」

葉菜が言うと、川路は膝の上で指を組み直した。

「できる。ただ、できるだけじゃ続かない。受付が二人要る。北の出入口が一つだから、帰る人と来る人がぶつかるの」

三津田が手帳を開いた。葉菜は調査表とは別の紙に、通路と人員のことを記した。秤の下だけ見ていては、止めたあとの荷が見えなくなる。

トキと千路が帰る前に、もう一つだけ比較をした。

広い荷を下ろし、中央に分銅を積む。合計は同じ十六斤だった。川路が手を離すと、針は十六の付近で止まった。横を軽く打っても、先ほどのようには下がらない。下ろしたあとの零も、しばらくして戻った。

「同じ重さなのに」

トキは言った。

沙和は、空の皿へ二本の指を置いた。片方を中央へ、もう片方を縁へ移す。実際に力はかけない。

「重さがどこから入るかで、下のものの傾き方が違う。中央の小さい荷では、ここまで寄らない。広く載せると、少し傾いたところで側板が台に触れることがある」

「その分、重く出るんですか」

「触れた向きと、どこで止まったかによる。今日見えたのは、高めに止まったものを打つと、低いほうへ動く場合がある、ということ。低いほうが正しいという意味じゃない」

トキは針を見た。誰も載せていない皿が、灯りの下で広く白かった。

「落ち着いたら正しい、と言われました」

「止まることと、合うことは別だね」

沙和の返事に、川路が俯いた。

葉菜はトキへ、今夜の結果を説明する紙を後日渡すと伝えた。千路は椅子の位置の印を剥がそうとして、途中で手を止める。

「置いといていい?」

「明日の朝までは」

「明日は来ない。学校の、畑の当番だから」

「そちらへ行って」

千路は不満そうな顔をしなかった。自分が来なければ秤がまた黙ってしまうのか、その心配があったのだろうか。葉菜が、朝は三津田と自分が見る、と言うと、彼は印から手を離した。

傘の下へ入った二人が通路の角を曲がるまで、葉菜は見送った。千路は一度も振り返らなかった。

帰る前に、葉菜は試験に使った荷をもう一度、北棟へ運んだ。川路と二人で持つと、行きより重く感じられた。疲れが、腕を通して数にまで混ざろうとする。

北の秤へ載せる前に、包みの四隅と封を見た。容器の栓は閉じたまま、枠の内部にずれたものはない。外の厚布は、掌に冷たかった。屋根の下に置いてあっても、湿気を含む。十六斤と呼んだ荷そのものが、夜の間ずっと同じ重さだったと、無条件には言えない。

「ここも、ちょっと増えてる」

川路は針を読み、葉菜に場所を譲った。代替秤での読みは、昼の記録より僅かに上だった。南棟で打つ前と打ったあとに見た差よりは小さい。しかし、小さいから書かなくていいものではなかった。

葉菜は紙を出し、比較荷の終値を書き加えた。表紙の十六斤の横に線を引き、昼の確認値、と補った。川路は、こんなところまで面倒なのね、と言い、すぐにその言葉を訂正しようとした。

「面倒です」

葉菜が先に答えた。

「荷のほうも変わるので」

「売り手には、いつも変わらないものを持ってきたみたいに言ってた」

川路は包みを持ち上げ、葉菜のほうへ手を伸ばした。二人で床へ下ろす。

「濡れた分を引く、って口では言えるけど、何をいくら引いたのか書いてなかった」

葉菜は返事を考えながら、手を揉んだ。今日確かめた機械の差と、布が水を含む差を混ぜれば、原因はかえって見えなくなる。逆に、水を含むことだけを理由に機械の異常を消すこともできない。

彼女は表に二つの短い注を分けて書いた。比較荷自体の変化。荷を載せたまま打った直後の変化。川路はそれを読み、受付でも分けて言ってみる、と答えた。

南へ戻ると、沙和は工具を片づけていた。木台を今夜のままにしておくため、炉の近くへ運ぶ案も取りやめになった。自然に乾く速さまで、今はわからなかった。

翌朝、雨は細くなっていた。

葉菜は七時より前に南棟へ入った。表の上へ落ちないように外套を入口で脱ぎ、昨夜の位置へ灯りを置く。台の脚には紙封が残っていた。機械へ手を加えていないことを三津田と確かめ、時刻を書く。

木台の幅を測った記録は、前日の昼より僅かに増えていた。どこを測るかで数字が変わるため、沙和が印をつけた三か所を、同じ道具で二度ずつ確かめた。増えた幅だけで、針の変化の大きさを計算できるわけではない。それでも、隙間が狭くなった観察とは同じ向きを示していた。

広い荷を置く。高く止まる。側面を打つ。低い位置へ動く。今度は二回続いた。

三回目は低い位置で始まり、打っても変わらなかった。葉菜は三行を同じ太さで書いた。

荷を下ろしてから、沙和は側板の縁を灯りで照らした。金属の一角に、黒ずんだ細い帯があった。向かい合う木の内側は一部分だけ艶がある。彼女はその場所を指でこすらず、見取り図へ写した。

「古い傷か、新しい傷かは」

三津田が訊いた。

「見ただけでは、いつからとは言えない。昨日つけた擦れも混じる。ここで接触するという記録にはなる」

葉菜は、第一日に見た左一目盛りの零点を思い出した。

「空の皿が、すぐ零に戻らなかったのも?」

「同じところで動きを妨げられるなら、つながる。ただし、全部の戻り遅れをこれで説明し切ったとは言わない」

沙和はしゃがんだまま首を回した。疲れているのが、朝の光でよくわかった。

「昨日の昼、中央だけなら通った。今朝も通る。検査で荷の広がりを見なかったら、また使っていい札を出せる機械なんだ」

三津田は何も言わず、昨夜の表と朝の検査表を並べた。空欄に印を押す前に、長い時間をかけて一行を書いた。共同秤、使用停止継続。中央荷重による合致を、実荷による合致の根拠としない。

葉菜はそれを読んだ。自分の印を押す場所の前で、胸札を直そうとして、手を机へ戻した。

「これで、遠野屋がしたこともわかりますか」

川路が、開店の札を抱えて入ってきた。

「した動作の一部が、どう働くかはわかりました」

葉菜は答えた。

「その働きを、いつ誰が知っていたかは、別に聞きます」

川路は頷き、北棟へ向かう矢印を入口に掛けた。

外で、最初の荷車が止まった。葉菜は昨夜からの表を箱へ収め、複写用の紙を一枚取った。今朝わかったことには、わかった範囲の輪郭があった。その外側へ名前を置く仕事が、まだ残っていた。

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