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共通テスト模試 歴史総合・世界史探究 第1回・問題と解説

問1:二つの条約の要約と既習事項を踏まえた考察として最も適切なものを選べ。

条約体制の比較(授業用要約)

資料A:1842年の南京条約で清は5港を開き、香港島を割譲した。翌年の追加条約ではイギリスの領事裁判権が認められた。
資料B:1858年の日米修好通商条約で日本は神奈川などを開港し、アメリカの領事裁判権を認めた。

  1. 中国と日本は、ともに開港と領事裁判権を伴う条約体制に組み込まれた。
  2. 清と日本は、この条約で同時に関税自主権を回復した。
  3. 中国の条約は日清戦争、日本の条約は日露戦争の結果である。
  4. 両条約は中国と日本の普通選挙を定めた。
正解と解説

正解:1.中国と日本は、ともに開港と領事裁判権を伴う条約体制に組み込まれた。

南京条約とその後の追加条約、日米修好通商条約は、ともに不平等条約体制の形成に関わる。関税自主権の制限と領事裁判権が特徴。時期はアヘン戦争後と幕末であり、日清・日露戦争より前。

問2:表から直接確認できることと、その背景として適切な説明の組合せを選べ。

アメリカの都市人口比率(%)

グラフの数値(都市人口の割合)
年比率
192051.2%
193056.2%
194056.5%

出典:U.S. Census Bureau, Statistical Abstract of the United States: 1955(当時の都市の定義)

  1. 1920〜1940年に都市人口の実数は必ず減った/農村からの移動が禁止された。
  2. 1930〜1940年の上昇幅が1920〜1930年より大きい/世界恐慌が都市化を加速させた。
  3. この表だけで世界恐慌と都市化の因果関係が証明できる/追加資料は不要である。
  4. 1920〜1940年に都市人口の割合は上昇した/工業化や人口移動との関連を調べる。
正解と解説

正解:4.1920〜1940年に都市人口の割合は上昇した/工業化や人口移動との関連を調べる。

51.2→56.2→56.5%なので都市人口比率は上昇したが、上昇幅は5.0ポイントから0.3ポイントへ縮小している。比率だけでは人口実数や原因を確定できず、産業構成・移住などの資料も必要。

問3:宣言の理念と当時の社会を比較する探究として最も適切なものを選べ。

権利の宣言(原文の引用ではなく授業用要約)

A:アメリカ独立宣言(1776年)は、人の平等と生命・自由などの権利を掲げた。
B:フランス人権宣言(1789年)は、自由・平等と主権の所在に関する原則を示した。

  1. 平等が宣言されたので当日に奴隷制が消滅したと結論付ける。
  2. 宣言はヨーロッパに革命思想が存在しなかった証拠とする。
  3. 平等の理念が、女性や奴隷状態の人々にどこまで適用されたかを検討する。
  4. 宣言を理由に、当時のすべての国で女性参政権があったと判断する。
正解と解説

正解:3.平等の理念が、女性や奴隷状態の人々にどこまで適用されたかを検討する。

理念の表明と制度・生活の実態は区別する必要がある。アメリカ独立後も奴隷制は存続し、政治参加には大きな制限があった。

問4:年表を使った説明として正しいものを選べ。

東アジアの改革年表

1860年代〜:清で洋務運動
1868年:日本で明治維新
1898年:清で戊戌の変法

  1. 洋務運動は明治維新の約半世紀後に始まった。
  2. 明治維新は、清で洋務運動が進められていた時期に起こった。
  3. 戊戌の変法の後、日本で明治維新が起こった。
  4. 日本と清は、いずれもこの年表の期間内に共和政へ移行した。
正解と解説

正解:2.明治維新は、清で洋務運動が進められていた時期に起こった。

洋務運動の開始は1860年代で、1868年の明治維新と時期が重なる。清が倒れる辛亥革命は1911年。日本と中国の近代化を同時代の動きとして比較できる。

問5:二つの資料を踏まえた説明として最も適切なものを選べ。

平和構想と講和の実際(授業用要約)

A:ウィルソンの十四か条は、国際協調や民族の問題に関する原則を掲げた。
B:大戦後、旧ドイツ領植民地などには委任統治が導入され、植民地支配はなお存続した。

  1. 十四か条によってすべての植民地が直ちに独立した。
  2. 平和構想と実際の講和体制の間には、民族自決の適用範囲などに隔たりがあった。
  3. 講和会議でアジア・アフリカの全住民に普通選挙が認められた。
  4. 国際連盟にアメリカが加盟したため、平和構想はすべて実現した。
正解と解説

正解:2.平和構想と実際の講和体制の間には、民族自決の適用範囲などに隔たりがあった。

第一次世界大戦後、民族自決の原則が唱えられた一方、植民地支配は広く存続した。掲げられた理念と実際の条約・支配体制を比較する視点が必要。

問6:この制度変更から読み取れることとして適切なものを選べ。

日本の普通選挙法(1925年、授業用要約)

衆議院議員の選挙について、満25歳以上の男子を対象とし、従来の納税資格を撤廃した。

  1. 納税額による条件は撤廃されたが、女性には選挙権が認められなかった。
  2. 性別・年齢を問わず日本の全住民に選挙権が認められた。
  3. 選挙権の拡大と同時に治安維持法が廃止された。
  4. この法律によって初めて帝国議会が設けられた。
正解と解説

正解:1.納税額による条件は撤廃されたが、女性には選挙権が認められなかった。

1925年の普通選挙法は満25歳以上の男性を対象とし、女性参政権は実現しなかった。同じ年に治安維持法も成立した。権利の拡大と統制の強化を合わせて捉える。

問7:次の問いを検証するために、最も適切な追加資料を選べ。「輸出額の減少が、養蚕に関わる日本の農家の暮らしにどう影響したか」。

生徒の調査メモ(編集部作成)

1929年に始まる世界恐慌の影響を調べると、日本の生糸輸出も打撃を受けたことが分かった。しかし輸出の統計だけでは、養蚕農家の生活の変化までは分からない。

  1. 同時期のアメリカ大統領の名前だけを並べた表
  2. 古代ローマの道路網だけを示す地図
  3. 戦後のテレビ普及率だけを示すグラフ
  4. 農家の繭販売額・家計・負債に関する同時期の記録
正解と解説

正解:4.農家の繭販売額・家計・負債に関する同時期の記録

生糸輸出という国際経済の変化と農家の生活を結ぶには、販売額・収入・負債など家計への影響を確かめる記録が必要。単に同時代の事実を集めるだけでは問いの検証にならない。

問8:年表から導ける考察として最も適切なものを選べ。

戦後の日本とアジア・アフリカ

1945年:国際連合発足
1947年:インド・パキスタン独立
1949年:オランダがインドネシアの主権を承認
1952年:サンフランシスコ平和条約発効、日本の主権回復
1955年:バンドン会議

  1. バンドン会議が原因となって、その後初めてインドが独立した。
  2. 国際連合の成立によって、1945年に世界の全植民地が独立した。
  3. 脱植民地化が進むなか、アジア・アフリカ諸国が協調を模索した。
  4. この期間には日本も新たにイギリスの植民地となった。
正解と解説

正解:3.脱植民地化が進むなか、アジア・アフリカ諸国が協調を模索した。

インド・インドネシアなどの独立後、1955年のバンドン会議では平和共存や反植民地主義などが話し合われた。出来事の順序と国際的な背景を結び付ける。

問9:メソポタミア文明についての記述として正しいものを選べ。

  1. シュメール人はナイル川流域に都市国家を築いた。
  2. ハンムラビ王はアッシリア帝国を建国した。
  3. シュメール人は楔形文字を用いた。
  4. ハンムラビ王がローマ法大全を編纂した。
正解と解説

正解:3.シュメール人は楔形文字を用いた。

シュメール人は都市国家を築き、粘土板に楔形文字を刻んだ。ローマ法大全は6世紀のユスティニアヌス帝による。

問10:アケメネス朝の統治に関する正しい記述を選べ。

  1. ペリクレスが各州の総督を任命した。
  2. ダレイオス1世はサトラップを置き、王の道を整備した。
  3. 首都バグダードからイスラーム法で統治した。
  4. アウグストゥスが建国した。
正解と解説

正解:2.ダレイオス1世はサトラップを置き、王の道を整備した。

ダレイオス1世は地方総督と監察制度、交通網によって広域支配を進めた。バグダードはアッバース朝の都。

問11:アテネの制度を評価する説明として、資料と整合するものを選べ。

古代アテネの制度(授業用要約)

成年男性市民は民会に参加し、重要事項を決定した。女性・奴隷・在留外国人は、民会での参政権を持たなかった。

  1. 市民による直接参加があっても、政治参加の対象は全住民ではなかった。
  2. 女性・奴隷にも男性市民と同じ参政権があった。
  3. 民会は近代の普通選挙により選ばれた代議士だけの会議だった。
  4. 市民は政治に関与せず、世襲の皇帝がすべて決定した。
正解と解説

正解:1.市民による直接参加があっても、政治参加の対象は全住民ではなかった。

民会への直接参加という特徴と、「市民」の範囲の限定を区別する。近代の普通選挙や代表制を、そのまま古代に当てはめることはできない。

問12:前漢の武帝の時代について正しいものを選べ。

  1. 鄭和がインド洋へ遠征した。
  2. 科挙が初めて導入された。
  3. 永楽大典が編纂された。
  4. 張騫が西域へ派遣された。
正解と解説

正解:4.張騫が西域へ派遣された。

張騫は匈奴への対抗を目的に大月氏へ派遣された。鄭和と永楽大典は明代、科挙の開始は隋代。

問13:唐の都と国際交流について正しいものを選べ。

  1. 長安は唐の滅亡後も南宋の都として栄えた。
  2. 唐は日本への仏教伝来より前に滅亡した。
  3. 玄奘はローマへキリスト教を学びに行った。
  4. 長安には西域出身の商人など多様な人々が集まった。
正解と解説

正解:4.長安には西域出身の商人など多様な人々が集まった。

長安は現在の西安にあたり、国際都市として栄えた。玄奘はインドで仏教を学んだ。

問14:表と既習事項から、宋代の経済について適切に説明したものを選べ。

貨幣と商取引の学習メモ

唐代:銅銭などが流通。
北宋:四川で交子が登場。
問い:輸送する硬貨が重い場合、紙の支払手段にはどのような利点があっただろうか。

  1. 紙幣が使われたので、硬貨や商品取引はすべて廃止された。
  2. 交子の登場は、近代の中央銀行制度が完成したことを示す。
  3. 貨幣や信用の仕組みが商取引を支えるようになった。
  4. 宋代には地域を越える商取引が存在しなかった。
正解と解説

正解:3.貨幣や信用の仕組みが商取引を支えるようになった。

交子は北宋の四川で用いられた紙幣。商品経済の発展と結び付けて考える。ただし、紙幣の存在だけで硬貨の消滅や近代中央銀行の成立を結論付けることはできない。

問15:古代インドの王朝と人物の組合せとして正しいものを選べ。

  1. グプタ朝―アクバル
  2. マウリヤ朝―アショーカ王
  3. ムガル帝国―カニシカ王
  4. クシャーナ朝―チャンドラグプタ2世
正解と解説

正解:2.マウリヤ朝―アショーカ王

アショーカ王はマウリヤ朝の王。アクバルはムガル帝国、カニシカ王はクシャーナ朝、チャンドラグプタ2世はグプタ朝。

問16:イスラームの成立について正しいものを選べ。

  1. ムハンマドは622年にメッカからメディナへ移住した。
  2. ムハンマドの死後、最初にウマイヤ朝の世襲支配が始まった。
  3. イスラーム暦の元年は十字軍の開始年である。
  4. コーランはラテン語を原典とする。
正解と解説

正解:1.ムハンマドは622年にメッカからメディナへ移住した。

622年の移住をヒジュラといい、イスラーム暦の紀元とする。コーランの原典はアラビア語。

問17:資料が示す文化のあり方として最も適切なものを選べ。

バグダードの学術活動(授業用要約)

アッバース朝期、ギリシア語などの文献がアラビア語に翻訳され、医学・数学・天文学などの研究が進められた。

  1. 異なる言語・文化圏の知識を翻訳し、学問の発展につなげた。
  2. イスラーム世界は他の文化圏の知識を一切受け入れなかった。
  3. ギリシア語文献の翻訳は産業革命後に初めて行われた。
  4. 学術活動はイベリア半島だけに限定されていた。
正解と解説

正解:1.異なる言語・文化圏の知識を翻訳し、学問の発展につなげた。

アッバース朝の都バグダードなどでは翻訳と学術研究が盛んだった。文化を単一の地域で完結したものとして捉えず、交流と継承に着目する。

問18:旅行家と著作の組合せとして正しいものを選べ。

  1. マルコ・ポーロ―『歴史序説』
  2. イブン・ハルドゥーン―『東方見聞録』
  3. ヘロドトス―『神曲』
  4. イブン・バットゥータ―『三大陸周遊記』
正解と解説

正解:4.イブン・バットゥータ―『三大陸周遊記』

イブン・バットゥータはモロッコ出身の旅行家。『歴史序説』はイブン・ハルドゥーン、『東方見聞録』はマルコ・ポーロに関わる。

問19:資料A・Bを組み合わせた説明として適切なものを選べ。

旅行と史料批判(授業用要約)

A:モンゴル帝国は各地に中継拠点を置く駅伝制を整備した。
B:ユーラシアを旅した人々の記録には、見聞きした情報と伝え聞いた情報が含まれる。

  1. 駅伝制があったので旅行記のすべての記述が正確と証明できる。
  2. 旅行記は必ず本人の実見だけから構成されるので他史料との照合は不要である。
  3. 広域交通を支える制度があっても、旅行記の情報は伝聞や誇張を検討する必要がある。
  4. 駅伝制は海路だけを対象とし、陸上の交通とは関係がなかった。
正解と解説

正解:3.広域交通を支える制度があっても、旅行記の情報は伝聞や誇張を検討する必要がある。

制度が旅行を可能にしたことと、個別の記述の信頼性は別の問題。旅行記は他の文献や遺物と照合し、筆者の立場や情報源を検討する。

問20:西ヨーロッパ中世の教会と王権について正しいものを選べ。

  1. カノッサの屈辱でルターが教皇に謝罪した。
  2. カノッサの屈辱は叙任権闘争の過程で起こった。
  3. 十字軍は産業革命後に始まった。
  4. 教皇は常にイングランド王によって選ばれた。
正解と解説

正解:2.カノッサの屈辱は叙任権闘争の過程で起こった。

1077年、皇帝ハインリヒ4世が教皇グレゴリウス7世に赦しを求めた。聖職者の任命権をめぐる対立が背景にある。

問21:ルネサンスの人物と作品の組合せとして正しいものを選べ。

  1. ダンテ―『ユートピア』
  2. マキャヴェリ―『君主論』
  3. トマス・モア―『最後の晩餐』
  4. レオナルド・ダ・ヴィンチ―『神曲』
正解と解説

正解:2.マキャヴェリ―『君主論』

『君主論』はマキャヴェリ、『ユートピア』はトマス・モア、『神曲』はダンテ。『最後の晩餐』はレオナルドの絵画。

問22:二つの説明の正誤を判定せよ。X:印刷物は宗教改革の主張の広がりを支えた。Y:ルターは贖宥状の販売を批判した。

メディアと宗教改革(編集部作成の会話)

生徒A:同じ文章を多くの部数で印刷できるようになると、議論が遠くへ届きやすくなるね。
生徒B:その技術と、16世紀の宗教改革の主張の広がりを結び付けて調べたい。

  1. Xは正しい/Yも正しい
  2. Xは正しい/Yは誤り
  3. Xは誤り/Yは正しい
  4. Xは誤り/Yも誤り
正解と解説

正解:1.Xは正しい/Yも正しい

活版印刷の発達で冊子などを複製・流通させやすくなり、宗教改革の主張も広まった。ルターは1517年に贖宥状の販売を批判した。

問23:次の航海の古い順として正しいものを選べ。A コロンブスのカリブ海到達、B ヴァスコ・ダ・ガマのインド到達、C マゼラン艦隊の世界周航達成。

  1. B→C→A
  2. C→A→B
  3. A→C→B
  4. A→B→C
正解と解説

正解:4.A→B→C

コロンブスは1492年、ダ・ガマは1498年に到達。マゼラン自身は航海中に死亡し、残った艦隊が1522年に帰還した。

問24:オスマン帝国について正しいものを選べ。

  1. スレイマン1世が清を建国した。
  2. 首都イスタンブルは紅海沿岸にある。
  3. メフメト2世がコンスタンティノープルを征服した。
  4. オスマン帝国は第一次世界大戦で協商国側に立った。
正解と解説

正解:3.メフメト2世がコンスタンティノープルを征服した。

メフメト2世は1453年に都市を征服した。第一次世界大戦ではオスマン帝国は同盟国側で参戦した。

問25:地図のBとCを結ぶ交易について、適切な説明を選べ。

インド洋と周辺の交易拠点

インド洋周辺の地図。Aは東経31度・北緯30度付近、Bは東経45度・北緯13度付近、Cは東経76度・北緯11度付近、Dは東経102度・北緯2度付近、Eは東経113度・北緯23度付近。

A:東地中海につながるエジプト北部、B:アラビア半島南端付近、C:インド西岸、D:マレー半島南西部、E:中国南部。線は交易上のつながりを模式的に示す。現代の海岸線を使用。

  1. Bはヴェネツィア、Cはロンドンで、大西洋交易だけを表す。
  2. B・C間の交易は、19世紀のスエズ運河開通以前には存在しなかった。
  3. 紅海の入口に近いアデンと、インド西岸のカリカットを結ぶ交易圏の一部である。
  4. この経路は鄭和がアメリカ大陸に到達したことを示す。
正解と解説

正解:3.紅海の入口に近いアデンと、インド西岸のカリカットを結ぶ交易圏の一部である。

Bはアデン、Cはカリカット。紅海とインド洋、東南アジア・中国をつなぐ海域には、ムスリム商人などが活動した。線は模式的なつながりを示し、実際の航路や一人の旅行者の経路を再現するものではない。

問26:ムガル帝国について正しいものを選べ。

  1. アクバルはジズヤを復活させた。
  2. アクバルは非ムスリムへの融和政策を進めた。
  3. シャー・ジャハーンはタージ・マハルを破壊した。
  4. ムガル帝国はバーブルによってデリー・スルタン朝より前に建国された。
正解と解説

正解:2.アクバルは非ムスリムへの融和政策を進めた。

アクバルはジズヤを廃止し、宗教的融和を図った。ジズヤの復活はアウラングゼーブ。タージ・マハルはシャー・ジャハーンが建立した。

問27:条約の違いを説明するものとして適切なものを選べ。

清が結んだ二つの条約(授業用要約)

A:イギリスに香港島を割譲し、5港を開く。
B:日本に台湾・澎湖諸島などを割譲する。

  1. Aはアヘン戦争後、Bは日清戦争後の条約である。
  2. AもBも、清とロシアの国境を定めた条約である。
  3. Aで日本が台湾を獲得し、Bでイギリスが香港島を獲得した。
  4. BはAより先に結ばれた。
正解と解説

正解:1.Aはアヘン戦争後、Bは日清戦争後の条約である。

Aは1842年の南京条約、Bは1895年の下関条約。相手国、戦争、領土の変化を組み合わせて区別する。

問28:インドの民族運動について正しいものを選べ。

  1. インド大反乱は第一次世界大戦後に起こった。
  2. ガンディーはイギリスのインド支配強化を目的に活動した。
  3. インドは19世紀中にイギリスから独立した。
  4. 1885年にインド国民会議が創立された。
正解と解説

正解:4.1885年にインド国民会議が創立された。

インド国民会議は1885年創立。インド大反乱は1857年に始まり、独立は1947年。

問29:調査メモに対する指摘として最も適切なものを選べ。

アフリカ分割を調べる(編集部作成)

ベルリン会議(1884〜1885年)に関する列強側の文書を読んだ生徒が、「これでアフリカの人々が植民地化をどう受け止めたかも分かった」とまとめた。

  1. 列強側の記録だけで、アフリカの人々の意見をすべて把握できる。
  2. 会議の開催年が分かれば、植民地支配への抵抗も全地域で同一と判断できる。
  3. エチオピアは1896年にイタリアに敗れたため、抵抗の事例にはならない。
  4. 会議に参加した列強側の文書だけでなく、支配される側の記録も検討する必要がある。
正解と解説

正解:4.会議に参加した列強側の文書だけでなく、支配される側の記録も検討する必要がある。

史料の作成者と立場を検討し、支配を受けた側の記録も参照する。なお、エチオピアはアドワの戦いでイタリアを破った。

問30:19世紀ヨーロッパの統一運動について正しいものを選べ。

  1. ビスマルクはイタリア統一の中心となった首相である。
  2. ガリバルディはプロイセン軍を率いた。
  3. ドイツ帝国は1871年に成立した。
  4. ウィーン会議はドイツ帝国成立後に開かれた。
正解と解説

正解:3.ドイツ帝国は1871年に成立した。

プロイセンを中心にドイツ統一が進み、1871年にドイツ帝国が成立した。イタリア統一ではカヴールやガリバルディが活動した。

問31:資料と既習事項から、国際連盟について正しい説明を選べ。

国際協調の構想(授業用要約)

第一次世界大戦後、戦争を防ぐため、国家間の協調によって平和を守る国際組織が設けられた。しかし、構想を提唱したウィルソンの国アメリカは参加しなかった。

  1. アメリカが常に連盟軍を指揮していたので、すべての紛争を解決できた。
  2. 国際協調を目指す構想があった一方、アメリカは加盟しなかった。
  3. 第二次世界大戦後、国際連合の後継機関として設立された。
  4. 加盟国は大戦後すぐにすべての植民地を手放した。
正解と解説

正解:2.国際協調を目指す構想があった一方、アメリカは加盟しなかった。

第一次世界大戦後の国際連盟は集団安全保障を目指したが、アメリカは加盟しなかった。組織の理念と参加国・実施手段を区別して評価する。

問32:第二次世界大戦後の国際関係について正しいものを選べ。

  1. バンドン会議にはアジア・アフリカ諸国が参加した。
  2. 国際連合は第一次世界大戦直後の1920年に発足した。
  3. 朝鮮戦争はベルリンの壁崩壊後に始まった。
  4. ソ連は1949年にNATOへ加盟した。
正解と解説

正解:1.バンドン会議にはアジア・アフリカ諸国が参加した。

1955年のバンドン会議はアジア・アフリカ会議。国際連合の発足は1945年、朝鮮戦争の開始は1950年、ベルリンの壁崩壊は1989年。